美知留を送って大阪まで
平日昼間の国道は様々な車が行き来していて、その運転席に座るドライバーは一様に疲れたような退屈そうな顔をしている。
そんな車の間にラフな私服で、しかも助手席に可愛らしい女性を乗せてドライブしているというのは、何だか申し訳ないような、それでいて優越感を感じられるものだった。
「あの山ですか?」
助手席の美知留が左前方にある小高い緑色の塊を指差して言った。
正直、俺も行った事は無かったので確信は持てなかったが、ナビで見る限り恐らく間違いは無いだろう。
「多分そうだね。」
「へぇ~。でもあんまり高くないんですね。」
「確か600mくらいだったと思うよ。六甲山が900mちょっとだから3分の2くらいだよね。」
「あ!六甲の夜景も行ってみたいんです!」
「機会があれば連れて行ってあげるよ。」
「ホンマですかっ!?」
その時、何故そう言ったのか、自分でもよく分からなかった。
極自然に、何の迷いも無く、そう言っていた。
軽い奴だと思われるかもしれないが、何となく美知留とはこの旅だけで終わるのも寂しいと思うようになっていた。
◆
展望台から少しだけ離れた駐車場に着いても、まだ太陽は高い位置にある。
20台程停められる駐車場には数台の車が停まっているだけで、人の姿はまばらだ。
車を停めて外へ出ると、助手席側から美知留も外へ出て来て、早速展望台の方へと走って行った。
昼の景色も観ておきたいと言っていたので、暫く自由に見物させる事にした。
「健斗さん!めっちゃ綺麗ですよ!」
大声で美知留が俺を呼ぶ。
『はいはい』と、まるで我が子に呼ばれたかのようにゆっくりと展望台へと向かい、美知留と並んで博多の街を眺めた。
遠くの方に福岡タワーや福岡ドームが見える。
「ここ”日本夜景遺産”に登録されてるらしいです。」
スマホの画面を覗き込みながら美知留が言った。
「何だそれ?」
「綺麗な夜景が見えるって事じゃないですか?」
調べた割にはそれほど関心は深く無いようだ。
俺と美知留は暫く昼の博多の街をのんびりと眺めたり、ベンチに座ったりしながら過ごした。
◆
陽が落ちてあちこちの外灯や照明が点灯しはじめると、展望台からの景色は一変していた。
六甲山から見る摩耶埠頭から和歌山県へと続く海岸線を彩る夜景も絶景だが、油山から見る博多の夜景も壮観という他無かった。
橋や高層建築物が無い分、全体的に白く、落ち着いた感じのする夜景だった。
「綺麗……」
ふと、美知留の顔を横目で見て、俺は息を呑んだ。
(涙……?)
表情は夜景を見始めた頃とそう変わっていなかったが、その目からは涙の粒がぽろぽろと流れ落ちていた。
「ど、どうしたの?」
「え?」
「涙……」
「え?あ……えっ?」
美知留自身が気付いていなかったのか、美知留は慌ててポケットからハンドタオルを出して顔を拭うと、『ふぅっ』と小さく溜息を吐いた。
「ごめんなさい……こういう景色を観てるとつい感傷的になっちゃいますね……」
無理矢理作ったような笑顔で俺の顔を見上げながら、美知留はそう言ってハンドタオルをぎゅっと握り締めていた。
「聞くだけで良ければ聞くよ?」
そう言った俺を、美知留が左側からじっと見上げていた。
美知留の目が、涙と映り込んだ博多の夜景でキラキラと輝いていた。
◆
美知留は、天真爛漫、自由奔放にヒッチハイクを楽しんでいるように見えていた。
よく笑い、よく話し、心の底から楽しんでいるように見えていた。
「何か色々疲れちゃって……」
大学に入って諸々生活のスタイルが変わり、何をやっても上手くいかない事が続いていて、何とか3年生までは漕ぎ着けたけど限界が来たと。
気分転換に一人旅でもしようとヒッチハイクをしてみたらしいが、元々外面と違ってそこまで人見知りをしないわけでもないので、正直苦痛だったそうだ。
俺に話し掛けられた時も、本当は逃げ出したいくらい怖かったらしいが、逃げる所も無いし『どうにでもなれ』と半分自棄になっていたらしい。
