洗脳中のダイチ
◆「8-26 忘却の旅路 (2) - ダグニーの僕」より:洗脳中のダイチ
――足音が聞こえだし、俺があたりをつけていた右手の木の後ろからは、貴族的な衣服と、立派な金属の鎧に身を包んだ初老の男性が現れた。
鎧の輝きは眩しいほどだ。ミスリルか?
もっとも人物像はなんら貴族的でなく、武人的でもなかった。丸顔に柔和めな表情があり、頭部には白髪交じりの薄い頭髪が乗っかっている。背も低い。体格も普通だし、威厳の類とは無縁そうな男性だった。
好々爺と言えば、俺的には最大級の誉め言葉に聞こえる。今まで姿を隠していたその筋の達人と考えると、ここにいる誰よりも温和そうな人柄も含めて意外な人物像ではある。マンガ的と言い換えてもいい。
「しかし私の《
好々爺の彼はなにが嬉しいのか――別に嬉しいわけではないように思うが――人好きのする笑みを浮かべながら頭部を軽く掻いた。
バニッシュか。初めて聞く魔法だが、バレるバレないの話なら、《
そんな好々爺の彼のちっとも嘆いていない嘆きの言葉に、ヤドジフとアンブロージィが驚いたように俺に視線を寄せた。アンブロージィに至っては手を剣に添えている。
「……さて。お前の名は何と言ったか?」
警戒した2人を気にしない素振りの彼の問いに、俺はダグニーのことを見た。
ダグニーのことは信頼しているが、他の者は別にそういうわけではない。いくら彼が俺への言葉に、子供に対するかのように親しみの情を込めようとも。
「ガスパルン卿の質問に答えなさい」
ダグニーがたしなめるようにそう言ってくる。
ガスパルン? 確か
「ふむ……ではダイチよ。いきなりで悪いが左の鎖骨あたりを見せてくれんか?」
何するんだ? 俺は言われるがままにシャツをずらそうとしたが、ホムンクルスの刻印のことを思い出した。
……俺には刻印はないが……まずくないか? 俺のことをホムンクルスだと気付いてる?
ダグニーが再びガスパルン卿の言われた通りにしなさい、と言うので俺は従った。ダグニーが言うなら仕方ない……。
ガスパルン卿は手に《
「……
純正? そうでないものがあるのか? 1から造るんだから完成されたものと不出来なものが出来るのは分かる話だが……。いや、なんかジルが言ってたなそういえば。
「それか消されたのではないか?」
「まあ……そうでしょうな。ホムンクルスだとすれば、ですが」
「違うのか?」
「可能性は低いでしょうな。彼がホムンクルスだとするなら、私は人族のみなをホムンクルスかと疑わねばなりません」
伯爵が俺の顔を見ながら、ふうむと納得する素振りを見せる。
ほとんど人族らしいからな。そういや、インの《
「お前はどこで生まれ、誰に育てられた? その達人の技の数々を誰に教わった? お前の所属は今どこの国だ?」
ミーゼンハイラム伯爵が俺にとって最も答えずらい質問を連発してくる。
「……分かりません」
今まで教えたくないと言ってきたツケが急にきたな……。
俺の解答にみなが怪訝な顔をする。
「分からない? ダグニー、術を強めろ。このままでは話にならんようだ」
ダグニーに語気を強めたミーゼンハイラム伯爵に敵意が湧くが、ダグニーが祈るようなポーズを取り、華奢な指にはまっている指輪が赤く光ったのを目に入れて間もなく……
俺の心は凍った水面のように静かになった。
「ダグニー。そういやこいつ念話がどうとか言ってたぞ」
「……ああ、相当弱いのね、精神系魔法に。……前に獣人の子供を《
「ああ」
「あの子、妙に正確に私の意図を汲んでくれるものだから訊ねたんだけど、そしたら頭の中で私の声が聞こえるっていうのよ。もちろん私は念話なんてできない」
「さしずめ幻聴みたいなものだろうのう」
「はい。私もそのように考えます。元々あの獣人は索敵・感応能力も優れていたので、相互作用が働いていたものかと。……この彼にも同じ現象が起こっているのでしょう」
「……念話か。そんなことが易々とできれば戦いの盤面が激変するだろうな」
伯爵の言葉にみなが頷いた。伯爵が俺に向き直る。
「――もう一度聞くぞ。お前はどこで生まれ、誰に育てられ、そして、お前のその七星・七影の隊長どもに勝るとも劣らない使役魔法や技の数々は誰に師事し、教わった? お前の所属はどこだ?」
