第8話 私の気持ち

 それから私は考えた。考えて、考えて、考えて。


 寝る間も惜しんで考えて。


 そして、一つの答えを導き出した。


 それは――やっぱり、ファウスト様とのこの関係を終わらせるということ。もう、無理だった。


 ストリーナ侯爵家は多方面から妬まれているところがある。つまり、私が王太子妃になることをよく思わない人たちが一定数いる。


 その人たちの思い通りになるのは癪だけれど、やっぱりファウスト様には私よりもアンナマリア様の方が似合う。そう、思った。


(……よし、決意が揺らがないうちに、別れを告げなくちゃ)


 政略結婚とは一般的に個人の意見や感情は尊重されないものだ。他所に好きな人が出来たところで、無視されるのが当然。でも、ファウスト様は違うと思った。彼は私のことを妹分として可愛がってくださっている。


 なら……私の気持ちを尊重してくださる。そんなことを、考えた。


(私にはほかに好きな人が出来た。その人と結婚したい。だから、ファウスト様とは結婚できない)


 考えに考え抜いた嘘を脳内で繰り返し、決意が揺らがないようにする。それから、私は乗ってきた馬車を下りた。


 すると、いつものようにロメオが「キアーラ様、お迎えに上がりました」と言ってにっこりと笑ってくれる。


 ロメオの声も、顔も、もう見ることはほとんどないのだろう。


 そう思うと、一抹の寂しさがむくむくと膨れ上がってきた。しかし、それは当然なのだと、自分自身に言い聞かせる。


「ごめんなさいね。突然会いたいなんて言ってしまって」

「いえいえ~、殿下の方も今日は予定が空いていたのでね」


 ロメオは軽い口調でそう言って、私の前を歩いて一応道案内をしてくれる。


 私は幼少期から王宮に来ているので、ある程度内部は把握しているつもり。だけど、やっぱり時折部屋が変わってしまう。そのため、よくロメオは道案内をしてくれていた。もちろん、本来のお仕事があるときは別。


「殿下~。キアーラ様がいらっしゃいましたよ~」


 のんびりとした声で扉越しにロメオが声をかける。そうすれば、中から「入っていいよ」という声が聞こえてきた。


 それを聞いて、ロメオがゆっくりと扉を開ける。そして、私に部屋に入るようにと促した。


「……ファウスト様。本日は、お時間を作っていただきありがとうございました」


 定型文の挨拶をして、淑女の一礼を執る。すると、ファウスト様は奥の執務机からこちらに近づいてこられて、応接用のソファーを私に勧めてくださった。


「全然いいよ。……俺も、ちょうど仕事が空いていたところだったから」


 ファウスト様は、そのきれいなお顔に美しい笑みを浮かべ、そんな返事をくださった。その表情をぼんやりと見つめていると、私の中の決意が揺らいでいく。


 それを振り払うかのように首を横に振って、私は本題を切り出すことにした。


「……本日は、お願いが、ありますの」

「……お願い?」


 私の言葉を反復され、ファウスト様がソファーに腰掛けられる。それを見て、私もソファーに腰掛けた。


「どうしたの? キアーラちゃんのお願いだったら、俺は出来る限り叶えたいけれど」


 その言葉を聞いて、私は思う。


 ――あぁ、やっぱり私のことはいつまで経っても妹扱いなのだな、と。


 彼は、どう頑張っても私のことを女性としては見てくださらない。婚約者として、扱ってくださらない。


 それを嫌というほど理解して、私は下唇をかみしめた。


「……その」

「……うん」

「わ、私……その」


 上手く、言葉が切り出せない。あんなにもシミュレーションをしたのに、言葉が上手く出てこない。


 だけど、言わなくちゃ。言わなくちゃ。


 そう自分自身に言い聞かせて、私は顔を上げた。ファウスト様の漆黒色の目が、私を射貫いている。……とても、美しかった。


「わ、私……す、好きな人が、出来ましたっ!」


 もう、こうなったら勢いで言うしかない。そう考え、私は上ずったような声で、半ば叫ぶようにそんなことを言う。


「……好きな、人?」


 ファウスト様の声に、怪訝さが含まれている。そりゃそうだろう。いきなり「好きな人が出来た」と言われても、困るのは目に見えている。


「そ、その、私、その人と、一緒に……なりた、くて」

「……うん」

「どうか、私との婚約を、解消してくださいませんか……?」


 声は震えていた。けれど、しっかりと言えた。


 そんな風に思ってほっと一息を吐いていると、ガシャンという何かが割れるような音が耳に届いた。


 驚いてその音の方に視線を向ければ、ロメオがカップを落としていた。そこに入っていたのであろう紅茶が、床に広がっていく。


「あ、あ、あの、キアーラ様? 正気ですか!?」


 ロメオは割れたカップの破片を気にすることはなく、私の方に詰め寄ってくる。


 ……どうして、彼がこんなにも慌てふためくのだろうか。


 そういった疑問が私の脳内に浮かび上がるけれど、その気持ちは無視をして「え、えぇ」という。その声は、何処となく上ずっていた。


 ロメオは私の肩を掴んでがくがくと揺らしてくる。普通の貴族令嬢ならば「無礼よ!」と言って怒鳴るのだろう。生憎、今の私にそんな余裕はなかったのだけれど。


 その後、私がロメオに身体を揺らされていると、ファウスト様が「……キアーラちゃん」と真剣な声音で声をかけてこられる。なので、私は凛とした声で「はい」と返事をした。

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