INNOCENT2

 ネイのカメラにネイ自身が好むものしか写らない設定を施したことを知ったフォンに、同じパーソナライズの手順を教えたのはつい先日のことだ。


 すぐに喜んで好きな花を撮りに行って写真を送って見せてきたが、フォンはどれも灰色だと文句を言ってくる。眉を下げ、声を不安げに落とし、血液のような赤い瞳を潤ませながら。ネイがフォンのデバイスにアクセスして設定を確認しても、自分のものと変わりなかった。それをフォンに告げるべく目線を合わせようとするも、フォンの左目は射貫く右目とは違い、ネイの視線と合わされることはなかった。

 ネイはフォンに、眼医者に行くべきだと、今日も告げられていない。



 目的地の廃墟へ着き、ホバーボードを停めてからは目線を動かしながら、何度か気に入った角度から瞬きを繰り返した。もう数分したら日が落ちて、かすかな夕日も残らない暗さに包まれるはずだ。

 撮りたいのは闇の中の瓦礫だった。太陽の光すら当たらない景色のほうが、無意味さが引き立ち、ネイの目にはより魅力的に写った。

 

 フォンはもう家に帰っただろうか。

 ただの石のゴミとなったかつて壁としての役目を果たしていた瓦礫の上に座り、ネイはまるで自らも花か何であるかのごとく綻ぶフォンの笑顔のことを考えていた。辺りは静けさを保っている。

 レンガの隙間から伸びる一筋の夕日はそこだけレーザーのように細く異質で、なんとなく目を離せない。光量を落とすことなく周囲を包むレーザーの夕日は、多角形のゴミを均等に染めていた。

 フォンとはインサツの職場で知り合い、同じカメラの趣味がきっかけとなってよく話すようになった。カメラはもう骨董品の烙印を押されて百年だが、流通量も多く、手に取る者は少なくなかった。自分の目にした景色を形に残したいと望むことは、長い近代の歴史の中で、ずっと変わらず続く価値観のようだった。

 フォンはネイと似ていない。フォンの好きなものはたなびくオーロラや止まらない波、今まさに目の前にある、覆うようなオレンジ色の夕日などで、「ダブルパート」を観たネイに感想をきくと、妖精のウィギを応援するよ、花びらみたいなスカートがきれいだし、と返答が返ってきた。ネイはそのことに、心を乱さず相槌を打てそうでよかったといつも人知れず安堵した。

 フォンの危なっかしい細い足首がとりわけ力強くうねるのは、道の隅に咲く花へ向かうときだった。一緒に徒歩で帰路につくと、よく花が咲く珍しい場所までネイの手を引いては、ネイが相槌を打つのも待たずに花の話をしていた。居住区域の道に花が咲くことは珍しいことだったが、フォンはどの花のこともよく褒めていたように思う。

 フォンのよく動く表情は覚えていたが、どんなことを熱弁していたかを、ネイは思い出せなかった。フォンの眼玉の中にある虹彩の形のほうがよっぽど興味深いと思っていた。


 フォンの瞳の中にも花のような形があることに気づいてる?


 フォンとの会話の中でその一文すら伝えないのはなぜだったろうか。

 フォンの焦点が合わなくなった左目、いつも見当違いのほうを向くようになった底知れない、震える瞳孔。自分の目の異変に気付かないまま、ずっと同じカメラへの疑問を持ち続けるフォンに、眼医者に行くべきだと、一緒に行こうと、どうして自分はずっと伝えようとしないのだろう。職場でいくらでも会うことはできるし、デバイスがあるのだからその一言を伝えることなどいくらでも手段はある。

 フォンの目の異変に気づいてから何日が経っただろう。

 ネイがその日数を数えながら目を伏せるとともに、石や瓦礫を立体たらしめていたオレンジ色の気配が消えた。

 夕日は眩しかった。




 

