第3話 優しさが辛い

 それから、二人で並んで時間を過ごす。


 私とカッリストの間に恋愛感情は一切ない。幼少期から付き合い続けていれば、自然とそうなってしまうものだ。


 けれど、時々思ってしまうのだ。私がファウスト様の婚約者に選ばれていなかったら、私が結婚する相手はカッリストだっただろうなって。家柄も互いにちょうどいいわけだし。


 ちらりとカッリストの横顔を見つめれば、彼のその漆黒色の目が視界に入る。ファウスト様は鋭い目をしていらっしゃるけれど、カッリストは違う。たれ目がちで、どちらかと言えばおっとりとした印象を与えてくる。


「なぁ」


 そんなことを考えていると、ふとカッリストが声をかけてきた。だから、私は「何よ」とツンとした態度で言葉を返した。


 私は、人よりも素直になれない性格をしているらしい。ファウスト様はそんな私のことを「可愛らしい」とおっしゃってくださるけれど、彼だって本当は素直に愛を伝えてくれる令嬢の方が良いはずなのだ。


「お前、ファウスト殿下とこのまま結婚する気か?」


 カッリストのその言葉に、私の胸につんざくような痛みが走った。


 カッリストも、ファウスト様には私よりもアンナマリア様の方が似合うと言いたいのだろうか。


 そう思ったら、不意に涙が込み上げてきた。必死に拭って、彼には見えないようにと抗う。


「……僕は」


 私の気持ちなど知りもしないカッリストは、私の方に視線を向ける。その漆黒色の目は、とても美しい。だけど、ファウスト様の方がきれいだ。そう思ってしまうのは、惚れた弱みなのだろう。


 ずっと、ずっと好きだった。一目で恋に落ちた。あの素敵な王子様のお隣に、並びたい。そんなわがままで、私はファウスト様の婚約者となった。十一年も、前から。


 本当ならば、ファウスト様だって年齢の近い令嬢の方がよかっただろう。でも、彼は私を選んでくださった。


 ……舞い上がるくらい、嬉しかったのに。今はこれっぽっちも舞い上がれない。喜べない。


「……カッリスト」

「僕は、キアーラに幸せになってほしいと思っている。だから、婚約の解消も考えた方が良いんじゃないか」


 カッリストの目が、私を射貫く。


 婚約の解消をして、幸せになれるとは限らない。婚約の解消をしてしまえば、私には貴族令嬢としての価値がなくなってしまうから。……もう、幸せな結婚は望めないだろう。


(だけど、それは本当?)


 もしも、このまま王太子妃になったところで、幸せな日々はないのではないだろうか。


 ファウスト様のあの妹扱いがなくならない限り、私は彼に愛されないのではないだろうか。


 女性として、妻として、見てもらえないのではないだろうか。


「……だけど、婚約の解消をしてしまえば、幸せな結婚は望めなくなってしまうわ」

「……そのときは、その」


 私の言葉を聞いたカッリストは、仄かに頬を染めながら私から視線を逸らした。


 しかし、その手は私の手を掴もうとしているのか、宙を彷徨っている。……なんだろうか、変なカッリスト。


「ぼ、ぼ、ぼく、と……」


 カッリストが何かを言いたそうなので、きょとんとしながら待つ。


 一分、二分、三分。しばしのときが経ち、カッリストは意を決したように私の目を見て口を開いた。


「僕と――」


 そして、何かを告げようとする。だけど、遠くから「キアーラちゃん!」と私を呼ぶ声が聞こえてきて、私の意識は一気にそっちに引き寄せられた。


 だって、その声は……ファウスト様のお声だから。


「……ファウスト様」


 ファウスト様は私の方に寄ってこられると、「どうしたの? 調子、悪いの?」と顔を覗き込んで問いかけてくださる。


 ……何も、分かっていらっしゃらないのね。


「キアーラちゃんが何処かに行っちゃったから、心配していたんだ。……気分が、悪い?」


 優しい声音だった。多分、普通の令嬢ならばファウスト様にそう声をかけられたら、舞い上がる。


 けれど、私は舞い上がれない。だって、その優しさは婚約者に向けられたものじゃないから。妹分に、向けられたものだから。


「ち、がう」

「じゃあ、何があったの?」


 どうしよう。素直に言った方が良いのだろうか?


 嫉妬した。私だけを、見てほしい。


 そう、言った方が良いのだろうか? でも、言って面倒な女だと思われるのはもっと嫌。


 私の中でせめぎ合う感情たちは、どう言い表せばいいかがよく分からなかった。ただ、ファウスト様の手が私の白銀色の髪をなでるのが、心地いいことしかわからなかった。


 膝の上で手を握り、「……ファウスト、さま、は」とゆっくりと声を発する。


 そうすれば、ファウスト様は「……うん」と返事をくださって、私の言葉を待ってくださった。


「私のこと、どう思っていらっしゃいますか?」


 言った。言ってしまった。


 そう思って後悔するけれど、言ってしまった言葉は取り消せない。そのため、静かにファウスト様のお言葉を待つ。


 そうしていれば、彼は一瞬だけ目を見開いた後「……好きだ、よ」とその表情を緩めておっしゃってくださった。


「俺は、キアーラちゃんのこと、好きだよ」


 その目が、柔和に細められている。


 好き。ずっと、欲しかった言葉。


 なのに、違う。だって、ファウスト様がおっしゃっている『好き』は――。


(私のことを、妹分として好き。そう、おっしゃりたいのよね)


 そういうことだから。

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