INNOCENT3
INNOCENT SUCCESS!
今日も見慣れた一文と共に退勤した。
何も起きない日々が続いている。
ネイは沈みゆく夕日の中、ホバーボードを滑らせ、デバイスでは夕食を選んでいた。
気に入って何度も食べた決まった店のレトロカレーは、先週から食べていなかった。配達のドロイドが個人的にラッシーをおまけしてくれるようになるほどネイは贔屓にしていたが、今週ネイが毎日食べているのはかつてあった小さな国の伝統料理を模したものだ。白く丸く、堅そうに見えるのに少し温めるとほかの何とも違う食感になる不思議な食べ物だった。これに多様なソースをつけて食べる。歯に纏わりつくのが煩わしかったが、ネイはそれも楽しんでいた。
今日のソースをどれにするか選び、配達時間を数時間後に指定して注文を入れたところで廃墟に着いた。
ネイが初めて訪れた今日の廃墟は、瓦礫が積まれているだけのところはネイの好み通りだったが、建物を支えていたのであろう五本の柱が高くそびえ立っているところが他と違っていた。柱の間には、破れて色褪せてはいるものの、屋根の名残だとはっきりわかる縞模様のビニールがところどころ残っていた。建物は住居ではなく、一時的な遊戯用のものだったのかもしれない。あろうことか、付近には点々と小さな黄色い花まで咲いている。柱の上部には横に伸びる梁も残っており、珍しいことに、つる植物が絡み合い、朽ちた二本の梁を支えていた。植物の葉は水分をたたえ、落ちかけた日に葉脈を照らさせている。
花に興味のないネイには、何の種類かはわからず、想像することもしなかった。
生命力のあるゴミだな。
デバイスが勧めてきた廃墟だったので疑うことなく訪れたが、好みとは遠い場所だったことにネイは嘆息した。腹いせに、頭上に垂れ下がる朱色のビニールを力任せに引っ張ったが破けなかった。
今後のレコメンドからこの生命力を排除するにはどんなワードを指定したらいいだろう。これほどまで立派に植物が育つ土壌を持つスポットは表示されない設定だったはずだが、勘違いだったか?それともこの植物がまだ新しく、うまく除外できなかったのかもしれない。日が落ちきる前に、違う廃墟に行こうかな。その前に今の設定を確認して……。
「何してるの?」
ネイがデバイスを操作し始めたとき、少し遠くから声をかけられた。
自分以外がこの廃墟にいると思わなかった。今来た誰かだろうか。土地の持ち主ではないのは間違いない。この場所はもう管理されてないはずだ。同じように写真を撮りにきた誰かだろうか。
「何って、この場所の、写真を撮りに……」
声がしたほうに向かって返答したつもりだったが、振り返った先に声の主はいなかった。周囲を見渡し、地面に落ちた影の形に気づき、見上げる。
足を投げ出し、柱上部に残る梁に人が座っているのが見えた。オレンジ色の夕日を背負っているせいで、まるで塗りつぶされた影そのもののようだった。
影は「シャシン」と呟き、梁から軽やかに飛び降りた。ネイの顔を見上げ、細い指でネイの瞳に薄くかかるデバイスを指さす。
ネイより背は低く、肩のところで髪が揺れていた。肌は黄緑色をしていて、瞳が丸く幼い。どのくらい年下だろうか。
「これがシャシン?」
「そうだよ」
ネイは突然現れた人物に写真が何たるかを説明する気は毛頭なかった。カメラや写真の存在を知らない現代人は珍しかったが、まったくいないわけではないだろう。この手の人物に何かを理解させることがネイには面倒で、脳内ではすでにこの場所を離れる算段を練り始めていた。夕食の配送時間を早めるようデバイスから依頼する。
「君を一枚シャシンにしてあげる」
そう言うと、デバイスを珍しそうに眺めている人物から一歩距離を取り、バストアップが映るように蛍光グリーンのフレームを操作した。被写体の背後にある廃墟の梁と柱がちょうど四角形を作っている。その中心に収まり、目線のみをこちらに向けている。肩からむき出しになっている華奢な腕と首がしなやかだった。
フレームを梁と柱の直線に合わせ、それらしさを演出するため、わざと操作音を出して、微笑んでいる表情にピントを合わせた。
夕日がまだ落ちきっていないため逆光が激しく、このまま撮影すれば被写体は墨のように真っ黒い影となるだろう。黄緑色の皮膚が判別できるよう、反射的に光量を調節しかけてやめた。
「撮るよ。目を閉じないで」
告げて、逆光対応の設定をせず軽く瞬きをした。いかにもそれらしい大げさなシャッター音が軽く響く。
「シャシンになった?」
人物が体を動かさないまま、軽く首を傾げてネイに尋ねる。
「写真になったよ。今度見せてあげる。今日はこれで」
ネイは感情を込めずに言うと踵を返した。ホバーボードをすぐに発信させる。デバイスの右上に、今日の夕食が間もなく配達される旨の通知が点滅している。今日ははやく食べて、久しぶりに湯に浸かりながらデバイスのメンテナンスをしようと、ネイはホバーボードのスピードを速めた。ふと先ほど撮った人物の写真を確認する。思ったとおりの写りだったが、これはこれでまあいいかとネイは思い直し、そのデータを保留のフォルダに投げておいた。
そこに写っていたのはほぼ暗闇となった廃墟の中で、かろうじてコンクリートの素材が判別できる程度の梁と柱で作られた長方形のフレームのみだった。ずっと昔の絵画と似た微笑みをたたえていた顔も、見たばかりの黄緑色の皮膚も、黄色の花すらも、元からそこになかったかのように補正されていた。
ネイの写真にはネイの好きなものしか写らないからだ。
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