第1話 悲しい誕生日、温かい誕生日

「お父さん、お母さん、なぜ私を置いていったの? 」


 物心ついた頃から、美羽みうは時々、悪夢あくむにうなされ涙を流す日々だった。

 しかし朝になると、美羽は冷たい水で顔を洗い、鏡の前で笑顔を作った。

「お父さん、お母さん、行ってきます」と、生きているのか亡くなっているのかも分からない両親にいつも決まって挨拶あいさつをするのが日常だった。



 養父になった天音道信あまねみちのぶ神父が、美羽が自分の本当の子供ではないと伝えたのもその頃だった。

 真実はいつまでも隠し通せるものではない。いつかは伝えなければいけないという義務感ぎむかんと、本当のことを話した時の美羽の絶望感を考えると、真実を伝えるべきか、このまま知らせずに幸せな生活を続けさせるべきか、その葛藤かっとうに苦しんでいた。

 きっかけは美羽の高校進学の手続きに必要だった戸籍謄本こせきとうほん。知らされなかった事実を紙上で知るその前に、神父自らの口で伝えたかったからだった。



 しかし、真実はそれだけではなかった。天音神父が告げていない美羽の出生の秘密がまだある。

 21年前のあの日、美羽は、見ず知らずの者の捨て子として教会に預けられた訳ではなかったことを。






 ☆☆☆ JPスター芸能事務所 ☆☆☆




 デビュー2年目の今夏こんかも人気が衰えることなく大忙しのラ・メールブルーだった。

 世間のいわゆる夏休みの時期も、テレビの歌の特番やらコンサートツアーが軒並のきなみ続き、暑さ和らぐ9月になってようやく裕星たちは夏休みをもらえることになった。


 世間では、夏休みは里帰りする人あり、海外で思い切り行動的に過ごす人あり、帰省きせいする人や都内でゆったり過ごす人ありと、皆それぞれの過ごし方をしている。



 美羽の大学では夏休みが7月半ばから9月下旬の2ヶ月以上もある。前半はボランティアをしている孤児院『天使の家』で子供たちの世話で目まぐるしく動き回っていたが、美羽は9月も後半になってやっと休みができたところだ。


 美羽の家族は、養父の天音あまね神父だけだが、教会に仕える身として年中無休で奉仕ほうししている忙しさを見ていたら、美羽が家族旅行に行きたいなどと、おいそれと言えるはずもない。


 光太こうたりく、リョウタは例年通りそれぞれ実家に戻って家族と休みを過ごす予定だ。

 家族は母親一人だが、その母とも十分理解し合えていない裕星にとって、家族とは無縁で今までも一人きりで過ごしてきた。しかし、今年の夏は違っている。

 美羽と出逢ったことで、今までになく心浮き立つほどこの休みが待ち遠しかった。



 そういえば、と裕星は子供のころから母親が不在で誕生日すら一人きりだったことを思い出した。

 まだ幼かった頃でさえもバースデーケーキをたった一人で食べていたというみじめさを思っただけで、9月23日の誕生日を迎える度にまた繰り返し沸々ふつふつと怒りが込み上げてくるのだった。



 一方美羽の方は、物心ものごころついた頃から、毎年、自分が拾われた12月24日には、養父とシスター伊藤が代わる代わる抱き締めて、「おめでとう」と温かい言葉と、ささやかだが美羽にとっては大切な贈り物をくれた、寂しさより温かさがまさる誕生日の思い出がある。


 そのため美羽は、裕星の対照的たいしょうてきな誕生日の悲しい思い出がいつも心の奥に引っかかっていたのだ。

 その裕星の誕生日は明日だ。せめて自分と出会ってからは、毎年温かい誕生日の思い出に変えてあげたいと考えていた。



 美羽は裕星のマンションを訪れ、部屋の前のインターフォンを押した。裕星が今1番欲しいものをデートをしながら探り、明日の誕生日にプレゼントしようという計画だ。


「どうした?」

 モニターに映った美羽を見て裕星が嬉しさを隠すようにわざとぶっきらぼうに出た。


「裕くん、私よ。光太こうたさんもりくさんもご実家に帰られたし、リョウタさんはアメリカに帰国されてるって聞いたから、今日から6日間は裕くん一人きりだよね? 私も夏休みのことで話があるんだけど……」


 そう言ってる内に、裕星がカチャッとロックを開けて顔を出した。

「これから俺も外出しようかと思ってる。一緒に行くか?」先に裕星の方から誘ってきた。

「うん!」突然の誘いに美羽も嬉しさを隠せなかった。



 部屋に入るなり、ここぞとばかりに美羽は思い切って訊いた。

「ねえ裕くん、良かったら……都内の古い仏閣巡ぶっかくめぐりにでもいかない? 私、お寺や神社の境内けいだいを見て回りたくて……。ずっとキリストさまの教会だったから、ついつい神社に行くのは神様違いかなってずっと遠慮して行ったことなかったから……」


 裕星は驚いて、「俺も同じようなこと考えてた。今行こうと考えてたのは、人が少なくて落ち着いて歩けるようなところだよ」とふわりとした笑顔になった。


「嬉しい! 行きましょ!」わぁ、と飛び跳ねて美羽が子供のように嬉しさを表現している。


 はしゃぐ美羽を見て、「ただし一緒に外に出る時は慎重にしないとな。俺が一歩外に出たら、誰に見られてるか分からないからなぁ」と神妙しんみょうな顔をした。


「そうね、せっかくのデートが台無しにならないようにしないと、よね!」

 美羽がバッグから取り出したのは、つばの大きい野球帽だった。帽子の中に長い髪をくるりとまるめて目深まぶかに被ると、Tシャツと足首でまくりあげたゆるいジーンズの出で立ちがまるで少年のようだった。


 本当は可愛いワンピースを着てデートに行きたかった……そう思いながらも、あえて目立つ服装を避けて一見少年のようなファッションにしたのだ。




 裕星は、暗めのサングラスに、白いTシャツの上に羽織はおった薄いブルーのシャツと黒いパンツを履いただけのスタイリッシュなファッションで部屋から出てきた。


「わぁ、裕くん! すっごくカッコいい!」美羽に言われて満更まんざらでもなかった。

 少しニヤけた顔を必死で隠しながら駐車場に降りると、エンジンをかけて、「さ、行こうか」と口元を引き締めてアクセルを踏んだ。


 裕星のベンツは、しばらく都内の真ん中を渋滞を避けるように走っていたが、ようやく停まったのは道路の真ん中にこじんまりと立っている真っ赤な鳥居とりいの前だった。

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