第5話 壊れてしまいそうな恋心

 その後、私は舞踏会の間貼り付けたような笑みで過ごし、ストリーナ侯爵家のお屋敷へと戻ってきた。


 いつ見ても遠目から見ても、煌びやかな外観をしているのはこのストリーナ侯爵家が、代々大臣や宰相を輩出してきた名家だからだろうな。


 実際、私の二人のお兄様はとても優秀であり、王宮でそれぞれ文官として働いているもの。


(……それに比べて、私は)


 お兄様方に比べて、私は何なのだろうか。


 王太子妃としての教育はそこそここなせているし、教師たちも「上出来です」と褒めてくれる。マナーもダンスも、完璧だと言われる。


 ただ一つ問題があるとすれば……それは、コミュニケーション能力。私は上手く人とかかわることが出来ない……というよりも、人見知りが激しい方なのだ。


「そういえば、初めてファウスト様にお会いしたときも、上手くお話できなかったわね……」


 私室に戻ってきて、ふとそう零す。


 私がファウスト様と出逢ったのは、私が七歳の頃だった。


 当時のファウスト様は王太子ではなく、ただの第一王子様。ただし、立太子は確実だと言われており、周囲からの人気もとても高かった。


 そんな私がファウスト様と二人きりで対面できたのは、ひとえにお父様のお力のおかげ。


 たまたまお父様と国王陛下の仲がよくて、「じゃあ、対面させてみようか」という軽いノリだったそうだ。


「……あの頃のファウスト様も、とても素敵だった」


 そして、当時のことを思い出してそう零す。


 当時のファウスト様は十七歳であり、美しいというよりはかっこいいというイメージだった。


 今は年齢を重ねて落ち着いたのだとご本人はおっしゃっていたけれど、あの頃はそこそこ遊ばれていたらしい。


 まぁ、悪い遊び方ではなかったらしいので、国王陛下も特に咎めなかったと。


 私は、初めてファウスト様を見たときに恋に落ちた。あのかっこよくて美しい男性の側にいたい。七歳の子供ながら、恋心を抱いたのだ。


 ファウスト様は私を子ども扱いこそされたものの、一人のレディとして扱ってくださった。「キアーラちゃん」と呼ばれるのが、当時はとても心地が良かった。


 そして、私はお父様にわがままを言ってファウスト様の婚約者の座を射止めた。……いいや、この場合は射止めたというわけではない。ごり押ししたのだろう。それは、分かる。


 だけど、こんな関係になるなんて……思いもしなかった。こんな風に悩むことになるなんて、想像もしていなかった。


「……壊れちゃいそう」


 私の心と身体を恋心がむしばんでいくような感覚だった。このままファウスト様のお側に居ても、辛いことになる。


 わかっている。


 それに、国王になられたら側妃を娶られてもおかしくはないのだ。セルヴァ王国では国王に限って複数の妻を持つことが許されている。


 だから、ファウスト様も私以外の女性を娶られる可能性があった。


 ソファーでクッションを抱きしめながら一人唸っていると、不意に私室の扉がノックされる。


 慌てて顔をあげて「どうぞ」と返事をすれば、一人の女性が顔を出した。


 顔を見せたのは、私の専属侍女であるマルティーナだった。彼女はいつものように茶色の髪をきっちりとお団子にし、その目を柔和に細めている。


「お嬢様。お疲れでしょうから、お茶をお持ちいたしました」


 マルティーナは私の表情を気にすることはなく、そう言ってワゴンをお部屋の中に入れる。


 鼻腔をくすぐるのは、私の大好きな紅茶の香り。……少しだけ、心が落ち着いたかも。


「もう遅い時間ですので、お茶菓子などはありませんが……」

「……いえ、いいのよ」


 確かに時計の針は午後八時を指している。私は甘いものは好きだけれど、太るのは好きじゃない。そのため、文句を言うつもりはなかった。


「それにしても、お嬢様。浮かない表情をされていますが、何かありましたか?」


 私が紅茶を口に運んでいると、ふとマルティーナが声をかけてきた。


 ……マルティーナにだったら、私の気持ちを話してもいいかもしれない。


 そう考え、私は「……ファウスト様との、関係のこと」と小さな声で言葉を紡ぐ。


「私、このままだとダメになっちゃいそうなの。……ファウスト様のことが、好きで好きで仕方がなくて……」

「……お嬢様」

「だけど、ファウスト様はいつまで経っても私のことを子ども扱い妹扱い。……こんなの、辛いだけなの」


 紅茶の入ったカップをテーブルの上に戻し、自分の膝を抱きかかえる。こんなことをしているから子供っぽいのだと言われるかもしれない。だけど、長年の癖はなかなか抜けなかった。


「……ご自分のお気持ちを、お伝えしてみては?」

「それも、考えたわ。でも、私の性格上素直になれるわけがないの。……それに」

「それに?」

「もしも、女性としてみることが出来ないなんて言われたら、私は一生立ち直れない」


 目を瞑って、私はそういう。


 十一年も想い続けたのに。そんな風にあっけなく恋心を散らしたくなかった。


 理屈では、散らした方が楽だとわかっている。なのに……心が、分かってくれない。


 辛くて、辛くて、おかしくなってしまいそうで。


 ――恋心に、押しつぶされてしまいそうだった。

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