惚れ薬の材料

 翌日の出勤日、レイラはお金を納めた封筒を差し出して、エイブラムに頭を下げていた。

 エイブラムは朝食のサンドイッチを食べながら、彼女のつむじを眺めている。


「すみません。さすがにタダで相談できないので、お金を払いますので魔法の相談に乗ってください」

「……状況が見えないんだが、なにがあったのかね」

「実は……」


 レイラはエイブラムに封筒を差し出してつむじを向けたまま、昨日聞いたチェルシーの話を一から十までした。


「たしかに……これは魔法案件とするか否かでも、揉めるだろうねえ。惚れ薬も魔道具認定されるものから、完全に気休めのものまであるから、惚れ薬を使われたから無罪とするには、まず惚れ薬の材料を調べるところからはじめないといけないが」

「……それなんですけど。材料さえ調べたら魔道具かどうかわかるんでしたら、普通に弁護士やら薬剤師やらが調べたら終わりませんか?」


 レイラの疑問に、エイブラムは紅茶で満たされたカップを傾けてから答える。


「たとえば、一日中水妖精が歌を聞かせた月見草を、どうやって見分けるんだい? 材料を調べるっていうのだけでも、どうしても魔法が必要になる」

「ああ……たしかに妖精が歌っていたなんて、薬剤師さんでは調べようがありませんよね……」

「あと、その惚れ薬は残っているのかい? 婚約破棄された時期によっては、既に処分されていて調べようがない場合もあるのだけど」

「ああ! それはチェルシーに聞いています! あのう……先生。これって……」

「本当だったら魔法使いを紹介してあげたいところだけれど、魔法学院は現在ピリピリしているから、そちらに回すのは酷だろうねえ」

「まあ、そうですよね……」


 そもそも黒魔法認定されて内職できなくなる危機に遭遇しているのだから、その中で内職の材料を調べろというのは、さすがに酷であろう。現在は国の偉い人たちと、相当揉めているまっただ中なのだから。

 エイブラムは全てを食べ終えてから、自身のローブを手に取った。


「まあ俺が行くのが手っ取り早いだろうね。あとさすがに君の薄給は取らないよ。君ももし惚れ薬に関わるトラブルに巻き込まれたときの勉強代として持っていなさい」

「ああ! はい、ありがとうございます先生!」


 こうして、エイブラムとレイラは、チェルシーから事情を聞きに行くことにした。


****


 チェルシー宅は豪奢な屋敷である。

 庭には四季咲きのバラが咲き誇り、テーブルやベンチまで置いてある。昼下がりにはさぞかし立派なアフタヌーンティーを楽しめることだろう。


「わざわざ魔法執政官さんがいらっしゃるなんて光栄ですわ!」

「いえいえ。昨今は魔法使いも大変でして。悪徳魔法使いに捕まる前に、私が馳せ参じた次第ですよ」

「まあ……!」


 テラコッタ色の髪を綺麗に巻いたチェルシーは、うきうきした様子でエイブラムとレイラを応接室に案内し、紅茶とお茶菓子を振る舞ってくれた。

 硬いが美味いクッキーをいただきつつ、エイブラムは辺りを見回していた。

 応接室は質のいい皮のソファーにテーブル。誰が描いたのかわからない抽象画はやけに高そうな額縁に押し込められて狭そうだった。


「この辺りには魔法の気配はないようだが」

「そうですねえ……チェルシーも婚約が破談になって立ち直ってませんから」


 だとしたら、惚れ薬もただの気休め程度のものだったのではないだろうか。そうレイラが考えたときだった。

 チェルシーが「これなんです」と言ってきたものを見せてくれた。

 小瓶には淡いピンク色。イチゴミルクを思わせるような色をしていた。


「これを使われたとシリル……私の元婚約者です……が、おっしゃっていて」

「綺麗ですねえ。でも、これがそんなに」

「これはかなり高位の惚れ薬で、魔法使いの内職なんかじゃつくれないものなんだが」

「先生?」


 レイラとチェルシーが驚いてエイブラムの顔を覗き込むと、先程までビジネスライクな笑みを浮かべていた彼からは、笑みが引っ込まれて口元が引き結ばれているのがわかった。

 エイブラムはすぐに自身の仕事鞄を広げると、簡易的な魔方陣の上に小瓶を置いた。


「ふたりともできれば口元はハンカチで押さえていてください」

「あの……そんなに危険な……」

「これは妖精の涙と呼ばれる、錬金術の髄を集めてつくられた惚れ薬ですよ……これは必ず成婚させないといけない王族が用いるような代物で、国王直轄の魔法使いでもなければつくろうとしませんよ」


