第9話 拒否

「……それは、本気かな?」


 ファウスト様が、私にそう問いかけてこられる。思わず「違います」と言いそうになって、慌てて口を閉ざした。


 その後、先ほどの言葉を呑み込み、私はファウスト様の目を見て頷く。


「……そっか。キアーラちゃんにも、好きな人が、出来たのか」


 そうおっしゃったファウスト様のお声は、何処となく震えているようにも聞こえてしまった。


 多分、妹分としか見ることが出来ないとはいえ、婚約者が別の人に心があると言ったのだ。当然の反応だと思う。


 嘘をついたことに対する罪悪感が、ないわけではない。むしろ、罪悪感に押しつぶされてしまいそうだ。


 でも、ここで撤回するわけにはいかない。お互いの未来……の、ためにも。


「キアーラちゃん」

「……はい」

「真剣に、聞いてくれる?」


 そんな風に声をかけられて、私は静かに頷いた。


 そうすれば、ファウスト様は「キアーラちゃんの気持ちは、よく分かったよ」とおっしゃった。そして、ソファーから立ち上がられる。


 そのお姿を見つめながら、私は「あぁ、終わったのだな」と思った。


 自分でこの虚しい関係にピリオドを打てたのだ。そこだけは、褒められるべきことだろう。


(……これで、よかったのよ)


 痛む胸に関しては、無視をして。ただ、ファウスト様が「婚約は、解消しようか」とおっしゃってくださるのを待つ。


 俯いて、ファウスト様のお顔を見ないようにして、言葉を待った。


「うん、そうだね」


 それから、ファウスト様は何を思われたのかそう呟かれると、「キアーラちゃん」と私の名前を呼ばれた。


 その声は、ひどいほどに冷え切っていた。


「婚約のこと、だけれど」

「……はい」

「俺は、解消する気はないよ」


 けれど、その後のお言葉の方が問題だった。


(……婚約は、解消されないの?)


 妹分としか見ることが出来ない婚約者との、絶好の別れの機会なのに。


 それに、私が去った後の婚約者はアンナマリア様になるはず。そうなれば、王家にとってもデメリットは少ないのに。


「あ、あの、ど、どうして……」

「どうしてって、言われてもなぁ」


 漆黒色の髪の毛を気まずそうに掻きながら、ファスト様は天井を見上げられた。


 だけど、すぐに意を決したように私の目を見つめてこられる。その目は真剣なオーラを宿していた。


「一旦、政略的なことを抜きにして、話をさせてね」


 ファウスト様はそうおっしゃって、またソファーに腰掛けられる。


 そして、腕を組まれると私のことを見つめてこられた。その目の雰囲気は、私が今まで見たことがないようなもの。


 一言で言えば、不思議な雰囲気だった。


「……はい」


 私が躊躇いながら返事をすれば、ファウスト様はにっこりと笑われる。その表情は、何処となく子供っぽくて幼くも見えた。


「一旦、話を整理するね。キアーラちゃんは俺のほかに好きな人がいる。その人と、結婚したいと考えている」

「……はい」

「……でもさ、俺と別れたからって、その人と結ばれる保証はないよね?」


 ……ごもっともだった。


 そのお言葉に反論することも出来ずに私が俯いていれば、ファウスト様は「そういうところ、直した方が良いかもね」と厳しいことをおっしゃる。


「目先のことだけを考えるの、止めた方が良いよ」

「……はい」


 まるで、説教だった。多分、ファウスト様は妹分が道を踏み外しそうになって、止めている感覚なのだろうな。


 そのお言葉の所為で、私がどれだけ傷つくかも知らないで。


「あと、ちょっとは俺の気持ちを考えてほしかったかなぁ」


 次にファウスト様はそうおっしゃると、また立ち上がって今度は私の隣に腰を下ろされた。


「……俺は、キアーラちゃんが……ううん、キアーラが好きだよ」


 その後、ファウスト様は凛とした真面目な声で、そう告げてこられた。


 ファウスト様のそのお言葉に、私の胸がどきどきとする。何だろうか。この「好き」は今までとは少し違うような気がした。


 今までの「好き」は、あくまでも可愛らしいという感情がひしひしと伝わってきた。でも、今の「好き」は――……。


(まるで、婚約者に向けるみたい……)


 愛した人に向けるようなトーンにも、感じられてしまった。


「キアーラには、伝わっていなかったんだよね。……わかるよ。俺だって、逆の立場だったら伝わっていないと思うから」

「……あ、あの」

「だけど、俺の気持ちは本気なんだよ。……キアーラがその人のことを好きな以上に、俺はキアーラのことが好き」


 熱烈な告白にも感じられるそのお言葉たちに、私の顔が真っ赤になったような気がした。


 俯いてファウスト様のお言葉を聞いていると、彼は「……だから、婚約は解消しない」とおっしゃる。


「だけど、キアーラの気持ちを尊重しないのも問題だから。……そうだな」

「……はい」

「俺が、キアーラの心を取り戻そうかな」


 ……もう、なんというか嘘が撤回できなかった。


 ファウスト様は至極真剣にそうおっしゃっているのだ。今更、私が「先ほどの言葉は嘘でした」といえるような雰囲気ではない。


 ついでに言えば、私にはそんな度胸がない。肝心なところで、私はヘタレなのかもしれない。


「キアーラ。……俺の気持ちを、これからはきちんと伝えるから」


 そうおっしゃったファウスト様は、私の白銀色の髪の毛を手に取られると、にっこりと笑われた。


 ……その笑みは、反則級にかっこよかった。

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