夏には君を食べよう

@4lilkumix4

INNOCENT1

 また今夜も廃墟に行くことにする。


 道は舗装されておらず、割れた樹脂の地面の下に別の灰色の地盤が覗いていた。過去の舗装工事はずさんながらも一応行われていたらしい。今ではさらに金属製の板や、髪に巻いて使うことが多くなった装飾用ファイバーケーブルや、アイウェアだったと思われる、クリアカラーの板や、多様なパーツのゴミが折り重なって捨てられ放置されている。どのくらい掘り進めたら土は顔を出すのだろう。雑草が根を張る隙間もない道がずっと続いている。

 歩くのは面倒なので、今日もホバーボードを職場に持ってきて正解だった。インサツの仕事からこんなにはやく開放されることは久しぶりだ。

ネイは、ボードを掴むと足早にゲートへ向かう。ゲートの両側に立てられた小さなストロボの光が数回瞬いてから、左目を覆うアクリルプレートの隅に数字が表示される。


 6H39 12C


 もう見慣れた作業時間と今日の報酬額を表す数字は、見ている景色の上に表示されているのに、視界の邪魔はしない。アクリルのプレートが、視界のすぐ前に取り付けられているからだ。瞼に接続されたごく細いファイバーケーブルと連動するそのデバイスは、企業がこぞって新モデルをリリースした時期があったおかげで飽和し、少しの型落ちに限れば性能が良いものでも安価で手に入るようになった。ネイが仕事として行う作業のように、労働者の数ばかりを必要とする団体でも、必ず管理のために一個人へもれなく支給されるほどには普及している。


 収入はいつでも足りないが、今日は早く帰りたかったので好都合だ。何のガスも空気中に漂っておらず、雲もなく晴れているから写真が撮りやすい。なるべく自動補正機能は使わず、目の前の景色を撮ることにしている。廃墟の写真は朽ちた様子そのままのほうが美しいとネイは確信しているし、何より明るく滑らかに、眩しく色味が補正された写真はもうとっくの昔に飽きられた。とっくという言葉の意味はわからない。過去には無駄な表現が多かったのだなと思う。

 ネイが一度瞬きするとアクリルデバイスに表示された蛍光色の文字はすぐに消え、次の文字に切り替わる。これも毎日見るお決まりの一文だ。


 INNOCENT SUCCESS!


 この言葉で毎日、仕事によって生まれた昔ながらの印刷物や資材を盗難していないことが証明され、ネイはスキャンされた身体を連れて今日も初めてゲートを出る。退勤時にこの一文以外は目にしたことはないし、他の従業員もおそらくそうだろうと思う。イノセントがサクセスしない毎日はネイのもとにはない。


 わざわざ紙とインクを使って印刷した印刷物は貴重だが、嵩張るのでもう誰も盗まない。





 お気に入りの廃墟へ向けてホバーボードを滑らせている間、瞬きをしてデバイスを切り替え、配信されたばかりのアニメを観た。「ダブルパート」は最近気に入っている、ゾンビと妖精が主人公のアニメだ。ゾンビは皮膚が垂れ下がり暗くくすんだ色の肌に苔が生え、泥も垂れている。きっとカビの香りがするのだろう。そんなゾンビのピイスに挑むのが妖精のウィギで、ガラスのように光を反射する羽根と桃色の皮膚を持っている。対照的な二人が戦う王道のストーリーは前時代的とは言え、妖精ウィギの可憐さのおかげで、物語の古臭さをものともしない人気を博している。

 ネイの瞼に取り付けられたファイバーと繋がるデバイスは数十年前の旧型だが、ちょうどブームの時期に製造された型であり、個人の好みに合わせてパーソナライズ化する機能が標準搭載されている。

アニメなどの映像はもちろん、ニュースも小説の出版もイベントの案内も、すべてネイの好みに沿って情報を与えてくれる。現に左目でダブルパートの戦闘シーンを追いながら、その下には今日起こった出来事の記事の羅列が上方へどんどん流れている。


 新たに地図から除外されることになった地区のリスト

 パーソナライズ化を拡張できるスクリプトの出品

 多様な物質が朽ちる様子にフォーカスした美術展

 新素材で復元された前時代的歯列矯正器具の販売開始日時

 「ダブルパート」アンチウィギサークルによる二次創作イベントの告知……。


 すべてネイの好きなコンテンツに関する情報で、ネイは瞬きしながらいくつもニュースを読み、あとでじっくり読むものには目線と瞬きを駆使してクリップをつけていく。夕食は最近気に入っているレトロカレーにしようと考えながら。何日も同じ夕食が続いているが、安くておいしく、何より味が好きなのだから問題ない。