でも今は、本当に楽しくて、声を掛けてくれたのが俺で良かったとまで言ってくれた。
俺は美知留の話を最後まで何も言わずに聞いていた。
◆
手摺に手を置いて博多の夜景を眺めながら話を聞いていたが、その内美知留が俺の左腕に頭をちょこんと付けてもたれかかって来た。
「健斗さんは、一緒に居て何か落ち着きますね。」
「そう?退屈じゃない?」
「全然。凄く楽しいですよ。」
「いい旅になったかな?」
「今のところは。」
「え?」
「”家に帰り着くまでが遠足”って小学校の時言われませんでした?」
美知留は少しふざけた口調でそう言って、俺の腕に抱き付いてきた。
「健斗さんとなら……いい旅になります……」
美知留の声はギリギリ俺の耳に届くか届かないかくらいの小さな声で、何とか聞き取った俺は(退屈な思いはさせないようにしないとな……)くらいにしか思っていなかった。
◆
いくら見ていても飽きの来ない夜景ではあったが、時が経つに連れて自分が普通の人間で、普通に食欲がある事を思い知る。
腹筋に力を入れ、腹の虫が鳴くのを何とか堪えていたのだが……
ぐぅぅぅぅぅ……
生理現象を抑えられるわk……いや、今のは俺じゃない。
「お腹鳴っちゃいました!」
美知留だった。
少し照れながらも堂々と宣言する辺り、美知留は生粋の関西娘なのかもしれない。
俺は思わず吹き出してしまい、美知留もそれを見て大笑いしていた。
「何か食べに行く?」
「もつ鍋食べたいです!」
「まだ暑くない?」
「美味しければ暑さなんてふっ飛びますよ!」
俺は笑いを引き摺ったまま、静かに輝きを放つ夜景に背を向けて車へ向かった。
俺の後ろから、美知留が『早く行きましょう!』と背中を押していた。
◆
額に汗を滲ませながら腹を満たした俺と美知留は、車の窓を全開にして夜風を車内に入れながら街を流していた。
「そう言えば、健斗さんは毎年博多に来て、佳澄さんのお墓参りが終わったらすぐ帰ってるんですよね?」
「ん?あぁ、そうだけど……それが?」
「今回もまたサービスエリアか何処かで車中泊してるんですか?」
「そのつもりだよ。」
「しんどくないですか?シート倒すって言ってもずっと座りっぱなしみたいなもんだし。」
確かに帰ってベッドに寝そべった時の腰が伸びる感じは、長距離ドライブの疲れが溜まっているんだろうと感じるが、何度も博多を往復していて毎回そうしてきたから特に不満は無かった。
だが、慣れていない美知留にとっては連日車中泊というのは苦痛なのだろう。
それもそうか。
何だかんだ言って美知留は普通の女子大生だ。
風呂も入りたいだろうし身嗜みも整えたいだろう。
「あ~、それなら何処か泊まれる所探す?」
「そうですね。その方が健斗さんゆっくり出来るでしょ?」
「まぁ、俺は平気だけどね……」
美知留は早速スマホをぽちぽちやって泊まれる宿を探していた。
しかし外はもう日が暮れて真っ暗。
こんな時間から予約の取れるような宿がそう簡単に見付かるとは思えない。
「当日の予約って無いんじゃない?」
「ん~……あったのはあったんですけど……」
あるのか。
「何か問題でも?」
「いえ……ここにしましょう!ぽちっ!」
「ぅえっ?決断早いね。」
「迷ってる間に満室になってもいけませんから。」
こんな時間からバンバン予約が入る宿ならとっくに埋まってると思う。
「じゃあ私がナビしますね。」
「分かった。」
宿泊プランが食事無しだと聞き、途中コンビニに寄って明日の朝食にするサンドイッチをいくつか買ってから、美知留のナビに従ってハンドルを握った。
少し湿った空気が窓から流れ込んでいた。
◆
ホテルの駐車場へ車を停め、『フロントはこちらから』とプレートの掛かった裏口らしきドアを開けて中に入った。
フロントに向かうと、カウンターの奥から俺より少し年上に見える女性が落ち着いた声で『いらっしゃいませ』と言って出て来た。
