第2話 幼き恋人を救うため

「ここだよ」

 裕星が毎年子供の頃から行っていた神社だが、とても古く風情ふぜいのあるところだ。


「わぁ、とってもステキ! 赤い鳥居とりいが目印なのね」美羽を車から降ろすと、「ここで待ってて、車を停めてくる」と裕星は車を裏の駐車場に回しに行った。


 美羽はしばらく鳥居の前で物珍ものめずらしそうにキョロキョロしながら裕星を待っていた。

 赤い鳥居の向こうにもうひとつ普通の木造の鳥居があって、その奥に神社の本堂ほんどうらしきものが見える。


 ここは正月にはきっとたくさんの初詣はつもうで客でごった返しているに違いないと、今は閑散かんさんとした境内へ目をやりながら、季節外れにまばらに歩く参拝客をぼんやり見ていた。


 ふと背後の参道に目をやると、古い土産物屋みやげものやの木造の建物が並ぶ路地ろじ片隅かたすみに、小さいお地蔵様がまつられたほこらが見えた。


 わぁ、可愛い……美羽は裕星が来るまでの間お参りしようとして、ポケットから小銭を出すと、小さなお地蔵様の前に置かれた皿の上にチャリンと乗せて手を合わせた。


 お地蔵様の丸い顔がとても穏やかで、まるで小さな子供のようだな、と美羽がニッコリ微笑ほほえみかけたそのとき、地蔵も少し微笑んだ見えた。祠と地蔵が突然ぐにゃりとゆがんだのだ。


 美羽は一瞬めまいを感じて後ろに倒れそうになり、慌てて両手を付こうとしたがなぜか地面がない。

 後ろに回した両手はバタバタとちゅうを舞い、どんどん地面の下に背中から落ちていく感覚におちいった。

 悲鳴ひめいを出す間も無く「ゆう、く、ん!」やっと出した声も空間に消えていった。




 その頃、駐車場から鳥居に戻ってきた裕星は、美羽の姿が見えないことに気づき、辺りを捜して歩き回っていた。美羽が裕星を置いたまま勝手にどこかに行ってしまうことは考えにくかった。美羽の身に何か起きたことは間違いない。

 そのとき、「……裕、くん」と美羽の声がかすかに耳元に聞こえた気がした。しかし裕星が辺りをグルグルと見回しても美羽の姿はどこにもなかった。





 美羽が次に気が付いたのは、誰かに背後はいごから声を掛けられたときだった。地面にぺたりと座っていた美羽を見て、「あのぉ、大丈夫ですか? 具合でも悪いのですか?」とのぞき込む者がいた。


 美羽がハッとして見上げると、声の主が心配そうに美羽を見ている。その顔はどこかで見たような……まるで教会のシスター伊藤をそのまま10年若返らせたような顔立ちの30代半ばくらいの女性だった。確かに、女性は修道女の着る黒いトゥニカと、頭には白いウィンブルを被っており、まさに本物のシスターなのだろうと思った。


「は、はい、大丈夫です。ありがとうございます。ちょっとめまいがして……」

 美羽が立ち上がろうとしてフラつきそうになった時、女性はさっと美羽に手を差し伸べ立たせてくれた。


 美羽が無事なのを確かめると、「神のご加護かごがありますように……」と胸に下がっているクロスの前で十字じゅうじを切って去ろうとした。しかし、美羽は何かに突き動かされたように、つい「あの、もしかして……シスター伊藤ではないですよね?」といた。


