閑話1 大切な婚約者(ファウスト視点)

「殿下、ちょっと殿下ってばぁ!」

「うるさいなぁ」


 後ろから慌ただしく走ってくる男に心の中で舌打ちをし、俺はそちらに視線を向ける。


 すると、そこにはいつものようにへらへらと笑った俺の専属従者がいた。


「歩くの早いっすよ~!」

「別に、お前を労わるような趣味はないよ」

「本当に俺にはきついんすからぁ」


 そう言いながらも、俺の専属従者――ロメオは笑みを崩さない。


 その表情が無性に腹立たしくて、また内心で舌打ちをした。


 俺は世間一般では大国と呼ばれているセルヴァ王国に生まれた。身分は第一王子。十八歳の頃に立太子し、今ではそこに王太子という身分が加わっている。


 年齢は二十九。この国では大体三十代半ばで王位を継ぐことが多いので、俺もそろそろかな……とは思っている。まぁ、父上はぴんぴんしているし、隠居の文字もないからもう少し後かもしれないけれど。


 そこは別に問題ないかなとは思う。


「殿下、今日はいつも以上に不機嫌っすねぇ」

「……お前の顔を見たら、余計に不機嫌になっちゃった感じかな」

「ひどっ」


 ロメオはそう言いながらも、本当に笑みを崩さない。


 この笑顔の仮面にすべての感情を押し込め、こいつは生きてきたのだろう。


 そういうところを気に入って専属従者にしたので、その点は問題ないのだけれど。ただ、そのちゃらちゃらとした口調だけは直してほしいと常々思っている。


「お前、いつも思っているけれどその口調を直してくれないか?」

「いやっすよ~。そもそも、殿下だって俺が急に丁寧な口調になったら驚くっすよね?」

「……そりゃそうだけれどさ」

「そういうことっす」


 本当にああいえばこういう奴だ。


 そんな口が減らないところも、割と気に入っているけれどさ。


「そういえば、キアーラ様。今日も浮かない表情でしたねぇ」


 そんなとき、不意にロメオはその真っ赤な目を細めながら、そう告げてくる。


 だからこそ、俺は「……そう、だな」と小さな声で言葉を返した。


 キアーラ・ストリーナ嬢。


 それが、俺の婚約者の名前だ。年齢は十九で、俺よりも十歳年下。代々王国に尽くしてくれているストリーナ侯爵家の娘ということもあり、とんとん拍子に婚約が決まった。


「多分ですけれど、殿下がいつまでも妹扱いされているから、不貞腐れちゃっているんですよ」

「……そうだとして、どう関われと?」

「そりゃあ、婚約者としてレディ扱いしなくちゃ」


 そう言われても、すぐに出来たら苦労はしない。


 俺は昔からキアーラ嬢のことを「キアーラちゃん」と呼んできたし、そもそも年齢差がある。だから、余計に思ってしまうのだろう。


 ……俺は、キアーラ嬢に似合っていないと。


(キアーラ嬢の美貌は人を惹きつけてやまない。……世間一般的にはアンナマリア嬢の方が美しいと言われているけれど、俺からすればキアーラ嬢が一番なんだ)


 幼少期から見てきたからかもしれない。どんどん美しく育つキアーラ嬢のことを、見守ってきたからなのかもしれない。


 そう、思ってしまうのは。


「殿下だって、キアーラ様のことがお好きでしょう?」

「……まぁ、そうだな」


 ロメオのその言葉を、静かに肯定する。


 実際、婚約したばかりの頃は、キアーラ嬢を妹としか見ることが出来なかった。


 俺の後ろをちょこちょこと歩き、必死に大人びようとしているキアーラ嬢が可愛くて仕方がなかった。


 だが、最近は違う。……あれは、キアーラ嬢が十七を迎えた頃からだろうか。……なんというか、雰囲気が突然変わったのだ。


 それは多分、大人になったということだったのだろう。


「キアーラ様、本当に健気ですねぇ。こんな殿下に尽くしてくださるなんて……」


 涙を拭うフリをしながら、ロメオはそんなことを言う。


 ……尽くしてくれている、か。


 多分、それは間違いではない。キアーラ嬢は俺のことを一番に考え、王太子妃になるべく教育も真剣に受けている。


 ……そんな彼女に、俺はいつしか惹かれていた。


 だけど、長年培った兄と妹のような関係は抜けきらない。一歩を踏み出してしまえばいいのかもしれない。


 それは、分かっている。理屈ではわかっているのだけれど……どうしても、踏み出せない。


 その理由は単純明快だ。俺が、弱いから。


(キアーラ嬢に迫って、嫌がられたらショックなんだよな……)


 そもそも、俺はもう若くない。婚約したばかりの頃の年齢ならば、ぐいぐいと迫っていたように思う。


 ただ、三十路を前にして十歳も年下の女の子に迫る度胸がないだけ。……つまりは、ヘタレなのだ。


「殿下も、ほらっ! いっそ溺愛みたいなことしちゃいます~?」

「……その溺愛とか、意味が分からないんだけれど」

「あっ、じゃあ、俺のおすすめの恋愛小説お貸ししましょうか? 女性向けのものっすけど、面白いっすよ~」

「お前のその多趣味は見習うべきかもしれないな」

「褒めても何も出ないっす~」


 ……ロメオは、少し褒めたらすぐに調子に乗る。


 そのためあまり褒めないようにしていたのだけれど……さすがに、読書の範囲が広すぎて褒めざる終えないな。


「……女性向けの恋愛小説でも読めば、俺も少しはまともにキアーラ嬢に関われるのかなぁ」


 今どきの若い女の子の思考回路はこれっぽっちもわからない。十代後半の頃ならば、まだわかっていたと思う。


 まぁ、その理由は悲しいことに遊んでいたから、なのだけれど。


「ま、努力次第っすね」


 けど、ロメオにそう言われるのは癪だった。


 そう思いながら、俺は歩く。キアーラ嬢のことを、考えながら。

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