07 街角の子供たち
風が、酒で火照った頬に心地よい。
犬井は、住宅街のアスファルトを両足で噛み砕くように、軽快に歩いた。
酩酊を感じさせない。すぐに近隣の大通りへ出る。
そして、大通りに面したコンビニへ出る角で、巨大な白いカベにぶち当たった。思わず顔をしかめる。
壁ではない。献血車だ。
外科治療輸血用の、献血ではない。抑制剤用の人間の血液だ。募っているのはプレタ病抑制剤の原料にされる、加工前提の血だ。
生体に輸血するわけではないため、多少の持病があろうと服薬者であろうと問題無かった。大抵の不純物は、工程で除去できる。
外科治療につかうなら、今は人工血液の方が性能が良い時代だ。
さすがにスポーツ界では禁止だが、どっかの登山家なんぞ強力な人工赤血球を体にぶち込みつつ、超標高山のナイトメアルートにいどみまくっている。
とにかく、生きた人間の血を採って、まんま人間の血管に流し込むなんてのは、犬井の世代には物語の中のハナシだった。
献血車は、10トントラックに近いほど巨大だ。車内の待合は実に快適と噂に聞いている。大量に集めるので、保冷スペースもデカいだろう。そりゃ多きくもなる。
薄ピンクの派手なボディラッピングに、申し訳程度、赤い十字が輝いている。
車体のポスターを見ると、新作アニメの限定グッズが返礼品としてもらえる上、抽選でムービーチケットが当たるらしい。
プレタ病が猛威を振るってこの方、こういった商業的手法も合わせないと抑制剤の確保がままならない。
いちど酒でほぐれた犬井だが、なにやらまたイラついてきた。
(ペアチケットでないところが気が利いてる。応募する奴は、どーせ誘う女もいないだろう)
と犬井は自分をかなりメチャクチャに棚にあげて、メチャクチャに勝手な憎まれ口を心中でたたいた。実のところ、彼自身にだって現在、決まったデート相手はいない。
受付では医療関係だかなんだかよくわからない、白衣だったりスーツだったりのスタッフがバタバタしており、これまた先程のアニメキャラ達がフキダシで
『献血にご協力を』
とボードやポスターでコビている。車内の待機室からあふれた献血希望者が、順番待ちの列をなしている。
(まるで、流行りのラーメン屋だぜ)
犬井は肩をすくめてさっさと通り過ぎようとしたが、まったく不意をついて横から声をかけられた。
「こんにちは! 献血にご協力おねがいできませんか」
犬井は文字通り、ビクリとした。
見ると、黒髪でショートカットの少女である。
なにやら周囲の若者とおそろいのTシャツに、これまた何のためだかわからないエプロンをつけている。
「えっ、俺か?」
「はい、プレタ病罹患者のみなさまのために、献血のご協力をお願いできませんか」
「いや、俺は……」
犬井は、言いよどんだ。少女は無遠慮に、仔犬のような目で見つめてくる。
「あっ!」
と少女は急に、絶望と驚愕を表情に浮かべた。おいおい、箱空けちゃったときのパンドラか。きっとこんな顔してただろうよ。
と思ったら
「もしかして既往の方でしたか? 申し訳ありません」
と頭をさげ、謝り出した。
そうだ。病者の血液は、抑制剤の材料にならない。犬井に関して言えば違うわけだが――
(そんなことより、この子は非常に危険なことをしている)
自分がプレタ病となった宿命を病的に憎んでいる者は、山のように居る。そういうヤツは、ハナシに触れられるだけで激昂する。些細なことで暴力を振るったりする。
ひとまず放っておくとこの子はいつまでも頭を下げ続けるような気がし、犬井は焦って言葉を継いだ。
「いや、違う。俺は……プレタ病じゃない……違う」
だから別に謝らなくていい、と言おうとした。
だが少女の口の方が早かった。
「そうなんですね! ではお願いできませんか?」
オイオイ。なんてタフな娘だ。
犬井は呆れた。
「いや、それはちょっとできない」
「お時間がありませんか?」
「時間っていわれてもなあ……」
思えば平日の真昼間に、くたびれたジーンズでスニーカーつっかけて、手ぶらで歩いている。
完全に、暇人にしか見えないだろう。若干気恥ずかしくなった。
がとにかく、献血するわけにはいかない。
しかし彼自身にもうまく言えないが、嘘をつきたくない気分だった。
少し考えて、犬井はこういった。
「そう、実は上司……にあたるような人から、禁止されていてね」
これなら嘘にならないぜ。ハナコざまあみろ。
「そんなことってあるんですか?」
少女は眉を顰め、ひどく怪訝な顔をした。
よくもまあ、コロコロと顔色が変わるものだ。
「あるんだ。あるものはしょうがないし、正当な理由もある。きみの考えてることはわかる。〝献血は内心の自由だから、そんな指示は普通出せない〟とか? ……でも普通じゃない人もいる。そして、意外とたくさん居るものなんだ」
「はあ、そういうものですか」
犬井は、なぜ嘘がつけなかったか、分かった気がした。
どうも罪悪感が湧きそうな気がしたから。正直、方便のウソはどうでもいい。いくらでもウソをつく。ただ後味悪いのだけはキライである。
その後味も、ぜんぶ犬井の内心のサジ加減なのだが。
少女は理解できないながらも、犬井に興味を無くしたようだ。無邪気なのだ。
(こんな子供を抑制剤献血の呼び込みに使うなんて、我ながら世を憂うぜ)
居酒屋のキャッチのほうがまだ安全だろう、と犬井は思う。声かけた相手が飢餓状態や忘我状態だったらどうするのか。
「なあ、ちょっとした好奇心というか個人的な興味なんだ。だから無理に教えてくれなくて良いんだが」
と犬井は少女に声をかけた。
「はい?」
「なんで君は、こんな大変な事をしているんだ? 嫌なことも言われるだろう。患者さんの中には、ほら、こう……病気になってしまったことに、ひどくイラ立っている人もいるだろ?」
「確かにいますね。でもええと、活動なんです。サークルの」
「サークルだって?」
犬井の声は若干裏返ってしまった。
「はい、大学のボランティアサークルなんですが」
ああ、たしかにそういうヤツらも学内にいたなぁ。
今はこんなことやってるのかよ。じゃあこう見えて十八歳超えてんのか。中高生かと思った。なんか垢ぬけてない感じだし。
見た目がなんにせよ、子供といえば子供だ。
このガキの集めた抑制剤を病者が食いその病者を俺が喰う。
犬井を襲った感情、それは形容しがたい、敢えて言葉にするならば――すさまじい敗北感だった。
彼は足を速めてコンビニに向かうと、手あたり次第に酒と食品をカゴにぶち込んだ。その目は焦点を失って、無限遠のどこかを追っているようだった。店員はスーパーのまとめ買い程もあるその量に驚いた様子だったが、なんとか袋をふたつにして詰めてくれた。そのあいだ、犬井はやはり虚空を凝視していた、
その日は夕闇が暮れる頃になっても、街の明かりがまばらになりだしても、犬井のの部屋からは咀嚼音とビールが喉を鳴らす音が鳴り響いていた。
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