 女性はビックリしたように振り返って美羽を見たが、「どこかでお会いしたことがありましたか?」と答えた。


 美羽はもう一度女性の顔を確かめたが、やはり女性は明らかにシスター伊藤よりも若かった。

「まさか、よね……」と美羽は意図いとせず発した自分の言葉に苦笑にがわらいした。

 美羽は辺りを見回してみたが、さっきまで数名はいた参拝客の姿は全く見あたらなかった。

 それどころか、周りの高層ビルに目をやり、信じられないほどの衝撃を受けた。


「あれって、もしかして……、まさかスカイツリー?」


 美羽が見たのは、まだ百数十ひゃくすうじゅうメートルにも及ばず周りの建物の中に埋もれて見える建設中のスカイツリーだったのだ。


 美羽は狼狽うろたえてキョロキョロしたが、さっきのお地蔵様のほこらは、もうどこにも見当たらなかった。美羽は混乱して両手で頬を押さえながら、周りの異様な景色を見回し立ち尽くすだけだった。

 さっきの古い土産物屋みやげものやの建物が、つい最近建てられたかのように真新まあたらしく木目もくめさえ美しく見える。


「あのぉ……」

シスターの心配そうな声で我に返った美羽が、「あ、すみません! 似ている方を知っていたので、人違ひとちがいしました。それに私、迷子になっちゃったみたいです。ここはどこですか?」と聞いた。


 シスターは少しも笑うことなく心配したように、「ここは日本武尊ヤマトタケルが祭られている尊明そんみょう神社(*架空)の近くですよ。分かりますか? 具合は大丈夫ですか?」

 それを聞いた美羽は、さっきまでいた場所であることを知り、更にパニックを起こした。


「で、でも、周りの建物が少し違って見えるのですが……いったい今日はどうしたのかしら……」


「今日? 今日は2009年9月22日ですよ」

 シスターは13年前の日付を真顔まがおで答えてくれたが、嘘をついているようには見えなかった。

 それとこの周りの異様な様子。まるで本当にタイムスリップしてしまったかのようだった。


 美羽は若いシスターに丁寧に礼を言って別れ、周辺を探索たんさくすることにした。


(きっと思い過ごしだ。どこか知らない道に迷い込んだに違いないわ。早く裕くんに会わなくちゃ、きっと心配してるはず)そう考えながら美羽はスマホを出そうとポケットを探った。


 スマホを取り出し電話を掛けようとしたが、圏外けんがいだった。

 まさか、いくらなんでも都内の真ん中が圏外のはずがない。故障なのかしら……。

 ふと周りの人達を見ながら気が付いた。携帯電話を掛けている人もちらほら見かけるが、ガラケーと呼ばれている二つ折りの携帯を持っている人が多いのだ。それに今ではあまり見かけなくなった緑の公衆電話のボックスが2台も立ち並んでいる。


 美羽がその不思議な光景に唖然あぜんとしていると、この辺りでも目立つほど高級そうなマンションから飛び出してきた女性と歩道の真ん中でぶつかりそうになった。


 美羽が、すみませんと謝ろうとしたその時、「お母さん、待って! 行かないで!」と泣きじゃくりながら小学生くらいの子供が女性を追いかけてマンションから出てきた。


 お母さんと呼ばれた女性はちらりと子供を振り返ったが、「もうすぐ家政婦の金田が来るからお部屋で待っていなさい」と言い捨てたまま、前の道路に停めてあった運転手付きの高級車に乗り込んで風のように去っていってしまったのだった。


 幼いその子供は10歳になるかならないかくらいの少年だった。

 まだ涙を溜め唇を噛んで立ちくしている。


 一部始終を見ていた美羽は、雑踏ざっとうの中で立ちつくしているその少年を放っておけず、そっと近づき、「大丈夫?」と声をかけた。

 少年は、涙をそでぬぐうと、キッと美羽をにらんできびすを返しさっさとマンションのエントランスに入ろうとしている。


「待って!キミのお家はここなの?さっきの人はお母さん?」

 美羽はその少年がどうしても気になってしまった。

 美羽は、構わずエントランスにキーを差して中に入って行こうとしている少年の腕をつい掴んでしまった。怖い顔で振り向く少年の顔をしばらく見ていた美羽が思わず口を開いた。


 もしかして、もしかして……。「あなたは、裕……くんなの?」

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