俺は故郷の船と港と海のあるのどかな景色を思い浮かべた。
「……私は日本の岡山県笠岡市に生まれました」
「は……? ニホン?」
「育てたのは父である
ミーゼンハイラム伯爵が「おい、どういうことだ!!」と、俺の解答を遮り、一転してダグニーに怒鳴った。
「お前の精神操作は“誰にだって効く”代物じゃなかったのか!? それとも精神崩壊させるほどのものなのか??」
ダグニーは癇癪を起こした伯爵に戸惑った表情を浮かべながら、「や、やれることは最大限しています。精神崩壊などあり得ません」と答えた。
「念話として感じ取るくらいだしの」
「はい……」
もう一度ダグニーは祈った。今度は手を強く握ったようで、彼女の指は半ば赤くなり、眉間にはシワがかなり寄る。
少し頭痛がしたが……俺の変化らしい変化はそれだけだった。
「記憶の混濁が起こっていたのかもしれません」
どういうことだ、と横から発言しだしたヤドジフにいら立ちを隠さずに伯爵。
「爆発が起き、ノツナニーチ城とともにミージュリアが滅んだ頃、こいつはようやく“短剣”としての訓練の日々に慣れてきた頃だったでしょう。もしくは……“治療”の最中だったかもしれません。適合していても治療後に狂った者は少なからずいましたし、治療以前のことを覚えていない者もいました」
伯爵が歯を見せて、親の仇でも見るような怒気のこもった眼差しで見てくる。
「レッドアイを真っ二つにできるほどの使役魔法を使い、エルフの召喚士も備えていた山賊の根城に単身飛び込んで易々と生き残る奴だぞ?? こいつが“短剣”の生き残りでないというなら何だと言うんだ!! こいつが白状したら私は終わりなんだぞ?! お前たちにしてもそうだ!!」
「……落ち着いてください、閣下。なんにせよ、彼の身は我々が掌握しています。彼自身もこの場をどうこうする様子はないようですし。術は効いているよな? ダグニー」
「はい。しっかり効いています……」
「うむ。……彼に少し質問してもよろしいか?」
伯爵は荒く息をついていたが、不機嫌なままにアゴで俺のことを指し示した。
「ダイチよ。お前は“短剣”と呼ばれる者たち、あるいは、『
「……いえ。聞いたことはありません」
「ふむ……。では、ミージュリアで起きた消滅事件の後……いや。11年前、お前は何をしていた?」
「……大学生をしていました」
「……ほう? 大学に通っていたとな?」
アンブロージィが「とんだ賢者がいたものだ」と肩をすくめ、ヤドジフがやれやれだという風に息をついた。
「……私は30歳です。見た目は17歳ほどですが」
ガスパルン卿は片眉をあげて怪訝な顔で首を傾げた。伯爵が「はっ! 狂いに狂ってるな!」と俺を嘲り、「無駄だぞ、ガスパルン卿。何を聞いても戯言しか吐かんつもりらしいからな」と続けた。
「かもしれませんな。……体が17歳で、精神が30歳ということか?」
「……はい」
「きみは実は亜人種なのか? それとも亜人との混血か?」
「……いいえ。亜人でも混血でもありません。ホムンクルスです」
伯爵から聞こえてくる苛立ち混じりのため息。
「ほう! 次はホムンクルスというか。では聞こう。なぜそのような不可思議な現象がお前の身に起こっている? 確かにお前と会うまで、私とダグニーの見解ではお前がホムンクルスである可能性も考えておった。しかし今はどう見ても人族にしか見えん。わしたちには《鑑定》持ちもおらんのでな。教えてくれんか」
「……私はホムンクルスの体に転生したのだそうです。私の世界からこの世界へと。また、ホムンクルスではありますが、この体は非常に人族寄りの体なんだそうです」
ガスパルン卿は俺の言葉にさらに深く眉をしかめた。
この俺の言葉には各々思うところがあったようで、ヤドジフ、アンブロージィ、ダグニーはもちろんミーゼンハイラム伯爵までもが、時でも止まったかのように、俺のことを盛大にいぶかしむ顔で凝視していた。伯爵はなにかを言いかけたようだが、結局言葉は出てこなかった。
「……ダグニー。もう一度聞くが、お前の術は本当に効いているのだな?」
