ヘイアン冷や汗、ヘイアン VS ウィルミッド


◆「4-20 幕間:鎧切りとマズル家の剣 (1)」より:VS(?) ヘイアン



(人手か……ニーアがもう少し動いてくれたらなぁ)


 人出について、ヘイアンはよくよくそう思うが、誰も彼もがニーアに話しかけるので、ニーアが給仕の務めを完全にこなせないのはどうにもこうにもしようがない部分でもあった。

 そもそも、ニーアが村の者や商人たちを交えて楽しくお喋りし、ヴァイン亭の雰囲気作りに貢献しているのを見るのは決して悪い気分じゃない。


「お父さーん、二人来たよー!」


 ニーアから呼び出しがかかったので、去来した充足感と人手の問題を胸に留めつつ、ヘイアンは食堂に向かう。


 入り口にいたのは黒髪の少年と白髪の少女の二人組だった。


 普通なら、ヴァイン亭の噂でも聞き付けてケプラの貧民街から有り金はたきにでも来たのか、もしくは混血児と一緒に逃げてきた不幸な子供とでもヘイアンは思うところだが、……


 ヘイアンは“萎縮”した。尋常ならざる巨大な気配、あまりにも密度の濃い気配が感じられたからだ。

 だがすぐにその気配も、それに反応したヘイアンの第六感――戦士としての勘も消えた。ヘイアンにはスキルの《気配察知》もある。スキルにばかり頼っていたわけではないが、気のせいだとヘイアンは思った。


 しかし……ヘイアンの額からは冷汗が一筋流れた。


 誰かと対峙して冷や汗を流す経験など、宿の経営を始めてから一度もない。そんな猛者はこの村にはいないからだ。

 村人からは警備隊長のバリアンと同列に扱われているが、実力の差は明らかだった。当時のバリアンはすぐに気付き、実力の差を認めたものだ。相変わらず怒鳴り散らしているようだが、それがヘイアンに向くことは一度もなかった。


 仮に猛者がふらりとこの宿にやってきても、全盛期のヘイアンを超える逸材――レベル45を超える者などそうそういない。レベル45というと、たいていどこぞの国が将軍として迎え入れ、部隊を束ねる身になっている。


 もし、ヘイアンが全盛期のままで、将軍クラスの奴と対峙したとしても、冷や汗は流れなかっただろう。なぜならそういう者たちとヘイアンは剣を打ち合い、時には酒を酌み交わしたりもしていたからだ。

 魔導士が絡むと少し違うが、奴らの戦い方は極めて素直。いっそ清々しいくらいだ。


 そして彼らは忠誠心を抱き、国や部隊を背負っているからこそ、無闇に剣を突き付けないことをヘイアンは知っている。たとえ賊上がりでも、だ。

 賊上がりの連中はろくなものを食べてこなかった者が多い。食のありがたみというものを知っている者が、美味い飯を食わせてくれる奴を何の理由もなくどうにかするのは、ほとんどない。


 それにヘイアンには彼らから剣を突き付けられる理由も特に浮かばない。

 ヘイアンはもうその手の煩わしいものからは足を洗い、ファーブル村長はもちろん、ケプラの市長とも気さくに話ができるくらいなのだから。領主のベルマー辺境伯の信頼も得ている。


 “ヘイアン自身”は冷や汗の理由が皆目見当もつかなかった。だから二人が不気味だった。


 だけども……かつての本能が唐突に蘇り、うるさくヘイアンに叫んでいた。


 自分が委縮し、冷や汗をかかされた相手は二人だと。

 そして、今はその巨大な気配を殺しおおせているのもまた、目の前にいる二人だと。


 剣を置いた者は年月とともにレベルが落ちていく。

 当然身体能力も落ちるし判断力も鈍るが、培われた勘だけは消えない。消えたように見えて実のところ、活躍の場を今か今かと待ち焦がれ、心の奥底に潜んでいるのだ。スキルも質は落ちるが、似たようなものだ。


 二人には武器の類はなく、少年が短剣を腰に提げているのみだ。

 少年にせよ、少女にせよ、二人のいずれかが武術をやるにしては体がまるで出来ていなかった。武術といっても魔法を駆使するタイプもいるが……元相棒のように、魔法を極めた魔導士の目の色をしてもいない。