「先程予約した如月です。」
フロントの女性がパソコンのモニタで予約状況を確認し、『お待ちいたしておりました』と笑顔を見せてから丁寧に頭を下げ、カウンターの上にカードキーを1枚置いた。
「そちらのエレベーターで12階へお上がりください。」
カードキーを受け取った美知留が大きなリュックを背負い直し、真っ直ぐエレベーターへと向かう。
エレベーターに乗り込み、『12』のボタンを押してドアを閉めた。
そこで俺は気付いた。
「あれ?俺の部屋のキーは?」
フロントで預かったのはカードキー1枚。
美知留がそのカードキーをひらひらさせながら俺に見せる。
「えへへ。」
「え?」
「こんな時間に予約して都合良く2部屋も空いてるわけないじゃないですか。ツイン1部屋空いてただけでもラッキーですよ。」
「え……いやいや、それはマズいだろ。」
「何言ってるんですか。昨日だって同じ空間で寝たんですよ?」
「車中泊とホテルは違うだろ?」
「同じようなものです。」
「しかし……」
そうしている内にエレベーターは12階に到着した。
ドアが開くと、美知留は正面の部屋番号の書かれたプレートを見て右の方へと足を進めた。
部屋の前に到着し、美知留がカードキーを翳すと『カチャ』と音がして解錠される。
「さ、入りましょ!」
「い、いや……」
「もぉっ!往生際が悪いですよっ!」
「お、おぃっ!」
美知留は俺の手を取って部屋の中に引き入れた。
◆
女性と二人きりで部屋に居る事くらい経験が無いわけではない。
だが、目の前に居るのは、一昨日偶然声を掛けてここまで乗せて来たヒッチハイクをしていた女子大生だ。
端折った話をされれば、俺が女子大生をナンパしてそのままホテルに連れ込んだように思われても仕方ない。
そんな状況で、平静で居られる筈もない。
「あ、あのさ……美知留ちゃん?」
「はい?」
「こういうのはあまり良く無いと思うんだけど……」
「まだ言いますか。」
美知留は部屋の真ん中に置かれた2つのベッドの窓側の方へ行き、布団をぽんぽんと叩いた。
「私はこっち、健斗さんはあっち……」
そう言って内側のベッドを指差す。
「車より離れてるでしょ?」
「そういう事じゃなくて……」
「”寝る”って表現に抵抗があるなら、”睡眠をとるだけ”って言いましょうか。」
これは議論しても敵わないと思った俺は、小さく溜息を吐くとポケットからスマホや車のキーを取り出してテーブルの上に置いた。
「俺の負けだ。分かったよ。」
「最初から認めてくれれば良かったんですよ。ふふっ。あ、私先にシャワー浴びて来ていいですか?」
「どうぞ。」
何だか満足気な顔をした美知留は、リュックから着替えを取り出すとバスールームに飛び込むようにして入っていった。
俺はベッドに腰を下ろし、今のやり取りが一番疲れたなぁと物思いに耽っていた。
◆
美知留が出て来るのと交代にシャワーを浴びた。
昨日家を出る前にシャワーを浴びているのだから、普段と変わらない間隔で汗を流しているにも関わらず、何だか久し振りにすっきりしたような気がした。
シャワーを終えて部屋に戻ると、美知留が窓から外の景色を眺めていた。
白いTシャツとホットパンツを着ていた美知留の後ろ姿は、どこか弱々しく、儚げだった。
「何か見える?」
「上の階の割にあんまり景色は良くないですね。」
部屋の窓からは遠くに博多の街の灯りは見えているが、このホテルよりも高いビルがいくつも建っていて、その隙間から見えるという感じで確かにいい景色とは言い難い。
美知留は外に向けた目線そのままで答えた。
「明日も早めに出るんですか?」
「ん~……目が覚めたタイミングだね。早く起きれば早く出るし、起きなければのんびりするさ。」
「ふふっ。ホント、健斗さんの旅って面白そうです。」
「そう?計画も何も無いから不安になるんじゃないかと思った。」
「私は、好きですよ。」
