第143話 炎上

 焦げ臭い。ロボの嗅覚が微かな異変を察知した。屋敷が燃えている。


「ランサ分かるか? 屋敷が燃え始めている。火を放ったようだ。良くないな」


 ランサはユリシスから動くな、と言われている。だがそうはいかないようだ。


「ロボ臨戦態勢を。私は姫様を!」


 ランサは玄関に向かって走り出す。やはり無理を言ってでも一緒についていくべきだったのだろうか? どちらかと言えば温厚な兄だったはずだが、状況は最悪を想定しなければならないようだ。


 玄関扉に手を掛けようとすると、向こう側から扉が開いた。目を虚ろにしたユリシスが出てきたのだ。純白の法衣に返り血が付いている。ランサを認めると、その場で膝を着き崩れ落ちた。


「姫様!」


 ランサはユリシスを受け止めるとロボを呼ぶ。扉の向こうに炎が見える。火の回りが早いようだ。ここから離れなければならない。ランサの声が届いたのか、ロボが走り寄ってくる。ユリシスは力なくうなだれている。小声で何かを呟いているようだが、唇が微かに動いているだけで声になっていない。


 ロボはユリシスを軽く咥えるとランサに合図を送る。ランサが飛び乗ったのを確認すると、門のところまで一気に跳躍する。同時に屋敷から大きな火が上がり、またたく間に全館を包み始めた。


 屋敷から放たれる熱が門付近にまで届いてくる。だが、ここまで炎は届かない。ランサは素早くロボから降りると、ユリシスを抱きとめる。屋敷からはユリシスしか出てこなかった。そして炎が上がった。

 ランサはそれでおおよそを察した。


「仕方なかったのですよ、姫様。バカな兄です」


 ユリシスの虚ろな視線が、ランサの顔面を漂うように移動する。


「祝福が、祝福が欲しかった。あなたのお兄様はそう言った。だから殺した、自分の手で」


 ユリシスは自分の手を見つめる。


「そして、襲いかかってきた貴方のお兄様を、私が手に掛けた。許ししてランサ。他に方法があったかもしれないのに……」


 ユリシスは手で顔を覆う。ランサはそっと肩を抱く。


「バカな兄です、本当に」


 ランサは同じ言葉を繰り返す。背後で屋敷が瓦解し始める。


「あの中にいるのですね……」


 ユリシスは遺体をランサには見せたくなかった。より嘆きや悲しみが深くなる。子供たちには生きていて欲しかった。


「姫様が中に入った時にはすでに、義姉も子供たちも死んでいたです。姫様に何の責がありましょう。すべては兄の不始末なのです」


 ランサも泣き出したいのをじっとこらえている。ここで声を出してしまえば、止まらなくなるのが自分でも分かっている。虚脱しているユリシスの身体には体温が通っている。今はそれだけで充分だ。


「鎮火を見届けてから撤収しましょう。ロボ、そのように準備を」


 ランサの声にも感情は薄い。機械的にロボに伝えるのが精一杯だ。


「本当に仕方なかったんだよ、ランサ。君のお兄さんは祝福を求めていた。だから自殺せずに待っていたんだ。殺したのはユリシスじゃない。ボクだよ」


 ランサにも様子は分かる。ハッシキにしてみればユリシスの安全が最優先だ。ランサだってきっと同じ行動をした、相手が兄であってもだ。


「ハッシキ、あれで良かったの?」


 ようやくユリシスの小さな声が、ランサの耳に届いてきた。


「姫様、間違いではありません。兄は死を求めていた。すでに全てを諦めていたのですから」


 剣戟に殺意を込めたのは、そうしなければ反撃されないと分かっていたからだろう。剣の嗜みが少しはあったのだ。愚かな好意ではあったが、判断は皮肉にも正しかった訳だ。

 屋敷が崩れ落ちる大きな音が響き渡る。遺体も焼けてしまっただろう。

 ユリシスの手は血に塗れている。多くの命をこの手にかけてきたのだ。戦争だから仕方がない? 叛乱を起こした方が悪い? ユリシスにとっては全てが言い訳のように響く。この手が命を奪い、この手が祝福を与える。最初に剣を振り上げたのは、カギルではなく、自分ではなかったのか? 子供たちを殺したのは自分なのではないか? ユリシスには分からない。


「いいのです姫様。姫様は正しかったのですよ。気に病んでいただいて兄たちは幸福です。祝福すら受けられたのですから」


 ランサの声は、炎が爆ぜる音にかき消された。


【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。聖女系の小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、ゆっくりペースでも気にならないという読者の皆様、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】

https://kakuyomu.jp/works/16817139557963428581#reviews

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