申し訳程度に左目の視界の隅に映る廃墟へのマップは、もうすでに暗記しているので参考にすることは何もない。

 道中で勤務時間中の情報の確認を済ませ、夜は気に入りの廃墟に一人で赴き、デバイスで写真を撮る。これがネイの日課だった。


あとで観たい新作のアニメとドラマと小説の情報に付けたクリップで、左目の視界はカラフルに埋まった。一度情報たちを流したら、今日の夕食にデザートのラッシーもつけるべく目の端で追加注文をする。

ネイの視界には、今日も遠くはない地続きの土地で起こっている戦争で死んだ兵隊の数も、犬が飼い主を助けたお手柄のニュースも映ることはない。戦争も賢い犬も好きではないから、ネイのアイデバイスに映るわけがないのだ。





 尊敬する写真家が、つい先ほど撮影した写真をパーソナルページに載せたという通知が、視界の右端でポップアップした。アクセスすると、ブドウ色のレンガがただ積まれているだけの瓦礫の写真だった。外壁にまとわりつくみずみずしい蔓も、すべてを知る神さながら、意味ありげなカラスも写っていない。点在している水たまりにはわずかな雲の影はあるものの、虹を持つ油の膜すら浮いていない。廃墟たる要素を持たないただの瓦礫だったが、ネイが好きなのはそういう景色だった。意味を持っていたはずの建物が崩れて石に成り下がっただけの、魅力のなさが好きなのだ。

いつかこの写真家の行く廃墟に自分も赴いて、同じ構図から景色を見たい。同じ構図から景色を見れば、同じ写真も撮れるはずだ。少なくとも、似たレベルには。なぜならこの写真家の好きなものを自分も好きだからだ。

 廃墟、ダブルパートに出てくるゾンビのピイス、食べやすいハンディタイプの栄養食とレトロカレー、色の描写の多い物語。それに使っているのは同じモデルのカメラだ。すべて好きなものは知っている。情報を吸収することは惜しまない。

自分に必要な、正しく有益な情報と感性のみをインプットしている。いつか最高に無垢な一枚を撮るために。


 ふいにネイはホバーボードを止めた。

「ネイ、今日も昨日の廃墟に行くの?今日こそカメラの設定の仕方教えてくれるって言ったのに」

 友人は今仕事を終えたばかりらしく、頬にインクのすれたあとが残っていた。

 フォンはカメラを持つ唯一の友人であり、ネイが撮る写真に興味を示す唯一の人間でもあった。赤い瞳はネイを非難して充血している。

「前も言ったと思うけど、デバイスに体の情報が登録してあれば、趣味嗜好の判別をカメラが自動でしてくれるだけだよ、フォン。」

 ネイはわざとらしいしぐさでため息をつきながら答えた。

「それがうまくいかないから困ってるんだよ!ちゃんと言われた通り好きなものばかり撮影してるのに、どの写真も暗いんだ。これじゃわざわざ買い替えたレンズ代が無駄になっちゃう。ほら見て、こないだも花を撮ったんだ。僕が花を好きなの知ってるでしょ?この季節しか咲かない花なんだよ。昼間だし、こんなに暗いはずないのに」

 そう言いながらフォンは瞬きを繰り返し、ネイのデバイスへ写真を転送してきた。

不承不承左目を遣ると、丸い形の花がデバイスの視界いっぱいに映し出された。

 まるで朝と夜の中間のような、霧の中の空のような色だ。

「なんでこんな灰の色なんだろう。どの設定をいじってもなおらないんだ」

 小さな花が集まって、大きく丸い形を作っている。その大きな丸がひとつの花になっている種類らしい。

「これじゃ花びらの数すらわからないよ。まるで星みたいな形をしてたのに」

 朝と夜の中間のような空色の花は、微妙なグラデーションがついていて、色の配置はそれぞれ異なっていた。雲の上に浮いているような花弁に乗った小さな雨粒がやけに透明に見えた。

 少なくとも花の形状ははっきり写っており、灰の色も見当たらない写真だった。

「なあネイ、修理屋に持っていかないとだめなのかな。撮りたいのはこんなんじゃない、きれいな花なんだ」

 ネイは目を伏せ、デバイスからフォンの写真を消去した。

「そうだな、修理屋に見てもらうのがいちばんいいんじゃないか。ちゃんとカメラ専門のところに行けよ」

 フォンのほうを向かずそう告げて、ホバーボードを発進させる。フォンの叫び声を置き去りにした。

 たぶんフォンは左目を病んでいるのだと、ネイは気づいていた。

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