第7話 決意

「あれ、キアーラちゃん?」


 そして、タイミングの悪いことにファウスト様と出くわしてしまう。


 ファウスト様はこの間とは全く違うラフな格好をされており、その後ろには何度も顔を合わせた彼の専属従者がついて歩いていた。


 名前はロメオだったと思う。ロメオはいつも通りの柔和な笑みを浮かべながら、私に向かって一礼をする。


「奇遇だね、どうしたの?」


 ファウスト様はそんなことをおっしゃって、私の方に近づいてこられる。


 なので、私は一歩足を引いてしまった。その瞬間、彼のその漆黒色の目が、悲しそうに揺れる。


 それを見ていると、なんだかとても悪いことをしているように感じられてしまって、足を止めた。


 その後、俯いていればファウスト様に顔を覗かれてしまった。彼の手が、私の白銀色の髪の毛を撫でる。


「元気、ないね」


 優しくそう声をかけらないでほしい。


 優しくしてほしいのに、優しくしてほしくない。


 あぁ、私はなんと面倒な女なのだろうか。そう思って、下唇をかみしめる。でも、そんなことよりも。


 そう思って、私はぎこちない笑みを浮かべて、「何でも、ありませんわ」と返事をした。私の後ろにいるマルティーナが微妙な表情をしているのが、私にもよく分かった。


「……そう」

「あ、そ、そうですわ。先ほど、アンナマリア様とお会いしましたの」


 話を逸らしたかった。けれど、出してしまった話題は私が最も傷つく話題だった。


 私は人と話す際に、混乱すると訳の分からないことを口走ってしまう悪い癖がある。


 多分、今回はそれが顕著に表れてしまった。


「あ、アンナマリア様はお美しいですよね。ファウスト様とも、お似合いです」


 自分で言って、傷ついた。まさに、自滅。


 けれど、一度言ってしまった言葉はどう足掻いても取り消せない。そのため、私はただ笑って誤魔化すことしか出来なかった。


「……キアーラちゃん?」

「アンナマリア様、まだこちらにいらっしゃったのです。てっきり、辺境の方に戻られたのかと思っておりまして」


 都合が悪くなると饒舌になる。これもまた、私の悪い癖だ。


 素直になれなくて、コミュニケーション能力も大して高くなくて、面倒な女で。


 こんな私、ファウスト様に相応しくない。そう思ってしまって、どうしようもなく涙が零れてしまいそうだった。


「……ロザーダ伯爵が、しばらく王宮の方に用があってね。彼女もその付き添いとしてこちらに残っているそうだよ」

「そ、そうですの」


 ファウスト様は、私の話題に乗っかってくださった。


 それがありがたいような、辛いような。不思議な感覚に陥りながらも、私は笑う。ぎこちない笑みを、浮かべ続ける。


「……キアーラちゃん」

「あ、あの、私……」

「キアーラちゃん」


 ファウスト様のその手が、私の手首をつかんだ。それに驚いて手を振り払おうとするものの、男女の力の差は歴然であり、逃げるに逃げられない。その際に、ぬぐえなかった涙がポロリとこぼれた。


「どうしたの? この間から、おかしいよ?」

「お、おかしく、なんて……」

「嘘だよね? 俺にはわかるよ」


 ――わかるのならば、私の気持ちもわかってほしい。


 いつまでも妹扱いされて、どれだけ苦しいか、分かってほしい。


 そんな感情が喉元から飛び出そうになって、私は必死に言葉を呑み込んだ。


「……なんでも、ありませんわ」


 感情を必死に飲み込んで、私は冷静を装ってそんな言葉を告げた。


 ファウスト様のその鋭い目が、私のことを射貫く。でも、怯んでなんていられない。


「……そう」


 私があまりにも頑なだったからだろう、ファウスト様はそれだけを呟かれて、私の手首を解放してくださった。


 その目は何処となく悲しそうであり、私の胸にグサッと突き刺さってくる。だけど、泣きたいのはこっちだ。悲しいのはこっちだ。


 そう、思ってしまう自分自身もいた。


「だけど、何かがあったら、遠慮なく言ってね。俺はキアーラちゃんのことが好きだし、いつだってキアーラちゃんの力になりたいから」


 その美しいお顔に、きれいな笑みを浮かべられて。ファウスト様はそうおっしゃった。なので、私は頷く。


 ……やっぱり、ファウスト様は私のことを妹としか見ていない。それを、嫌というほど思い知らされたような気がして、また胸が苦しくなる。


 私が、こんなことを思ってはいけないはずなのに。そんな権利、ないはずなのに。


「殿下~、そろそろ次の予定がありますよ~」


 私たちが無言の空間を過ごしていると、場違いなほどに明るい声――ロメオがファウスト様にそう声をかけた。


 そのためだろう。ファウスト様は「……そう、か」と小さく声を上げられると、私の髪の毛を優しく撫でてくださった。


「じゃあ、俺はそろそろ行くけれど、何かがあったら本当に教えてね」

「……はい」


 髪の毛を撫でる手つきも、そのお言葉も。本当に婚約者に向けられたものではない。幼い子供に、向けられたものだ。


 それを嫌というほどにまた実感して、一人で気持ちを沈ませてしまった。


(……本当に、もう、この関係を終わりにしたいわ)


 そして、自分の中でくすぶっていた気持ちに、決意をつけてしまいそうだった。

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