06 リタ・ローゼンフーバー無双モード突入


「生存のため、他者のヒト組織の摂取を要する病が存在する」


 このとき、彼女によって〝プレタ病〟という呼称がつけられた。

 この衝撃的な発表は、周到な準備のもと行われただろうことが、現在では常識となっている。その規模は常人のアタマの埒外を超えている。

 だから、その中身について想像でも語れるものが、あまりいない。


 実際、血縁に多少の有力者が居るからと言って、一介の学者が行えるような奇跡ではない。

 リタ・ローゼンフーバーは、病の存在と機序をまず明らかにしただけでなく、その症状を抑制する薬剤の生産技術を無特許にて、アッサリと全世界に公表した。同時にドイツ主要医薬学機器メーカーは大量生産のための工場機材、およびプラントのラインナップを計ったように発表。まあ良心的な価額だった。

 さらにまた仕組まれたとしか思えない俊敏さで、各国政府はヨーイドンで関連法整備に着手。このさき、安価な投資で成り立つ労働力の需要として、プレタ病の抑制剤生産が一大産業となるのは明らかに見えた。

 そして経済界にも事前の根回しがあったか不明だが、商売人はこういう時シゴトが早い。実際に、まもなく巨大な市場規模になった。

 多くの国で失業率が下がった。

 確かに小規模な暴動や混乱、労働争議があった。自殺者がでた。

 この奔流についていけなかった独裁政権が倒されたりした。死者も出た。

 だがほとんどのところ、大勢のトコロは誰も文句がなかった。


 ひとまず世界はそれからも、今も回っている。


 背後に何かいる、と主張する者達はいる。

 それはそうだ。誰がどう見たってナニカある。しかし陰謀論としてすら目立たなかった。どんなトンデモ秘密結社の力だろうが宇宙人の手を借りていようが、それがなんだというのだろう? 

 結果として文明は崩壊せず、人間社会は存続の危機を脱したのだから。


「あのリタ・ローゼンフーバーって科学者は魔女だ。裏でどんな非道い手をつかったか知れない」


 ヤッカミはあちこちで囁かれる。しかし実際に非道であれば、独占のうえ、それこそ全世界から搾取することが可能だった、はずなのだ。外交でも軍事でも最強のカードになったろう。

 もちろん裏で、彼女もしくは彼女らが何か利益を得ているのかもしれない。

 では誰が何の利益を、どうやって何のために? 

 そして、何に使っている?

 説明できるものはいない。

 すでに言論の埒外、論理の隘路あいろだ。

 この単純な事実に思い至ると、批判者は顔を赤くし口をつぐむ。『自分は無知だ』とみずから叫んでまわるのと、同じ事だからだ。


 かくして彼女、リタ・リーゼンフーバー博士は、聖女になり魔女になった。


 犬井は3本目のビールがカラになっているのに気付く。

 そういえば、と酔いで芯のボケかけた頭で考える。

 飢餓状態の症状軽減に、こいつにいつも助けられているな。実際、抑制剤がなかったら社会はアルコール中毒が蔓延して崩壊した……かもしれない。

 さすがは最古のダウナードラッグだぜ。

 もう少しツマミが欲しくなったので、犬井はパーカーをかぶりサンダルをひっかけ、コンビニへ歩くことにした。

 玄関でカカトの潰れたヴァンズをひっかけると、上機嫌で外に出た。

 断食中にここまで落ち着いた気分は初めてかもしれない。

 

 

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