 ヘイアンは挙動不審にならぬように努めて二人の元へと歩いた。

 素性も性格も攻撃の手段も何も分からない相手に近づく時、挙動不審は死を早めることがある。二人が暗殺者だというなら、話は別だが。


 さながら魔力の密度に面食らいながらも分け入った魔族の領域の一つ――カルドハイムの虚ろな沼地に分け入るかのような心境にあった中、ヘイアンは昔の二つの経験を呼び起こされていた。


 一つはウリッシュ・ガスパルンという現七影魔導連の一人と初めて対峙した時の感覚。

 もう一つは、名も知らぬ魔人から必死に気配を殺して逃げていた時のことだ。


 だが傍に来て二人と距離を詰めても、ヘイアンにも、そして二人にも、一向に何の変化も訪れなかった。


 少年の方がテロンド人かシルシェン人かの血が入っていて、武器を振るわなさそうな体の割に“立ち様”が悪くないこと。

 少女の白髪だと思っていた髪が銀糸のような類まれな代物であり、瞳もまた薄灰色で、ずいぶん亜人の血が色濃いようであること。

 新しく見つかったことはそのくらいだ。


「……ん? 二人だけか?」


 二人に近づくにつれて、また冷汗が一つ浮き出て流れてしまったが、ヘイアンは平然を装って二人に話しかけた。

 それでも警戒心は顔に残ったままで、宿の亭主としてはもうほとんど出していない厳めしいシワが寄っていたが、ヘイアンはそこまで気にする余裕がない。


「え、ええ。俺たちだけですよ」

「そうか」


 理由は分からないが少年が自分に狼狽えているらしいのを見ると、ヘイアンの少しずつ研ぎ澄まされつつあった精神の荒波は静かになっていった。警戒の狼煙は依然として上がっていたが。


 剣を置く実力者が恐れるものは主に2つある。1つは腕が鈍ること。もう1つは過ぎていく歳月だ。死は恐れない。それは剣を置くときに半ば覚悟しているから。


 俺も歳なんだろう。ヘイアンはそれで納得した。


 どんなに凶悪な魔物を切り伏せようとも、残虐非道な悪漢の首を落とそうとも、寄せてくる時の波にはあがきようがないのだ。

 歳を食っていきなり気が狂った者もヘイアンは何人も見てきた。

 チェシャ婆さんは元からだったが、バリアンだってそうだし、役所のボルバーラ婆さんだってそうだ。ケプラでも、アマリアでも、コルヴァンでも、獣人でも、エルフでも。その精神の仕組みは地域・種族に関わらず何一つ変わらない。つくづく、嫌な話だとヘイアンは思った。


「すまんね、うちのうるさいのが。そのうち村の悪いのに絡まれるぞと言ったりしてるんだが、こいつはなかなか治らねえんだ」

「うるさいのじゃない。ニーア」

「おー怖い怖い」


 少年はヘイアンとニーアのやり取りをいくぶん表情を緩めて眺めていた。結構寛容な性格のようだ。隣の意志の強そうだった少女も、ニーアを見てずいぶん頬を緩ませている。


 あまり子供じみたところもなければ、不幸を背負っている様子もない二人に、ヘイアンはますます自分が歳を食ったのだと実感した。歳を取れば取るほど疑り深くなるものだ。




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「4-21 幕間:鎧切りとマズル家の剣 (2)」より:ヘイアン VS ウィルミッド



 二人は狼の森が見える村の隅までやってきた。


「ここでいい。……ヘイアン」


 ウィルミッドは立ち止まってくるりと振り返ると、マントの中から剣を鞘ごと投げて寄こした。慌てて受け取るヘイアン。


 なんてことない剣だった。さすがにメイホーで売ってる農夫用の安物などではないが、警備兵やケプラの騎士団連中が使うような、大した意匠もなければ魔法効果の類もない、丈夫なことだけが取り柄の鉄製の剣。


