第10話─花咲さんは元聖女

■■

 欠伸を漏らす。肩には参考資料やらルーズリーフやらが詰まっているので腕を高くあげることは叶わない。

 暑くなってきた。歩くとじんわり汗がにじむような気がする。早急に対策を立てなければならない。

 駅まで向かう前にコンビニに立ち寄る。新作のおにぎりを今のうちに買うか。それとも昼は学食にするか。お弁当という案が出てこないあたりが二年目にしてもう堕落した生活感がうかがえるというものだろう。

 「魚住さんではないですか」

 「糸魚川さん。おはようござます」

 糸魚川さんは前回みたスーツとは似ているようで違う服装だった。

 ジャケットの中には白い肌触りのよさそうな白いTシャツ。スラックス。靴もきれいで、生活というか品の良さがよくでている。

 私と言えば着がえるのが楽なノースリーブのワンピースに薄手のカーディガン、汚くはないが使い込まれたスニーカー。 と、どこにでもいそうででも絶妙にダサい大学生の服装をしていた。

 既に糸魚川さんにはルームウェアプラスほぼすっぴん顔を晒しているので怖いモノはないが、それは限られた空間での出来事である。コンビニとはいえ一目のある場所で生きるステージが数段階違う人と一緒にいるのは気まずさを覚えてしまう。

 それも私だけが過敏になっているだけで、糸魚川さんは気にしなさそうに笑顔を保って近づいてくる。

 カリオンは人好きするタイプだが、こんなにニコニコした性格ではなかった。初めの印象はならず者、無頼漢という風体で徐々に人好きする箇所が見えてきた。

 不器用ででも懐に入れば容易く笑顔を見せてくれて、忠義をもって尽くす、そんな人物だったような気がする。

 糸魚川さんは悪乗りがすきそうに見える。もしかしたら前世とかは関係なくて、ただ花咲さんの小説に感化されてこちらをからかっているだけなのかもしれない。

 「偶然ですね。私は今から花咲のところへ行く予定で」

 「花咲さん今日は講義ないんですね」

 「午後からありますよ」

 「そうなんですね」

 担当編集はそこまで管理しているのか。見ると糸魚川さんの手には乳酸菌飲料などが握られている。期間限定か試作品かでレモン風味のそれは人を選ぶ味のものだ。差し入れなのだろうか。アパート近くの薬局の方が安いことを伝えたほうがいいのだろうか。

 「魚住さんはこれから大学ですか」

 「はい」

 「いいですね大学生。私も戻りたいです」

 糸魚川さんの一人称は“わたくし”。どうにもそこがとっつきにくいというかカリオンと繋げられない一端なのかもしれない。彼の一人称は“オレ”だった。そういえば聖女の一人称は“わたくし”だった気がする。

 もしや、という勘ぐりをするがそれはすぐに覆される。

 「魚住さんは、オレの今の姿が気に入りませんか」

 一人称が揺れた。綿貫と同じように、ダブる。その顔が。その口調が。面影が。似ていないはずなのに在り日をを想起させた。

 「えーと、丁寧で素敵ですよ。カリオン?」

 目が泳ぐ。糸魚川さんの顔は先ほどと一ミリと変わっていないのに口調と雰囲気ががらっと変わってしまった。

 ここでその言葉を言うと、まるでネトゲのオフ会えHNを呼ぶというみたいな状況でオフ会をするとこういう気恥ずかしさと戦うことになるのかと意味ないことを考えてみる。

 相手は、首を傾げる。あれ、本当にこの人はノリで生きていてからかっているだけだったのだろうか。ダブった顔や眼差しは、思い込みの魔法だったのかもしれない。

 「覚えてらしたんですね。気取った挨拶をしても顔色を変えようとしないから、お嬢様の気質はそのままだと納得しましたが、分かっているとは思いませんでした。あ、それと隣室だからといって鍵をかけ忘れるのは言語道断ですよ。オレを警戒して最初に部屋にいれないのは的確な判断でした」