 それにふたりとも口を開けた。

 いったいなにがどうなって、そんなものが飛び出てきたのか。

 エイブラムは小さく魔道具を眠らせる呪文を唱えてから、瓶を開けた。レイラとチェルシーは言われるがままにハンカチで口も鼻も覆っていたが、それでも漂ってくるのは、バラやハーブを足した華やかで甘い匂いであった。


「いい匂い……」

「ええ。バラを百本使っていますからね」

「百本……! この一瓶だけですか?」

「ええ」


 王族女性ご用達の美容液も、バラを百本使ったものがざらにある。しかし百本のバラなんて、たしかに貧乏暇なしな魔法使いの内職では元手が高過ぎて到底つくれる訳もなく、好きなだけ材料を集めることが可能な国王直轄の魔法使いでもないと、まず材料が集められない。


「バラにローズマリー、ラベンダー、人魚の鱗、ドラゴンの角、最後に妖精の鱗粉をひと晩かけ続ける……これで妖精の涙が完成しますが。こんなもの、いったいどこの誰に使われたんですか?」

「それが……」


 チェルシーはなにかを持ってきた。

 持ってきたのは抽象画で、描かれているのは銀髪の女性ということ以外なにもわからない絵だった。どんな表情をしているのか、背景はどこなのか、抽象的過ぎてなにもわからない。


「これは?」

「シリルが描いた絵なんです。彼は絵が趣味で、爵位を継いだあとも、自分が絵を描けなくなっても誰か絵を描いてくれる方のパトロンになろうとしていたくらいの絵好きでした」

「なるほど……」

「この絵のモデルなんです」

「うん……?」

「この絵のモデルが、シリルに惚れ薬を盛ったと彼は訴えているんです」


 チェルシーは今にも泣きそうな顔をしていた。

 それでようやくレイラは気付いた。

 チェルシーは元々貴族令嬢であり、お金にはなに不自由してないのに、どうして慰謝料を請求したがるのか、レイラも彼女が必死なのを見かねて協力しただけでわかっていなかったが。

 彼女は別に、慰謝料を要求したかったのではないと。彼に惚れ薬を使われたのだとしたら、それを立証すれば、もしかしたら彼の心が自分の元に戻ってくるのではないかと、わずかな希望にすがっていたのだと。

 エイブラムはしばらくその絵を眺めたあと、ひと言口を出した。


「最初に申し上げますが、彼に惚れ薬を使用されていたという事実が真だったとして、魔法が解ける訳ではありませんよ?」

「……わかっています。魔法で形を変えたものは、いかなるものであったとしても元には戻らないのでしたわね?」


 魔法で形を変えたものは、いかなる法則をもってしても、元の形には戻らない。

 魔法使いが口酸っぱく弟子に伝える言葉であり、今では魔法学院が生徒たちに口酸っぱく教えて回っている。

 惚れ薬の案件について調べていたチェルシーも、その言葉にぶつかったのだろう。


「ですけど……なにもわからないままでお別れは嫌ですから」

「……わかりました。乗りかかった船です。最後まで付き合いましょう」


 エイブラムはそう言って立ち上がる。

 レイラは慌ててメモとペンを取り出すと、チェルシーに尋ねた。


「あのう、この絵のモデルさんって、どこの誰? その方からどうにかして惚れ薬の証言を取らないことには、シリルさんを訴えることもできないし……」

「……ブリジット・アベラール。バラ園を営んでいる娘さんですって」


 その言葉に、惚れ薬の材料を思わせ、ふたりは顔を見合わせた。

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