第6話 アンナマリア様

 その日、私は王宮の中庭を散歩していた。


 というのも、お妃教育が予定よりも早くに終わったのだ。教師の人との家庭の事情とはいえ、休憩時間が長くなったのは素直にありがたい。


 そう思いながら、私はのんびりと王宮の中庭を散歩する。私の後ろではマルティーナが控えてくれていた。


「……はぁ」


 だけど、心は浮かない。


 この間のことが頭の中に蘇ってきて、どうしようもないほどに辛くなる。


 ファウスト様がアンナマリア様と仲睦まじく踊られている。周囲は、私よりもアンナマリア様の方がファウスト様に相応しいとおっしゃる。……心は、とっくの昔に傷だらけだった。


(私だって、頑張っているのになぁ……)


 そう思っても、言えるわけがない。


 だって、その言葉は弱音にも近いから。弱音を吐いては、王太子妃は務まらない。


 そのため、私は凛として立ち続けなければならない。……その決意は、今にも壊れてしまいそうなほどに、グラグラと揺れているけれど。


「お嬢様」


 後ろで控えてくれていたマルティーナが、声をかけてくる。彼女のその目の奥は心配そうに揺れている。


 だから、心配をかけまいと私は「大丈夫」と言って笑った。……ファウスト様に対しても、これくらい素直になれたら、よかったのに。


 そんなことを考えながら散歩をしていると、不意に見知ったお顔の人物を見つけた。


 ふわりと波打つ腰までのウェーブロングの金色の髪は、太陽の光を浴びてきらきらと輝いている。彼女はそこに立っているだけでも気品を溢れさせ、かつ儚げな印象を与えてくる。


「……アンナマリア様」


 そこに立っていたのは、ほかでもないアンナマリア様だった。


 彼女は身体を揺らすこともなく、微動だにせずその場に立っている。その凛とした姿は、近くを通りかかった侍女たちも感嘆のため息を漏らすほどだった。


「どうして、あそこにいらっしゃるのかしら?」


 そして、私の口から零れたのはそんな言葉だった。


 アンナマリア様のおうちであるロザーダ伯爵家は辺境にお屋敷をお構えているため、あまり王都の方にはいらっしゃらない。


 てっきり、この間の舞踏会が終わって辺境の方に戻られたと思ったのに……。


 そう思いながら私がぼんやりとアンナマリア様を見つめていると、彼女は私のことを見つけて驚いたような表情を浮かべた。けれど、その表情は何処となくわざとらしくて、機械のような雰囲気だった。


「あら、キアーラ様。ごきげんよう」


 でも、そんな表情を一瞬で消し去り、アンナマリア様はにっこりとした笑みを浮かべて私に近づいてこられる。


 歩く速度はとてもゆっくりであり、全身から淑女らしさを醸し出していた。


「……アンナマリア様。ごきげんよう」


 私は少しだけ硬直したものの、出来る限り冷静を装ってあいさつをする。そうすれば、アンナマリア様は「……王太子妃教育ですの?」と小首をかしげ問いかけてこられた。その手は頬に当てられている。その際に、彼女の髪の毛についた真っ赤なリボンが揺れた。


「え、えぇ、そんなところ、ですわ」

「王太子妃になるというのは、大変なことですのね」


 ……他人事のような、口調だった。


 いや、実際彼女にとっては他人事であり、関係のないことなのだ。


「まぁ、わたくしならば貴女の倍のスピードでこなせますけれど」


 その目を伏せながら、アンナマリア様はそうおっしゃる。


 ……嫌味、なのよね?


 なんだか、何処となく覇気のないお言葉。


 そんなことを思ったけれど、ここで言われっぱなしはダメだ。王太子妃になるためには、他者に侮られてはいけない。


「さようでございますか。ですが、王太子妃としての教育はアンナマリア様の想像するよりも、大変ですわよ」

「そう」


 会話が、終わった。


 何だろうか。アンナマリア様には、突っかかってくる意思がまるでなかった。


 なのに、私にけんかを売ってくる。それは、歪。それに、彼女の美しいその目の奥に映った感情は……虚無、にしか見えない。


「……ファウスト殿下には」


 その後、アンナマリア様はにっこりと笑ってファウスト様のお名前を出される。その所為で、私の身体がびくんと震えた。


「きっと、貴女よりもわたくしの方が似合います」


 静かなお声だった。


 まるで、用意された定型文を読み上げるかのような。そんな声音。


 だから、特別気にする必要はないのに。……この間のことが脳裏に焼き付いている私にとって、その言葉は何よりも大きな攻撃になってしまう。


 ぎゅっと手のひらを握りしめて、唇をかみしめる。そんな私を見ても、アンナマリア様は何もおっしゃらない。


 今が、攻撃する大チャンスだというのに。追撃を、しない。


(……なんていうか、歪、だわ。この間とは、別人みたい)


 私の頭の中に、そんな考えがよぎる。


 この間ファウスト様と踊っていらっしゃったアンナマリア様とは、違う人物のようだった。


 そう思ったけれど、それは気のせいだと自分に言い聞かせる。だって、こんなにもお美しい人を間違えるはずがないもの。


「まぁ、せいぜい頑張って頂戴」


 最後にアンナマリア様はそんなお言葉で締めくくった。


 ……そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、私は胸の前で手を握る。


 ……やっぱり、私とファウスト様は似合わないのではないだろうか。


 そんな考えが、脳内を支配した。

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