振り返って俺の顔を見上げながら、美知留は笑顔でそう言っていた。
「それじゃあ寝……じゃなくて睡眠とろうか。」
「はい。」
俺はベッドを回り込んで部屋の内側へ、美知留は窓の傍から、それぞれベッドに潜り込んだ。
◆
布団に入り、明日のルートを考えようと美知留に背を向ける姿勢になっていた。
『帰り』というワードが頭に浮かぶと、どうしてもここまでの美知留との楽しかった時間が大きくなってしまう。
(24時間後にはもう別々になっているんだろうな)と思うと、何だか少し寂しい気持ちになってしまっていた。
余計な事を考えないようにと小さく頭を振り、仰向けに姿勢を変えた時、隣で寝ている美知留が俺の方を向いている事に気付いた。
「眠れないんですか?」
暗い部屋の中で、美知留の声がやけに響いて耳に届いていた。
「あ……いや……まぁ、色々考えてるとね。」
「ふふっ。私もです。」
「何考えてたの?」
「勿論、今回の旅のことですよ。こんなに楽しい旅は初めてです。」
「それは良かった。」
「こんなに楽しい旅になったのは、健斗さんのお陰だと思います。」
「俺の?俺は運転してただけだよ。」
「ううん。色んなお話聞かせてくれて、私の話も聞いてくれて……だから、このまま寝て起きたら……全部夢だったなんてなったら嫌だなぁって。」
美知留は体を横にして俺の方をじっと見たまま語っていたが、やがてベッドから這い出ると、俺のベッドの中に入って来た。
美知留は片腕を俺の体の上に乗せ、抱き付いてきた。
「健斗さんと……お別れするのは寂しいです……」
「うん。」
「健斗さんに会えなくなったら……寂しくて……私はその寂しさに耐えられないかもしれません……」
「うん。」
「健斗さん……」
「うん?」
「好き……です……」
美知留が俺の首に腕を回してぎゅっと抱き付いてきた。
「まだ……健斗さんの中に佳澄さんが居るのは分かってます……でも……」
俺は美知留に抱き付かせたまま天井を眺めていた。
◆
多分、『前に進む』というのは、自ら意識的に足を踏み出すだけでは無いんだと思う。
美知留が佳澄の名前を出した時、俺の中にある『佳澄の時間』が止まっていた事に気付いた。
佳澄を忘れてしまう事をあれだけ恐れていたのに、美知留が佳澄の名前を出すまで、頭の中に居た筈の佳澄の存在が、確かに消えていたのだから。
(なんて都合のいい男なんだ……俺は……)
自らを卑下する思いが頭の中で渦を巻いていくと同時に、俺に抱き付いている美知留の存在が急速に大きくなっていくのも感じていた。
◆
俺は美知留を抱いた。
まるで獣のように、過去の自分の記憶を全て消し去ろうとするかのように、激しく美知留を抱いた。
美知留は俺の全てを受け入れてくれた。
荒れる俺の頭を抱きながら、悩ましく喘ぎ続けた。
狭い1人分のベッドの上で汗まみれになりながら、お互いの全てを求め、受け入れた。
◆
ようやく眠りの縁に手を伸ばし掛けた頃だった。
ふと、隣に居る美知留から呼ばれたような気がして瞬時に覚醒し、美知留の方へ顔を向けた。
「ん?」
「うぅ……」
「んんん?」
美知留は俺を呼んだのではなく、何やら唸り声を上げているようだった。
「な、何?」
「も、もぉっ!」
「え?」
「あ、あんなに激しくしなくてもいいじゃないですかっ!」
「え……?」
「さっきから……腰とか足とか痙攣しちゃって……ね、寝られないんですよっ!」
「え……」
美知留は唸りながら、布団の中で腰を捻ったり足を伸ばしたりしながら、俺の方を睨み付けていた。
確かに、過去一番と言えるくらい頑張った気がする。
俺も、若干腰回りがダルい気がしないでもない。
「ゆっくり眠れるようにってホテルに泊まったのにっ!余計に疲れてどうするんですかっ!?」
「わ、悪かったって。」
「もぉ……い、いいですけど……今晩ゆっくり寝て、しっかり疲れを取ってから出発ですからねっ!」
