第4話 もうひとつの使命とは

 女性はニッコリすると「いいですよ。私から神父様にお願いしてみますね。何か大変なことにわれたのですね。どうぞご心配なさらず」と優しく美羽の手を取って答えた。


 やっぱりシスター伊藤は昔から優しい方なんだ、美羽はホッとして感謝の気持ちがきあがった。

 赤ん坊の時に拾われ育ててもらった。今もこうして若い頃のシスター伊藤に助けられている。元の時代に戻ったら、ちゃんと恩返ししなくちゃと。


 連れて来てもらった見慣みなれているはずの養父の教会は、昔から変わっていなかった。今では少し古くはなっていたが、目の前の10年以上も前の建物も同じように威厳いげんがあって、そして温かかった。


 隣接りんせつしている孤児院『天使の家』では、小さい子供たちが庭に出て遊んでいるのが見えた。

 美羽はハッと立ち止まった。小さい女の子が一人きりでブランコに乗って遊んでいるのが見えたからだった。


「ああ、あの子はここの子ではないですが、学校から帰ってくると、いつもあそこで1人遊んでるんです。神父様の娘さんで、みうちゃんていう素直で明るい子です」と、シスター伊藤が教えてくれた。



──じゃあ、あの子は、もしかして……私。

 美羽は、そっとそっとまるで小さい動物がおびえて逃げないように、足音を立てずにそっと女の子に近づいた。

 少し離れたところから「美羽、ちゃん?」と自分の名を呼んでみた。


 女の子は急に声をかけられビクッとしたが、美羽を見るなりニッコリして「うん!」と答えた。


(よかった! 私はこんなに幸せそうだったのね)美羽はつぶやきながら、「えっと私もね、美羽っていうのよ。あなたに会えて良かったわ」と声を掛けた。

 子供の美羽は、大人になった美羽をじっと見ていたが、ゆっくりこちらに近づいてきて、「お姉ちゃんって、なんだか私のお母さんみたいね。私ね、お母さんはいないけど、なんだかお姉ちゃんがお母さんみたいに思える」と微笑ほほえんだ。


 美羽は思わず8歳の自分を抱きしめた。「美羽ちゃん、あなたはきっと幸せになるよ。これからとっても大好きな人たちに会えるからね!」と言ってあげた。小さい美羽は何も知らずに無邪気むじゃきに、うん、とうなづいた。


 ──早く戻りたい。元の世界に戻って裕くんの元へ帰りたい! 裕くんに逢いたい!

 美羽の瞳に自然に涙が溢れた。私はいつ帰ることができるのだろうか、どうしてここに来てしまったのだろうか、いくら考えても何も理由など浮かばなかった。




 その夜、教会のシスター伊藤の部屋に泊めてもらった美羽は窓から遅くまで星を見上げて寝付けなかった。

 ──いったい私はどうなってしまうのだろう。あのとき裕くんは神社でいなくなった私のことを捜して、すごく心配しているに違いない。





 その頃、裕星は美羽の携帯に何度も電話したが一向に繋がらないことに苛立いらだっていた。

 何か事件か事故に巻き込まれたのだろうか? そう思うと胸騒むなさわぎが収まらず、心が乱れててもなく辺りを捜すことしかできなかった。小さな地蔵のほこらの前を何度も行き来しながら必死で美羽を捜す裕星の姿があった。








 美羽は眠れぬまま朝を迎えていた。窓辺でさえずる小鳥の声でハッと飛び起きて外を見た。

 何も代わりえしない日常の景色だったが、やはり違和感があった。

 急いで教会に向かうと、シスターたちがもう正装に着替え礼拝堂で祈りをささげていた。

 美羽は、ふと顔を上げたシスター伊藤の顔を見てガッカリしてしまった。まだ若いままだった。


「どうされましたか? お体の具合はよくなられましたか?」優しく声をかけたシスター伊藤は、今も昔も天女のような人だと思った。


「はい、ただ……」

「ただ?」

「まだ可笑しな気分がぬけません。私の居場所もまだ分からないんです」美羽は涙が出そうだった。


「美羽さん、あせらなくて大丈夫ですよ。きっとすぐに思い出しますよ」と美羽が記憶喪失きおくそうしつになったのだろうと心配してくれて、どこまでも優しく接してくれようとしている。


 教会から出てもこの時代には知り合いなどいない。私がここに来た理由はなに? 私がここでしなければいけないことがまだあるかしら?


 美羽は、この不思議な体験に何か意味がある気がしてならなかった。

 ただ、今頭に浮かんでいることがひとつだけあった……。それを今日はやってみようと決意したのだ。




 美羽はある大手の芸能事務所の前にいた。裕星の母、真島洋子まじまようこの所属事務所だ。

 美羽が事務所の受付で真島洋子に会いたいと言うと、一笑されて簡単に追い出されてしまった。


 ──やっぱりダメだよね。有名人だからガードが固くて、これじゃ絶対に会えるわけないわ。


 そうだ!

 美羽は以前、裕星が話していたことを思い出した。洋子が自宅代わりに使っているホテルがあったことを。

 ──もしかすると、あそこに真島さんが泊まっているかもしれない。今も昔も同じとこだといいんだけど……。


 美羽が次に向かったのは、都内の一等地にある老舗ろうほの高級ホテル。もちろんお金は持っていないからタクシーにも乗れず、徒歩でクタクタになっても歩くしかなかった。



 ホテルのロビーに着くとまず作戦を考えた。さっきのような失敗はできない。フロントでは、まるで女優になったつもりで少し馴れた口調で言った。

「私、真島洋子さんの知り合いで、天音美羽と言いますが、今日真島さんにお会いすることになっています」



 フロントスタッフは、少年のようなラフな服装の美羽を怪訝けげんそうに見ていたが、ようやく真島の部屋に電話してくれた。

「やった! やっぱり昔からここに泊まっていたのは確かなのね」

 美羽は右手のこぶしを握ってカウンターの下で小さくガッツポーズをした。


「あの、天音さん? 真島さんは今日はどなたともお約束はないと仰っていますが……」


「えっと……」

 美羽はたじろいだ。それもそうである。真島との約束などもちろんあるはずはない。しかし、たとえ会えなくても、ここにいることだけは掴みたかったのだが、この後の作戦は全く考えていなかった。


 するとフロントスタッフが、「でも、せっかくなので天音さんとお会いしたいと仰っています」と言って、すんなり美羽をエレベーターへと案内してくれた。


 この急転直下きゅうてんちょっかに驚いている美羽を他所目よそめに、スタッフは真島のいるスイートルームの最上階に案内してくれたのだった。

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