消え去ってよ

古賀の目の前には一枚の扉が物静かに構えていた。横を見れば何枚もあるのだがそこは目的の扉ではなかった。目的はこの扉だった。ここは十二階建てマンションの一部屋だった。古賀はチャイムを鳴らす。よくある音が室内で発せられるのが聞こえた。足音が近づいてくる。数秒後扉が開いた。

扉を開けたのは髪はボサっとして顔面はどこか美しい痩せた男だった。彼は痩せていたが、不健康には見えなかった。部屋の中は薄暗くよく見えなかった。彼が私の仕事相手だろう。古賀はそう直感した。

デビュー作「墜落」を執筆し、その名を全国に轟かせた新人作家。来栖京介だった。担当編集者がいたのだが突然失踪してしまったため古賀が担当編集者になったのだ。来栖は疑うような目でこちら見ていた。


「おはようございます。今日から担当編集者になります。古賀です」


古賀は自分で驚くほどに冷たく言った。それも真顔で。淡々と。来栖はそれに嫌な顔ひとつしなかった。ただ平常心といったところだ。来栖は手で部屋の中へ入るよう促した。古賀はそれに純情に従い中に入った。来栖が部屋の上の原稿を無言で古賀に渡した。今月の分の原稿だった。来栖は長編小説を連載していた。古賀は一枚一枚原稿をチェックしていく。


「どうだ?」


来栖が口を開いた。その声は思っていたよりも低く穏やかなものだった。俯きながら目をこちらに向け古賀の目を見ていた。その顔面はどこか悲観的な表情だった。


「はい大丈夫です」


古賀はまたしても冷たくいった。古賀は仕事にそこまで感情移入しない性格だった。それがために冷たくいってしまうのだろう。


「それならよかった」


来栖が生気のない声で言った。古賀は鞄から紙平袋を取り出し原稿用紙をその中に大切に入れた。口を綺麗に折り閉じる。


「じゃあ、他に何かありますか?」


古賀が確認のため聞くがその目線は部屋を見回していた。部屋は特徴はなく普通だったが決して綺麗とは言えない様だった。


「ない」


来栖がぶっきらぼうに答えた。


「そうですか。それではまた」


古賀がいつもの調子で言った。言い終わると部屋から出て行こうと椅子から立ち上がった。


「君は優しいな」


部屋から出ていく古賀の背中に向かって少し覇気のある声で来栖が吐き捨てるように言った。古賀が振り返ると椅子の上にあぐらをかき頬杖をつき、来栖がこちらを見ていた。


「えぇ。まぁ。そうですね」


古賀は反応に困りながらも返答した。


「次も君がくるのかい?」


来栖が下から覗き込むような視線で言った。古賀は「はい」と雑に答えた。


「それはよかった」


「なんですか?口説いてるんですか?」


古賀は嫌悪感を見せながら喉を震わす。


「そう思う?」


来栖がキョトンとした顔をする。


「はい。そうとしか」


「じゃあ口説いてる」


「そうですか。では」


古賀はそう言い放つと玄関へ向かった。来栖はその背中を目に焼き付け、机に向かった。

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