第8話 地蔵が引き寄せてくれた運命の人

 夕方近くになってたどり着いた神社の周りは、静まり返り、古い家並みが整然と並んでどこか風情ふぜいがあった。

 どこに大熊武尊おおくまぶそん神社はあるのだろう。

 近くで畑仕事をしている住人に聞き、どうやら大きなくすのきのご神木しんぼく目印めじるしだと分かった。


「大きなご神木、大きなご神木……」と唱えながらしばらく行くと、かなり広そうな敷地にいくつかの宮がある場所に着いた。そして、とうとうその敷地の中に一際ひときわ大きくこんもりとしたくすのきの頭が見えてきた。


 大熊武尊おおくまぶそん神社の由緒ゆいしょが書かれた入口付近の石碑せきひには、【日本武尊やまとたける東国征伐とうごくせいばつのため、荒波を静めようと海中に身を投げた最愛の妻、弟橘媛おとたちばなひめを長くなげしのんだ日本武尊やまとたけるまつった】とあった。(*注)


 亡くなった妻を長い間思い悲しんだ日本武尊やまとたけるまつった神社。それが妻を亡くして悲しみにくれる美羽の父親の気持ちとも重なった気がした。


 ──この神社の近くかもしれない。でも、どこなの? お地蔵様!


 とにかく最初に神社にお参りしてからと、美羽は本宮ほんぐうの前で静かに手を合わせた。

 しばしこの時代に連れてこられたことで出会えた人たちに感謝をささげ、それから現代で裕星と共に幸せでいられることへの感謝も込めた。


 さて、と美羽は周りをグルグル見回しながら、しばらくは神社の周りを探索していた。季節外きせつはずれのせいか行き交う参拝客もまばらで、旅行客なのか、家族連れとカップルの数名だけだ。

 カップルの若い2人は寄り添ってしっかり手をつなぎ、ときどきお互いの顔を見つめ合っていた。近くの教会で結婚式を控えているカップルなのだろうか、他には何も見えないほど二人の世界にひたっている様だった。



 家族連れの小さな男の子がころんで泣きだした。父親に自分で立ちなさいと叱られ、さらに激しく泣く甘えん坊の男の子。

 しかしすぐに母親がやってきて抱き起こすと、男の子は魔法がかかったようにピタリと泣きやんだ。まだ母親に甘えていたい時期なのだろう。その様子を見ていた美羽は、ふと裕星少年の事を思い出した。


 あのとき「また会おうね。約束だよ!」と言った裕星少年の声が頭の中に木霊こだましてきた。

 ──もし私がこのままお地蔵様を見つけて元の世界に帰ったら、あの裕くんはどうなるのだろうか。約束を破ってしまうことになるかもしれない。


 でも、元の世界には大人になった裕星がいるはずで、その裕星は自分を愛してくれていて幸せのはずだ。後ろ髪を引かれながらも自分を納得させ、美羽はお地蔵さまの祠を探し歩いた。

 早く見つけて帰りたい気持ちと、もう一度裕星少年に会いたいという複雑な気持ちが入り交じりながら。




 神社から程近い道端みちばたに差し掛かった時、道の向こうに丸い祠が見えてきた。


 もしかして……。


 あ、あった! 間違いない、あのお地蔵さまの祠だ。もうすぐ裕くんに逢える!


 もう美羽の心の中は、美羽を愛する優しい眼差まなざしの裕星の面影おもかげでいっぱいだった。


 祠の前まで一気に走り着いたとき、近くの教会のかねが大きな音でゴーンゴーンと鳴り出した。

 ──あの音、お父さんとお母さんが結婚式をげた教会の鐘かもしれない。

 まるで美羽がこの世界から立ち去るのを名残惜なごりおしそうにするかのように、鐘は長く長く鳴り響いていた。



 ──会うことが不可能だったはずのお父さんにも会えた。裕くんのお母さんに伝えたかったことを言うことができた。私の子供の頃の幸せそうな姿も見られた。それに……一番逢いたかった人、子供の頃の裕くんに逢えた!

 裕くんから以前寂しかった誕生日の話を聞いていたけれど、たった一回でも一緒にお祝いすることができて本当に良かったわ。もうこれで思い残すことはない。



 鐘の音がようやくおさまったのを確認すると、元の世界に戻る決心をして美羽は地蔵の祠の前にゆっくりとしゃがみこんだ。そのときだった。「あ、あの……」と背後から呼びかける声がした。


 驚いて振り向くと、そこにいたのは自分と同い年くらいの若く美しい女性だった。女性は大きなおなかに手を当てながら美羽に恐る恐る近づいてくる。


 美羽は思わず立ち上がって女性を見つめた。その女性がゆっくり近づいてきて至近距離でその顔を見たとき、美羽はハッとした。なぜか初めて会った気がしなかったのだ。


 女性は美羽に近づくなり、「あ、ごめんなさい。私はてっきりこの神社の巫女みこさんかと……。失礼しました」と、すごすごと立ち去ろうとしている。


「待って! あ、あなたは誰ですか? 」


 美羽は、この時代ではもう亡くなっているはずの母が目の前に現れるはずはないと知りながらも、自分によく似ているその女性を引き止めずにはいられなかった。


 女性は首をひねって、「私? 私は……川嶋かわしまさんのところにいる者です」それを聞いて美羽はガックリと肩を落とした。


「ごめんなさい。似てる人を知っていたので……」

 慌てて弁解する美羽を見て女性は、「あなた、もしかして私の事を何か知ってるんですか?」とすがるようにたずねた。



 美羽が不思議に思っていると、「私、実は別の時代からここに来たみたい。そしてこの場所で倒れていたらしいの。その私をこの神社の巫女みこさんが助けてくれて……その方の年格好としかっこうがあなたによく似ていたものだから。


 私、お腹に子供がいるのに、どうやらここに来る時、記憶喪失きおくそうしつになってしまったみたいで、昔の自分の事を何も覚えてなくて……。川嶋さんは、ここでしばらくお世話になってる宮司ぐうじさんなの。


 もしあの巫女みこさんに会えたら何か私の事が分かるかしらと思って、いつもここに来ていたのよ。ただその方は遠くからいらしてた方らしくて、いつまたお会いできるか……」

 女性は、タガが外れたように一気に自分の事情を話し出した。


 しかし、ふと我に返り、「あ、ごめんなさい、こんな変な話をして。頭のおかしい人間だと思ったでしょ? とても信じられないわよね」と苦笑にがわらいした。



 美羽は自分以外にもタイムスリップをして来た人間がいたことに驚き、この仕組みがなにか分かるかもしれないと、女性に聞いた。


「あなたがいた時代はいつだったか覚えてないですか? 今ここは2009年なんです」と言うと、女性は自分の話を信じてくれたことに安心して、「私は前にもここに住んでいた気がするの。でも、たぶん、ここに来たのは2001年だったと思うわ。ちょうど2000年の20世紀最後の年に結婚式を挙げたことだけは覚えてるから。でも大切なはずの旦那様だんなさまのことすら覚えてないの……。


 だから私がいたのは今から8年も前だったということね。でも覚えてるのはそれだけなの……。


 まるで浦島太郎うらしまたろうみたいに、このまま記憶が戻らず元に戻れなかったら、家族が誰かも分からずここで一人で子供を産んで暮らしていくしかないのかしら」と憔悴しょうすいしきった顔で言った。





(*注)弟橘媛 日本書紀、古事記他より引用/この架空の神社とは関係ありません

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