第18話 ほだされてしまう
一人戸惑い顔を真っ赤にする私に対して、ファウスト様は「落ちたらダメだから、俺の首に腕を回して」と私にだけ聞こえるような音量でおっしゃった。だからこそ、私は恐る恐るファウスト様の首に腕を回す。
(こ、これは、落ちたくないからやっていることであって、不可抗力よ!)
誰に向けた言葉ではないけれど、内心でそう呟いて私はただ俯いた。俯けば、美しいブルーのドレスが視界に入る。私の顔とは真逆の色に、何処となく憎たらしく思いながら私は唇を一の字に結んだ。
周囲の人たちが私たちのことを見て何かこそこそと話しているのがわかる。けれど、ファウスト様が睨めばすぐに誰もが委縮してしまった。王国の貴族はファウスト様に逆らえない。だから、私たちの様子を見てもぎこちない笑みを浮かべることしかできない。
友好国の王族方は私たちがいつもこんなことをしていると勘違いされたのだろう。「仲睦まじいですなぁ」などと言う言葉を発していた。違う。こんなことをしたのは今日が初めてだ。決して、いつもいつもこんなことをしているわけではないのよ……!
(だ、だけど、友好国の王族の方々をにらみつけるわけにはいかないわ。それに、いつまでも俯いていては……)
それがダメなことくらいは、わかる。だからこそ私が意を決して顔を上げれば、遠目にアンナマリア様が見えた。彼女は何処となくぼんやりとしたように私たちのことを見つめられている。その目は何の感情も宿していないように見えて、彼女の歪さを加速させているようにも見えた。
「……キアーラ」
私がアンナマリア様を見つめていれば、不意にファウスト様に名前を呼ばれる。それに驚いて彼の方に視線を向ければ、ファウスト様は「……俺だけを見てくれなきゃ、ダメじゃないか」なんて突拍子もないことをおっしゃった。……別に、男性を見ていたわけではないのだけれど。
「わ、私は……」
「女性を見ていたの?」
そう問いかけられて、私は静かに頷く。これで、何もおっしゃらないだろう。そう思った私はどうやらとても甘い考えの持ち主だったらしくて。
「同性でもダメだよ。……嫉妬しちゃうから」
どうやら、ファウスト様は私が女性を見つめていても嫉妬されるくらい、嫉妬深いらしい。……今まで、散々ほかの女性と親しくしておいて、私にそんな言葉をかけてくるのか。一瞬だけそんなことを思うけれど、その嫉妬さえ心地いい。そう思ってしまう私も、確かにいた。
「……勝手に、なさって」
だけど、何処まで行っても私の口は可愛くない。顔をプイっとそむけてそう言ってしまう。そうすれば、ファウスト様は「俺だけ、見ていてくれたらいいのにね」なんて何処となく寂しそうな声音でおっしゃった。
「でも、大丈夫。……キアーラはいずれ俺だけを見てくれるから」
その根拠は一体どこにあるのだろうか。一瞬そう思ってファウスト様にちらりと視線を向ける。その目はまるで獲物を捕らえた捕食者のような目をしていて、私は恐ろしくなってまたそっと視線を逸らした。
(こ、こんなにも嫉妬されたら……私、おかしくなりそう……!)
そんなことを思ってしまうけれど、やっぱりどうしようもなく嬉しい。柄にもなくにやけてしまいそうな口元を必死に引き締めて、私は「本当に、勝手になさって」と告げた。
「うん、俺は勝手にするよ。……勝手にキアーラに見つめられた人間に嫉妬して、キアーラのことを束縛する」
ファウスト様のその宣言に、私の心臓がどくんと大きな音を立てた。……色気たっぷりの声でそう言われたら、私に抗う術などない。いや、抗う術はあるのか。この素直になれない口ならば、いつになっても抗える。
「キアーラ、可愛らしいね」
いや、無理だった。そんな風に甘ったるく言われてしまえば、私は口を閉ざすことしかできないから。
(……そういえば、アンナマリア様は?)
ふと先ほどのアンナマリア様を思い出して、私はファウスト様にバレないように視線だけで彼女のことを捜してみる。しかし、彼女は先ほどの場所にはいなかった。……移動、されたのかしら? そう思って視線を彷徨わせようとするけれど、あまりきょろきょろとしていたらファウスト様に怪しまれてしまう。そう判断して、視線は前を向ける。
その後しばらくして、ファウスト様はようやく私のことを床に降ろしてくださった。その瞬間を狙って周囲の女性たちがファウスト様にお近づきになろうとするけれど、ファウスト様は彼女たちを軽くあしらう。
あしらうと言っても、丁寧な断り方だった。それは、多分私に嫉妬が及ばないようにという配慮から。
(そういう気遣いは出来るのに、どうして今まで私の気持ちには気が付いてくださらなかったのよ……!)
肝心なところで鈍い。そう思って彼のことが憎たらしくなったけれど、すぐに「あぁ、やっぱり好きだなぁ」と思った。なんとまぁ、単純な女だろうか。……我ながら、すぐにほだされすぎて心配になっちゃうわよ。はぁ。
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