「昨日のダブルパート制作陣のラジオきいた?」

 翌日の昼、今日初めてネイに向けられた声だった。振り返ると、見慣れた赤いファイバーの絡まる癖毛と赤い瞳が目に入った。歯は均等に整列しているのに、右上を向いたままの左目とこちらを見つめる右目がアンバランスで、コンベアから持ち上げたばかりのチーズナンの皿を傾けそうになる。

「さっき聞きながらきたよ。次のシーズンはウィギがトランスフォームするらしいね」

 ナンの皿をトレイに載せながら主人公の妖精であるウィギの名前を出すと、針の穴のようだった虹彩が開くのが見えた気がした。次のレーンにある、よくわからない豆の入ったゼリーに意識を戻して歩く。

「そうなの、次のシーズンはウィギのフォームがたくさんありそうで楽しみだなあ、きっとウィギのコンセプトは花じゃないかって僕思うんだ。花にもあるんだよ、決まった条件が揃うたった一日しか咲かない品種が。熱帯の中や崖にしか咲かない花もあるし、ずっと昔にみた古い研究のビデオでは」

 ウィギのキャラクターコンセプトが花であるのではというフォンならではの考察は今まで何度もきいていたので、ネイはいつも通り相槌を打つ役に入った。豆のゼリーに続き、合成小麦のスコーンを二つ取り、フォンのトレイにも載せてやる。これがコンベアに流れる日はいつも手に取っている気がする。フォンが好むからだ。

 トレイに載せられたスコーンにも、自身のデバイスのバッテリーが切れかけていることを知らせる警告ランプにも気づかずに、フォンはトレイを持ち、コンベアに沿って歩みを進める。自身もオートメーションであるかのように喋り続けているフォンの口の中に並ぶ、まったく同じサイズの歯が数えられそうなほど近くに見えた。思わず口をこじ開け、喉に続く空洞を覗き込みたくなる。多分フォンの歯は他人のそれより三角形に近い形をしているよなと思う。少なくとも自分や上司の歯はもっと四角いことを知っている。ちらと瞼を上げてフォンの瞳を見た。目じりを下げ、気を抜いた顔で自分に話しかけている。三角の形の歯は、次のレーンにあるデザートの、甘くてすっとするソーダラムネの白色に似ているなと思った。

 ネイはフォンの話に適当に相槌を打ちながら目を細め、デバイスをファインダーモードに切り替えた。現れた蛍光グリーンのフレームをズームしていっぱいにフォンの顔を入れ、ポインターはフォンの上唇から見え隠れするラムネの歯に照準を合わせた。ウィギと花についての考察をする楽しそうな声が、ネイの顔の表面を通り、頭の後ろへ滑っては霧散する。

 フォンはネイがまったく話をきいていないことに気づかない。フォンの声は昔の民族楽器で奏でられる音のようだとネイは頭の隅で思う。決して大きくないのに湿度を持ってよく響く。とがっていない、丸いのにそれでいて硬質な音だ。暑い国で使われていた楽器に似ている。名前はなんだったか思い出せそうにない。そもそもなぜそんなことを知っているのだったか。とにかくそれのようだ。フォンの声は暑い国が似合うな。しっとりして肌の表面にまとわりつくのだ。どんな国だろうそこは。フォンがいる、フォンの似合う暑い国……。

 ネイはフォンに向けて微笑む振りをして、一度瞬きをするために目を細め照準を合わせた。ちょうど口が大きく開き、並ぶ歯が見える一瞬を狙う。フォンの話し方のタイミングはもう熟知している。左にある開け放たれた窓から大量の光が入っていて、フォンの朝紫色の皮膚に陰影を落とし、髪に絡まる赤いファイバーには厳めしさを与えていた。シリコンが透け、内側のガラスケーブルの細さまで見えそうだ。フォンの持つ要素で一番美しいと思う、何の疑問も持たず均一に整列する三角形の白い歯を、焦点の合わない虹彩を、暑い国で楽器が奏でられているような空気を、咲く花のようにほころんだ一瞬を、自分の中に隠した。

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