ガスパルン卿がこれまではあった、彼の性格の陽気さの一切をなくし、一転して声音を落とし、深刻に訊ねた。
「はい……効いてます。彼は膨大な魔力を持つ一方で、精神操作に異常に弱く、私の術を防ぐ術がないのは申し上げた通りです」
「うむ……生まれたてのホムンクルスのようにな。もっとも彼は、微弱なやつだが、精神操作への抵抗を高めるアクセサリーを購入していたし、そのことを知ってはいるようだったが。……ダイチ、お前は自分が精神操作に弱いことを知っていたな?」
「……はい。いつか来るかもしれない敵に備えていました。私ほどの者が操られたとあっては仲間に迷惑をかけるとんでもない事態になることになるのは明白だったので」
一瞬間があったあと、ガスパルン卿がかかかと高らかに笑った。彼の気持ちのいい笑い声はまるでヤジルタの森の主のようだった。
森の浅い場所にいるためか、俺たちの話し声以外にはとくに物音はない。隣で伯爵が退屈そうに息を吐いた。
「殊勝な心がけだな。一門の騎士でもなかなか持てない心がけでもあるぞ。……伯爵。彼のことは一度工房に連れて帰り、みっちり調べてもよいかもしれませんぞ」
「……調べてどうするというのだ。この言いようでは狂ったやつと何も変わらん」
「いずれにせよ、彼は我らの手にあるのです。別の世界から転生したという世迷言は別として、ダグニーに盲目的に従っているのは事実です。彼は傲慢ではありません。これからでも忠実で頼もしい兵士になるやもしれません。もしそうなったら、」
『――そんなことはさせないよ』
と、そこで辺りに声が響き渡った。
若めの声だが、男性と女性の声が混じったような不思議な声だ。ただし、断固とした強い意志を感じられる語調だった。俺はこの声ににわかに懐かしさを覚えた。
しかし発言者はこの場に居合わせている者から発せられているわけではなく、かといってガスパルン卿のように魔法で隠れている者でもないようだ。
いったいどこからだ?
ガスパルン卿たちも正体不明の声に警戒し始めた。
とっさに周囲に目線を這わせたり、剣を取り出したりしたが、間もなくやってきた“見えない重石”により、彼らは地面に体を叩きつけられることになった。
「――ぐっ!……」
「――あっ!?……」
ガスパルン卿だけが中腰で立っていた。広げた膝に手を置き、背中からくる圧力に必死に耐えていた。
彼の背中には半透明の板のようなものがあった。ミージュリアの生き残りなら、使役魔法だろう。
「……こ、……これは……」
次いで、ガスパルン卿の背中にはさらなる負荷がかかった。
彼は一瞬歯を見せ、耐える様子を見せたが、無駄だった。彼もまた地面に伏せることになった。
「……じ、重力魔法…………こんなレベルの、ものは……」
重力魔法……。
この場では俺だけがなんともなかった。俺だけが何も感じず、立ったままだ。
重力魔法はクライシス準拠の魔法だと推測している。つまり、レベル依存だ。レベル差が100もあれば効果はない。ゾフの重力魔法が効力がなかったくらいなので、俺には重力魔法の類は完全に効かないと言っていい。
立ったままの俺に気付いたヤドジフとアンブロージィ、そして伯爵が、地面に頬をつけたまま俺のことを疑いや怒気のこもった眼差しで見上げてくる。
「お前、まさか……!!」
「……伯爵……術は……ま、まだ効いてます……」
「なんだと……!? じゃあ、これは! 誰の仕業なのだ!?」
「わ、分かりません……」
俺はダグニーが地に伏せて苦しそうにしているのを見て、とっさに彼女を守る使命のままに彼女の元に行こうとした。
彼女の状態をどうにかしてやれるかは分からないが……襲撃者がいるのなら、彼女を守らねばならなかった。
……と、そんなところに地響きが鳴り出した。音の先はかなり深い。
が、別に地震の類ではないらしい。“それ”はモグラかなにかのように地中を走っているのか、もの凄い速さで俺たちに近づいてくるようだ。
「な、なんだ!?」
「地下から……??」
――やがて、盛大に地表の土を吹き飛ばしながら現れたのは……植物で覆われた巨大な生き物だった。なんだこいつは??
