第6話 死んだ父との再会

帝翔ていとさんなら、今、OnlyOneInTheGalaxyオンリーワンインザギャラクシーという、帝翔さんが立ち上げた新しい事務所にいらっしゃるはずよ。


 ただし、彼はデビュー当時から群を抜く音楽的才能を持っていて、一度は奥様と2人で芸能界から姿を消したけど、それでも世間が、天才的ギタリストで優秀な作曲家の彼の復活をずっと待っていた程の人よ。


 私の元夫はバイオリニストだったけど、彼の才能をいつも賞賛しょうさんしていたわ。作曲家としてもね。

 その彼が8年の時を経てやっと戻ってきたの。たぶんやっと亡くなった奥様への辛い気持ちを克服こくふくできたからなのね。

 でも、彼は見ず知らずのあなたに会ってくれるのかしらね?」と洋子が呆れたように言った。




「あ、ありがとうございました!

 そのお話だけでもとっても有難ありがたいです!

 最後にもう一回だけ……裕星くんの友達としてのお願いです。裕星くんをどうか一人にしないでください! 失くした時、 本当に大切なものに気付くときがあります。私もやっとそれに気づいたんです!」


 美羽は、呆気に取られて立ち尽くしている洋子にそう言い残し、一礼しすると、父かもしれない天乃帝翔あまのていとの元へと足早に向かっていった。




 二駅くらいはさほど遠くなかった。電車に乗らず、徒歩の生活もたまには良いものだと思えるほど心地の良い疲労感を覚えた。

 事務所には建物のサイドに名称の書かれた大きな看板がかかげられ、空にそびえているビルの頂上は、眩しすぎて肉眼では見えないほど高かった。


 受け付けで「私は天乃帝翔さんの身内のものです。奥さんの結子ゆいこさんとは親戚なんです」と、会いたい一心で一か八か告げた。


 受付が天乃にコンタクトを取ると、奇跡が起きたのか、ほどなくして天乃本人がロビーに降りてくることを伝えてくれた。


 ──これから伝説のギタリストで名作曲家、天乃さんに会えるのね! ううん、もしかすると、お父さんかもしれない人に……。


 もし、それが本当なら、やっと生きているお父さんに会えるんだ! どんな人なの? 洋子さんの仰ったように私に似てるのかしら? それともいかつい人かしら。なんだかドキドキしてしまう……。

 この不思議なタイムスリップが夢でも構わない。でも、天乃さんが、お父さんが来るまではどうかめないで!


 美羽は我を忘れてパニックを起こし、待合室のソファーで立ったり座ったりしていた。





 その美羽の背後から突然、「貴女ですか? 僕の妻の結子の親族というのは」と低く優しい声がした。


 美羽はビクッとしたが、すぐには振り向くことができなかった。もし今すぐ振り向いてしまったら、夢ならそこで目が覚めてベッドの中の自分にむなしくなるだろう。

 逢いたくて逢いたくて仕方なかった父かもしれない人が、今、若いままの姿で後ろにいる。手の届くほどすぐ傍に。


 美羽は洋子には果敢かかんにも会いに行ったのに、今度はそれほどの勇気が残っていなかった。あれだけ期待してきたのに、会った途端とたんきりのように消えてしまうのではないかと思うと、逢いたくない気持ちすら出てきた。


 天乃はいつまでも振り向かない見知らぬ女性にごうを煮やして美羽の前に回り込んだ。

 そして、ソファーの前でしゃがみこむと、じっと目を閉じてうつむいている美羽の顔を下から覗き込んで「あの、お嬢さん、本当に僕の妻の親族なのかな?」と聞いた。

 ハッとして美羽は一気に目を開けてしまった。



 至近距離しきんきょりで天乃とバッチリと目が合った。その顔は思った通り優しくてハンサムで、どことなく自分に似ている気がした。


「あっ、あの、私は、天音美羽あまねみうと言います」と急いで名乗った。


「──天音、美羽だって?」


 帝翔は、美羽の名前を聞いてかなり驚いたようだったが、やがて、フフと笑うと、「結子には親族はいないはずです。両親も亡くなり、兄妹はいませんからね。たとえ嘘でも、キミは本当に生き写しのように結子に似てますね。それに天音美羽という名前を使うとは……。キミは一体何者なんですか?」と、さっきとはうってかわり厳しい口調で言った。



 美羽は言い逃れができなかった。一か八か本当の事を言ってしまおう、もし本当の父なら信じてくれるかもしれない。そして、夢ならそこで目が覚めるはず、思い残すことは無いのだから、と。



「あの、私、実は貴方の娘かもしれないんです! あ、きっと変なことを言ってると思ってるでしょう? だって娘はまだ8歳のはずなのにって……。


 でも本当なんです! ずっと貴方に会いたかったんです! タイムスリップしてやっと貴方に会えたんです。信じてくれなくても構いません!

それでもいいから、今はお父さんに会えたことをこんなに喜んでいる私がいたことだけでもどうか覚えていてください。それだけでいいです。私はもう帰りますから」


 美羽が涙を流しながら言うと、困った顔でしばらく美羽を見ていた天乃が美羽の肩にそっと片手を置いた。


「信じたいですね。キミが僕の娘だということ。美羽という名は妻と一緒につけたんだよ。美しい羽根で、この大きな世界で自由に羽ばたいていけるようにと。

 それに、この名前が僕の娘の名前だと知ってるのは、亡くなった妻と僕、そして僕の弟だけなんです。


 キミはこんなに大変な思いをして僕に逢いに来てくれたんだね。キミが嘘をつくような人にはとても見えない。だから僕はなぜだか信じられる気がするよ。もし本当にタイムスリップできるなら……結子、8年前に亡くなったキミのお母さんには会えたの?」と訊かれ、美羽はゆっくり首を横に振った。



「そうか、逢えなかったんだね。可哀そうに……。美羽さん、君は僕らの子供に生まれて幸せだったのかな? 生まれたばかりの君を弟の元に預けてしまった僕たちのことをうらんではいませんか?」と天乃の言葉は美羽の話を全て信じているかのようだった。



「恨むなんて! 私は今とても幸せなんです! 天音神父さまのところにお世話になっていますが、大学にも通わせてもらって何不自由なく暮らしています。生まれてからずっと幸せでした」と答えた。


「天音神父……そうか、やっぱりそうなんだね。幸せなら本当に良かった。僕は、結子を思い出すのが辛くて今まで君に会いに行けなかったけど、一緒に過ごせるようになったら必ず迎えに行く。約束するよ。……でも、未来の僕らはどうだったのかな?」と悲しい顔で聞いた。


 美羽は一瞬答えを躊躇ためらったが、「未来は……未来は、きっと願ったように夢は叶いますから」とだけ答えておいた。美羽は正面から天乃にしっかり向き直ると、「最後に私のわがまま聞いて頂いていいですか?」と訊いた。

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