「あ? こりゃ何の真似だ?」


 ヘイアンが問いただすや否や、ウィルミッドは7歩ほどの距離を一瞬で詰め、ヘイアンに斬りつけてきた。

 ヘイアンは咄嗟に、反射的に、剣を鞘から滑らせた――


「くっ……!」


 たちまち鈍い音が鳴った。ヘイアンはもらった剣を鞘から“半分ほど出して”やっとこさウィルミッドの瞬足の襲撃に応じた。

 懐かしい、渾身の力と力で押しあう鍔迫り合いバインドの感触だ。だが、そんなことを悠長に気にする余裕は今のヘイアンにはない。今のヘイアンは剣士ではない。


 ヘイアンは両手でウィルミッドの剣戟を防御しているが、ウィルミッドは片手だ。ヘイアンは力の限り鞘と持ち手に力を込めているが、投げて寄こした鉄剣と同じ鉄剣を使っているウィルミッドには歯を食いしばっている様子は微塵もない。

 ウィルミッドの指に、指輪がはめられているのが見えた。ヘイアンはその指輪の持ち主に思い当たるところがある。


 ウィルミッドは左手をヘイアンの顔にかざした。

 赤く光り始める手、現れる魔法陣、そして繰り出される、顔を焼く速攻の《火炎連弾フレイムバレット》――


 だが、魔法陣は出ず、手からは小さな火が一つ灯るだけだった。《灯りトーチ》だ。

 ヘイアンは自分の顔が焼かれないこと――もうかつてのような物騒な“お遊び”をウィルミッドがしてこないことは分かってはいたが、内心でほっとした。


「俺の考えではお前の剣はもう半分鞘に入ったままだった。それか、ほとんど出せずに鞘で防御すると踏んでた」


 《灯り》は自分たちを照らすだけだったが、ウィルミッドのヘイアンを剣で押す力は一向に弱まる気配がない。

 魔法で身体強化をしている現場は見ていない。なら、ウィルミッドは始めからこうする予定だったということになる。

 

「俺もそうじゃねえかと思う……」

「ほう」


 ウィルミッドが意外だと言わんばかりの余裕の表情をこぼした。


 ウィルミッドが顔を近づけてくる。ヘイアンは精いっぱいの力を剣に込めながら、お遊びの一環によって自分がこさえてしまった傷跡を持つかつての相棒の顔に、老けたなとそう思った。


「何があった? 言ってみろ」

「別に……大したことじゃない」

「構わん。俺はお前の話はなんでも聞いてきた。今でも興味深いよ。“鎧切りのヘイアン”……“妖剣フラガラハのヘイアン”の話は。嫁から怒られる話でも、娘の成長話でも、無口な料理番の話でも何でもな」


 今となっては、ウィルミッド以外では、ベルマー辺境伯と市長くらいしか呼ばない昔の通り名を呼ばれながら、ヘイアンはここ数日の田舎村で起きたにしては珍妙すぎる出来事の数々と同じく珍奇な来客たちの顔を思い浮かべた。


「どうも近頃は……客が嘘ばかりついてるらしくてな。……合わせるのが大変だった」


 ウィルミッドは一瞬首を傾げたかのように見えた。そのうちにウィルミッドはみるみるうちに破顔した。そうしてウィルミッドよりも腕の太いヘイアンが全くどうにもできなかった剣の力も弱まった。


「ははは! そうだろうな。お前は立派な宿の亭主だ。役者じゃないし、法螺吹きの宣伝屋でもない」


 ヘイアンはウィルミッドが陽気になり剣をしまうのを見て、ふうと疲れた息を吐いた。ヘイアンも剣を収めた。


「……ったく。俺のなまくら加減を見たいならもう少し冗談めかしてくれ。力抜けねえし……さすがに肝が冷えた」

「そういう割には今際の言葉を吐くようには見えなかったがな」

「それは……仕方ねえだろ」

「まあな。仕方ねえ。“傭兵なんぞどこで死んでようが不思議じゃない”」


 ウィルミッドはそう言って、嫌味っぽい笑みをこぼした。ヘイアンがかつてウィルミッドをはじめ、周囲によくこぼしていた言葉だ。

 ヘイアンはまた一つ息を吐いた。既にそんなことは知っていたが、ニーアとステラの悲しむ顔が浮かび、あまり快い言葉じゃなかったからだ。

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