茎やツタや葉で全身を覆われている緑色の生き物の体は、穴の中にまだ続いていた。巨大なモグラか、蛇のような生き物なのか……。
彼は穴から出した頭を少し左右に動かし、辺りをうかがう様子を見せた。
頭に目らしきものはないが……彼は口を開けた。中には尖った歯がびっしりと並び、中心にはピンク色のヒトデのような舌があった。舌の各先端はそれぞれ意志を持つかのように、うごめいていた……。
想像とはかけ離れた口内の構造の怪物的な気持ち悪さに悪寒が走りつつも、何が起こってもいいように俺は《魔力装》を出そうとしたが、『そいつは襲わないから気にしなくていいよ』という念話。さきほど森に響いた声と同じだ。口調は穏やかだった。え?
――しかし襲わないという念話の言葉とは裏腹に、怪物はもの凄いスピードでヤドジフとアンブロージィを乱暴に口で挟んだ。
「――ぎゃっ……!」
「――ぐっ……」
次いで勢いよく口が閉じられ、嫌な音がすると同時にワニの口の歯の間からはレモンでもつぶしたかのように血しぶきが少し飛ぶ。口から流れ落ちていく鮮血……。
「ヤ、ヤドジフ!! アンブロージィ!!」
「ガ、ガスパルン!! なんとかしろ!!」
「ぐっ!……動けないのです…………」
「くそが……!!」
襲わないんじゃないのか??
2人の襲われた状況を見て懐疑的になり、手から剣状の《魔力装》を出したが、怪物は残った俺たちに何をするでもなく地面に潜って消えてしまった。
残ったのは……奴が出てきた巨大な穴だけだ。一瞬の出来事だった。
……そうして俺の前には黒い手鏡が現れた。
…………《
手鏡の中から、ぬうっと細い手と一輪の花が出てきた。なんなんだ!?
花は花弁がいくつもあるタイプのダリアに似た花だが、中心部に小さな風船のような膨張した
手鏡からはもう一本腕が伸び……警戒したが、手によって鼻先で花がぐしゃりとつぶされただけだった。
つぶされた瞬間、花の甘い香りが鼻腔をくすぐった。俺はあまりにも強く、酸味もあるその香りに、鼻を腕で覆おうと思ったが…………そこで俺ははっと気づかされた。
まるでたった今、急に目が覚めたように。
「…………へ。……え? …………花……?」
手鏡が上下に伸び、直径が拡張され、全長が姿見ほどになる。やがて中からは緑色の髪の青年が姿を現した。
天パの緑髪。緑目。装飾豊かな金色の耳飾りをつけ、古代ローマ風味の衣服に身を包んだ彼は途方もないほどの美青年だった。
「初めまして氷竜。私は緑竜。ネロと呼んでもらって構わないよ。代わりに私もダイと呼んで構わないかな?」
緑竜――ネロと名乗った彼はそう言って微笑んだ。
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