怒りながらも俺の事を気遣ってくれる美知留を愛おしく感じた俺は、美知留の頭を撫でながら額に口づけて宥めていた。
美知留はもう一度『もぉっ!』と言って俺に背中を向け、俺の腕を枕にして眠りに就く姿勢になっていた。
俺は一旦布団の中で体を伸ばしてから弛緩させ、眠気が訪れるのを待った。
暫くして、隣から静かな寝息が聞こえて来る頃、俺の瞼も自然と閉じていった。
◆
アラームも何も掛けていないのに、まだ暗い部屋の中で自然と瞼が開いた。
美知留は俺の左腕を枕にしたまますうすうと寝息を立てていた。
頭の位置が良かったのか、美知留の頭が軽かったのか、幸い腕に痺れは無い。
俺は美知留の頭を支えてそっと腕を抜いて本物の枕と交代してもらった。
ベッドから降りて部屋に備え付けのポットに水を入れて湯を沸かす。
インスタントでもコーヒーの香りはいいものだ。
「んぅ……」
コーヒーカップを片手に、カーテンの隙間からまだ薄暗い外の景色を眺めていると、背後で美知留の寝惚けた声が聞こえてきた。
「おはよう。」
「ん……おはよう……ございます……いテテ……腰が痛い……」
「ふふっ。コーヒー飲む?」
「ぁ……いただきます……」
眠たそうに眼を擦る美知留が口を手で押さえて欠伸をしていた。
俺は美知留の分のコーヒーを入れてカップを渡し、昨日コンビニで買ったサンドイッチを袋から出して机の上に置いた。
「朝ご飯食べてシャワー浴びてから出発しようか。」
「ふぁい。」
まだ眠たそうな美知留が返事をしながら、湯気の立つコーヒーカップに口を付けていた。
◆
チェックアウトを済ませ、車に乗り込む。
助手席から美知留が『宜しくお願いします!』と元気な声で言った。
俺は『はいよ』と言いながらナビを操作していた。
「帰りは神戸まで乗せて行ってくれるんですか?」
「美知留ちゃん、大阪だろ?家まで送るわけにはいかないだろうけど、家の近くまで送るよ。」
「え?いやいや、それは申し訳ないですよ。神戸からなら電車で帰れますから。」
「ヒッチハイカーが電車使うの?いいよ。ここからなら1時間くらいドライブが延びるのは誤差だ。」
『申し訳ない』と言いつつ、美知留は満面の笑みで俺の顔を見ていた。
俺はハンドルを握ってシフトレバーをドライブに入れる。
軽いショックが伝わって、ゆっくり車が前に進みだした。
◆
平日の朝のラッシュを何とか摺り抜けて『
カーオーディオは一旦CDを止めてラジオを点け、朝のニュースと天気予報を流している。
初めて聞く声の女性キャスターが淡々とニュースを読み上げていた。
「健斗さんはお仕事のお休みっていつまで取ってるんですか?」
「えっと……明後日までだね。」
「じゃあ今日は帰ったらあとはのんびり?」
「まぁ、そのつもり。」
美知留は『ふぅん』とだけ言って外の景色に目を向けた。
他愛の無い会話をぽつぽつとしながら、車は関門橋を渡って山陽道へと入って行った。
寝不足か、それとも疲れが取り切れなかったのか、時々美知留の頭ががくっと揺れていた。
「ちょっと休憩するよ。」
助手席の美知留は顔を左に向けてセンターピラーに頭を付けて寝ているようだった。
独り言みたいになってしまったが、『佐波川』の看板にアクセルを緩め、ウィンカーを鳴らしながらサービスエリアへと入って行った。
◆
「あれ?ここどこ?」
車を停める時、少し車を揺らしてしまった為か、ピラーに頭をこつっと当てた衝撃で美知留が目を覚まし、辺りを見渡して眠そうに言った。
「佐波川サービスエリアだよ。」
「さばがわ?」
「行きに美知留ちゃんと会ったサービスエリアの上り側。」
「え?ヤダ……だいぶ寝ちゃってたんだ……」
「構わないよ。同乗者が寝るのは運転が上手い証拠だって言うから。」
気を遣わせないようにと、昔先輩に言われた事を言っておいた。
美知留はぺこっと頭を下げてから窓の外を見た。
「へぇ~、こんな場所だったんだ。」
「会ったのは下り側だから全然違うけどね。」
「あ、そっか。」