 「………思い出してきたっていうか。前世とかそういうのは半信半疑だけど。あなたが……糸魚川さんがそうなら認めないと、ですね」

 懐かしくなるあまり敬語が外れてしまった。

 あの護衛騎士は私に忠誠を尽くすといい実際、その通りの生きざまを貫いた気がする。そんな彼が生まれ変わったという話が本当ならば、私に嘘をつくはずないと根拠もないのにそう思った。糸魚川さんは、カリオンだったのだろう。小言を付け足す感じが彼そのものだ。認めるしかないと脳の深いところが信号を発していた。

 「敬語でなくて結構です。むず痒い。糸魚川として自己は確立しているつもりでしたが、主人であるという前提は覆せないようです。あとさん付けもその、出来ればやめてください」

 「……まあ、いいか」

 年上の社会人にタメ口と遣うなどというのは気が引けるが、なんとも彼の前で敬語を遣うほうが恥ずかしいという感覚の方が先立つ。諦めるようにうなずく糸魚川は満足そうにうなずいた。

 「はい。御心のままに」

そういえば、よく言っていた言葉である。小説には確かその台詞は引用されていなかった気がする。やはり、糸魚川はカリオンだったのだ。

 「さん付けは人前ではするけど」

 「はい。もう十分です」

 糸魚川は私の分までお会計をしようとするので、それは静止しておく。奢られる所以はまったくない。作家の差し入れならば、経費なのだろうと説くとこれは自分用だから関係と返ってきた。

 「ここのポイント貯めているんですよ。お皿ほしくて。花咲の分なら横の薬局の方が安いし領収書の処理もやりやすいので。あと駅まで送ります。急いでないので」

 そういうところは変わっていなくて気質というのは変わらないものらしい。

 もう護衛騎士ではないのでべったりくっつけはしないですけどねという前世ジョークが出てきた。世渡り上手になる才能が開花したのかもしれない。

 同じで違うというのがよく分かった。

 聞きたいこともあるので同行を肯定する。

 「前世とかそういうの思い出すのにきっかけとかあったの?」

 これはずっと抱えていた疑問だ。綿貫はある朝、急に転生したと言い出して参考にならない。

 では、糸魚川ならどうなのだろう。彼が私に嘘をつくことはないという大前提で一番聞きたいことをそのままぶつける。

 糸魚川がうーんと目線を空に持っていく。


 「花咲はあの聖女なんです」


 目線を戻すと糸魚川は真面目にそういう。

 これは最近の既視感だと思う。案外話の切り口の仕方は同じでお似合いなのかもしれない。

 今度は私天を仰ぐ番となった。カリオンであった糸魚川がそういうならば、ここで熱中症ではないのかと疑ってスポドリを差し出すことはしなくていいのだろう。

 ここにきて花咲=聖女説は私の中で確実なものとなる。

 騎士と令嬢の信頼と実績である。

 「聖女には、特別な力があったということか」

 私がいうと糸魚川は頷いた。

 「もしかしたら、聖女の傍にいればお嬢様と再会できると思っていましたが、流石聖女」

 「この世界も聖女が好きなのね」

 棘のような言葉が出てきてしまい眉を顰める。自分が自分でないような。レテシーの嫌な部分も自分にはしっかり残っているのだろう。

 「聖女、ですからね。しかしながらオレももう私と同化しています。花咲は、自分にとって魚住さんよりは大切な存在です」

 「だろうね。ここにきて、レテシーであった私の方に何かあったら正気を疑うよ」

 「忠誠や小言は消えませんが」

 「………カリオンとしてのね」

 「そうです。糸魚川としては、花咲陣営です」

 「陣営ってなにさ」

 「派閥です」

 「久々に聞いた。やな言葉。それでやめたのに。それでついてきてくれたのに」

 「でももう、お嬢様にもいるでしょ。魚住陣営のヒト」

 「綿貫?そりゃ、もう護衛騎士より親友をとるよ。信憑性はあなただけど」

 「綿貫さん。あの人、高貴な出ですよね。つぶやきから前世関係者というのは分かりましたが……。紅茶も好きだし。あの王太子、王様になった方の妹君?とか。正直アリアナやレテシーお嬢様以外は見分けつく自信はありません」

