第19話 違和感

 そんなことをぼんやりと考えながらファウスト様のお隣を歩いていれば、前から先ほど私が捜していた女性――アンナマリア様が歩いてこられた。彼女が一歩足を進めるたびに、周囲の人々が彼女の迫力に押され一歩足を下げる。


「ファウスト殿下、お久しぶりでございます」


 アンナマリア様は淑女の一礼をし、その真っ青な目でファウスト様のことを見据えられていた。その表情は先ほどのものとは大きく違い、ぎらぎらとしたもの。それはまるで、自分が狙った男性を射止めようとする女性のものだった。


「久しぶりですね、レディ」


 そんなアンナマリア様を蔑ろにすることもできなかったのか、ファウスト様はにこりとした笑みを浮かべられた。しかし、その手は私の肩を抱き寄せており、その姿はまるでアンナマリア様に入る場所がないと遠回しに訴えているようだった。


「まぁ、ファウスト殿下。わたくしの名前を存じておきながら、呼んでくださらないのですね」


 視線は斜め下に向け、アンナマリア様は儚げな笑みを浮かべる。そのお姿に周囲の男性が息を呑んだのがわかった。それほどまでに、今のアンナマリア様は大層庇護欲をそそったのだ。彼女のその長い金色の髪が揺れるだけで、視線をくぎ付けにされてしまう。


「レディ、残念ですが俺には最愛の婚約者がおりますので。彼女以外の女性と親しくするのは、無理なのです」


 私の肩をさらに抱き寄せ、ファウスト様はそうおっしゃる。ほんの少し身体が密着しただけだというのに、私の心臓がバクバクと大きな音を立てていた。それを誤魔化すように下唇をかみしめていれば、アンナマリア様は「……そう」と小さく呟かれる。その声音に、先ほどまでの覇気はない。


「ですが、ファウスト殿下だってそのお方とわたくし、どちらを娶った方が今後の王国のためになるかは、ご存じでしょう?」


 にっこりとした笑みを浮かべて、周囲を黙らせるような気品を醸し出しながらアンナマリア様はそうおっしゃり、私のことを見据えた。その目は好戦的に細められている。でも、私はその目の奥の奥が気になった。


(……あの目)


 その目は、なんと言い表せばいいのだろうか。そうだ。無気力。無機質。そんな言葉が似合うようなまでに、何の感情も宿していない。彼女のその口調とのちぐはぐさの所為なのか、私の脳内に嫌な予感が駆け巡る。


 それに対してアンナマリア様は一人葛藤する私のことをバカにするかのように、ファウスト様の方に近づきその手を取られた。そのままその真っ青な目を細め、ファウスト様に笑いかけられる。彼女は大層な美女だ。そんな美女に微笑まれてしまえば、間違いなく男性ならば一瞬で恋に落ちてしまう。


 ファウスト様のことを信じたいのに、彼の視線がアンナマリア様に注がれているのを感じて信じられなかった。思わずファウスト様の腕から抜け出して、私はファウスト様と距離を取る。その瞬間、ファウスト様の目が悲しそうに下がった。


「殿下、わたくしと一曲、どうですか?」


 こんなことをしていれば、この王国の秩序を疑われてしまう。けれど、アンナマリア様に注意できるような人はこの場にいない。なんといっても彼女は辺境伯爵家の令嬢だから。その権力に怯え、誰も口出しが出来ない。そっと視線を彷徨わせれば、遠目にロザーダ伯爵のお姿が見えた。彼は、満足そうに首を縦に振っていた。その後、大声を上げて笑いだす。


(……もしかして、アンナマリア様って)


 その瞬間、一つの可能性が思い浮かんでしまって、私はアンナマリア様にそっと視線を向けた。彼女はファウスト様に身体を密着させ、何か根気強く話しかけられていた。その様子を見て、私は確信する。


(アンナマリア様、多分、お父様に逆らえないのだわ)


 今まで散々ファウスト様に近づかれていたのは、お父様に命令されたからなのだろう。だって、今思えばそうだもの。アンナマリア様がファウスト様にアピールをされていたのは大体ロザーダ伯爵がいらっしゃるときだった。


(……だけど、ファウスト様を譲れるかと言えば、またお話は別問題なのよね)


 私の方がファウスト様を慕っているし、彼のことをよく知っている。王太子妃教育だって受けているし、彼女よりもずっとずーっとファウスト様に相応しい……と、思い込みたい。実際そうじゃないとしても、自分だけは自分のことを信じたいと思っていたのかもしれない。


「……レディ」


 私が一人そんなことを考えていると、ふとファウスト様のそんなお声が聞こえてきた。その後、彼はおもむろにアンナマリア様の腕を振りほどき「……あまり、そういうのは褒められたものではありませんよ」と柔らかな注意をされていた。


「……殿下」

「俺には最愛の婚約者がいます。それ以外の女性を娶るつもりはありませんから」

「……殿下っ!」


 ファウスト様に縋りつこうとするアンナマリア様を一瞥し、ファウスト様は私の方に近づいてこられた。そして、「ごめんね、行こうか」と私に耳打ちしてくださる。


(……アンナマリア様)


 ファウスト様に連れられて歩く途中、ふとアンナマリア様に視線を向けた。彼女は顔を下に向けておりどんな表情をしているかが、よく分からない。ただ一つ、わかったのは――彼女の身体が、露骨に震えていたということ。

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