俺がドアを開けて外に出ると、美知留も同じく外に出て大きく伸びをしていた。
太陽は45度くらいの高さまで昇っていて、秋晴れの気持ち良い風が肌を撫でていった。
「ここから先は、私と健斗さんが別々だった道になるのね。」
「上りと下りで違うからずっと別々だったんだけどな。」
「そういう小さい事はいいんです。」
美知留は笑いながらそう言って手洗い場へと向かって行った。
多少センチメンタルに浸りそうな口振りではあったが、そこまででもないのだろう。
20分程の休憩を経て、再び俺と美知留は山陽道を東へ向かうことになった。
◆
大体同じペースで走れば、行きも帰りも大体同じサービスエリアやパーキングエリアで休憩する事になる。
行きに立ち寄った福山サービスエリアで休憩を挟んで昼食を摂り、
「見覚えのある場所に帰ってくると、何かほっとするね。」
「そうですね。」
高速道路から見える景色は、緑よりも灰色の多い都会の街中に変わっている。
ビルの間を縫うように連なる道と、一般道を走っても変わらないんじゃないかと思う程の車の量。
『帰って来た』と実感すると同時に、美知留との旅がもうすぐ終わる事を意味していた。
と、アームレストに乗せていた左手の上に、美知留の手が重ねられた。
「本当にありがとうございます。こんなに楽しかったのは初めてです。」
少し声を震わせながら美知留が感謝の言葉を述べる。
ちらちらと美知留の方に顔を向け、笑顔を作った。
左手に載せられた美知留の手が、今度は手の甲を掴んで握ってくる。
「だから……終わりたくない……」
美知留は涙声になっていた。
俺は美知留に握られた左手を浮かし、美知留の手を握り返した。
◆
『そろそろ、前を向いてもいいんじゃないかな?』
次第に薄れつつあっても、佳澄の事を完全に忘れる事は今まで無かった。
だが、美知留と旅をしていて、美知留の存在が大きく感じている時、佳澄の事は記憶の引き出しの奥から出て来なかった。
それに気付いた時の罪悪感すら、僅か数時間という間で段々弱くなっているように感じる。
これが『前を向いた』という事になるのだろうか。
◆
「次、何処行こうか?」
「え……?」
渋滞で停車した折に、俺は美知留の方を見てそう言った。
美知留は目を潤ませたまま俺の視線を受けていた。
「終わりたくないなら……終わらせずに済むなら……終わらせなくてもいいんじゃない?」
「健斗……さん……?」
ゆっくり車が流れだす。
視線を前に戻してブレーキからゆっくり足を離す。
「今回の旅が楽しかったからって、次また楽しいとは限らないけど、それでもいいって言うなら終わらせる必要無いじゃん。」
視界の片隅に、美知留が声を出さずに頷いているのが映り込む。
「おじさんに言われたんだ。”そろそろ前を向け”って。」
「ん……」
「俺が前を向くのには、美知留ちゃんが居てくれた方がいいなと思ってね。」
「健斗さん……」
車は摩耶埠頭の上を抜け、淀川を渡って
スロープを下りた突き当りの信号がちょうど赤に変わったところだった。
ゆっくりブレーキペダルを踏み込んで減速していき、停止線手前に車を停める。
俺は目線を赤信号に向けたまま、美知留の手を握ったままの左手に力を入れる。
「いいんですか?」
「うん。」
「私なんかで……いいんですか?」
俺はちらっと美知留の方へ顔を向けた。
「私なんか……じゃなくて、美知留ちゃんじゃないとダメなんだよ。」
美知留の目から涙が溢れ出る。
「だから、これからも一緒に旅をしようよ。」
美知留は大粒の涙を流しながら、俺の顔を見て笑顔で泣いていた。
俺は美知留に笑顔を見せ、信号が青に変わったのを見て視線を戻し、アクセルを踏み込んで左折した。
終わりたくない旅が始まった。
一緒に旅をしよう 月之影心 @tsuki_kage_32
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