 「だとしたら、魚住陣営ではなくて綿貫陣営なんじゃない?」

 糸魚川は、私の元婚約者であった王太子(王)=綿貫の図式には至ってないらしい。王太子の名残もあの猫みたいな目だと思うので、思い当たるなら妹の方が確実ではある。

 「私の主はお嬢様ですから」

 「そう。別にいいけどそんな言葉遊びは。対立も何もない世界だから」

 「そうですね。微笑ましい関係を築けたのであれば何よりです。それで、魚住さん、うちの花咲よろしくお願いします」

 「えー、うん。聖女と私はそもそも仲良くないけどね。今の花咲さんとは友達だから、そんな大事みたいに頼まなくても」

 「オレは運命論なんか大嫌いですが、聖女は特別で、そういう日の元に生まれていると思います。悲劇を是としないというか。でも世界に愛されていても、仕方ないのでしょうね」

 「よくわかんないな……。私には本当にこの状況が」

 糸魚川が立ち止まる。それに合わせて自分も足を止める。すると背後から聞き覚えのある声がした。息が上がっている。

 「うおず、みさん。き、奇遇ですね。こんなとこで、会う、なんて。それで、そのなんで糸魚川さんと、いっしょに、」


 昨今の奇遇は息を切らして走ってくるものだろうか。


 膝に手をっついている花咲さんの背を糸魚川が落ち着かせるように撫でる。それでなんとなくこの二人の信頼感というかただの作家と編集という関係ではなく、友情みたいなのもあるのかもと察する。

 花咲さんはもういいという風に手を振って糸魚川の行動を制止する。

 私の方を真っすぐ見て、いつもの爽やかな笑顔をしようとするが汗が目に入ったのかぎこちない。

 ハンカチを渡す。

 変な感覚だ。ハンカチを渡すほどの関係だろうか。その際、花咲さんの手が触れる。



────────そういうところが苦手だった。


──────人に弱さを見せても愛されて、助けられる。


──────好意を一心に受ける癖に、驕るようなこともなくて、誰よりも清廉で周りに捕らわれないように藻掻いていた。


──────もがく姿は姿を見せるのは醜いはずなのに、あなたはずっと美しいから、


────────────私は初めて、人を嫌いになった。





 頭痛が走った。目がちかちかした。気分が悪いのは目の前の花咲さんであるはずなのに、視界が一瞬ぼやけて、どことも知らない感情が流れ出して何かを埋めていく。


 「そういうことか。そういうことね?」


 ぐらつく私を糸魚川が支える。ハンカチを受け取って締まりない笑顔で額を拭いた聖女が驚いた顔で手を伸ばす。私はそれを反射的に払いのけてしまう。施しは受けないとでもいうように、だ。

花咲さんは寂しそうな顔をした。申し訳なく思った。これは魚住としての感情だろうか。


 花咲さんは、聖女だ。

 それで、私は聖女を嫌った令嬢の一人。

 婚約者を奪われたからでもなく、

 ただただただその存在が疎ましいと思ったのに何もせずに何もなさずにその場を去った物語になんの彩も与えなかった令嬢だ。


 「ちょっと今日は落とせない講義なのに……」


 現実的な自分のつぶやきと相反するように瞼が閉じる。とても衝撃的な体験だ。

 これは断言できるというものだ。

 綿貫、疑ってごめんね。

 意識を失う直前に友人への言葉が出てきたとうのはなんとも、自分が前世に捕らわれていなくて安堵していいのか。どうやら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る