第8話 鼓動
「楽園は魔人領にあるという学者も確かいましたよね?」
ランサにとっては聖女であるユリシスの補佐が第一で、教義の探求はその任に当たる者がやっていけばいいという割り切りが芽生えている。もちろん教義は大切であるし、教典も暗誦できるほどには読んでいる。
「魔人? この世界には人類の他にも魔人なんてものが暮らしているんだね」
ハッシキは驚いたように大きな声を上げる。
「そう。人類が暮らすのがユグラシア大陸、この大陸ね。その西に海を挟んでもう一つ大陸があるのアストル大陸と呼ばれているわ」
魔人といっても人間と見た目は変わらない。ただし、宿痾の影響を受けないので肉体は頑強な者が多い。人類が聖霊術を使うのと同様に、魔法を使えるものも多数存在している。
「文化文明のレベルは人類にはやや劣るものの高い知性をもった種族ね。大陸と大陸の中間にあるブリストル島を中心に交易をおこなっているわ」
交流はかなり盛んで、人類の中でも、あちらの大陸に住み着いている人もかなりの数いるのだ。
「それで姫様、いかがなさいましょう? いっそ魔人領へと亡命する手もあります。おそらく穏やかに暮らしていけるでしょう」
ランサの提案は一つの手ではあるのだろうが、ユリシスはその細い首を横に振る。
「私にとって大切な故郷であり、聖地でもあるベニスラが奪われた。必ず奪還する」
しかし、自分一人、そしてランサ、ロボ、ハッシキの力だけで望みをかなえるのはかなり厳しいだろうという見通しがユリシスにはあった。
「お姉さまにおすがりしてみましょう。とにかく西へと向かうわ」
ユリシスはリリーシュタット王国の第四女。上には三人の姉がいて、いずれも救済派の国々へと嫁いでいる。救済派にとって、今回の聖地陥落は痛恨の極みであるのは間違いがない。情報が伝わっているかどうかは定かではないが、楽観視するはずはない。
ユリスたちは緩衝地帯である森を抜けてきた。森の中でロボのスピードに追い付けるものなどいない。森は広大で、探索しながら追いつくのは不可能。森の縁を巡るように敷かれた街道を通っても、当然捕まりようはない。
「ここから一番近いのは次女であらせられますグランジウム王家に嫁がれたトリサマサ様がいらっしゃるベリスタンドですね」
森を抜けるとそこには街道が通っている。直接グランジウム王国王都ベリスタンドには通じてはいない。いくつかの街を通っていかなければならないが、全ては救済派の街。森さえ抜ければまずは安全だ。よほど聖女の首が欲しければ刺客を放つ可能性はあるが、所在すらつかまれなければ、こちらもまず大丈夫だろう。しかも、こちらにはロボという頼もしい護衛が付いている。
「そうと決まれば急ぐべきだろう。さ、二人とも俺に乗れ。飛ばすからしっかりとつかまっているんだぞ」
快晴の夜空に三日月がかかっている。まだ光は淡い。
ロボの背に乗るのに、身体がまだ馴染んでいない。少し走っては休憩を挟む。
「まず最初の街に入ったら、衣服を整えなければなりませんね。いくら聖女の正装とは言え、袖が千切れていてはどうにもなりませんから」
心臓に病を抱えて育ったユリシスにとっては王宮の中が世界の全てであった。外に出ると言えば庭をゆっくりと時間をかけて散歩する程度。ほぼ初めての外出があの聖女戴冠式の式典であったのだ。
「私は聖女になるために生まれ、育てられてきた、ずっと。でも不思議ね。聖女ではあるけれども、今、私は教会にはいない」
追われる身ではあっても初めての自由であるともいえる。妙な感覚にユリシスは浸っている。姉たちは早くに嫁いでしまったし、同年代の友達などもいない。相手をしてくれたのは侍女と家庭教師ぐらいなものだ。呑気ではいられないが、ユリシスは思わず微笑した。
「姫様、何がおかしいのですか?」
ランサにそう言われるまでユリシスは自分の微笑みに気が付かずにいた。文字通り深窓の令嬢であったユリシスにとって世界は限りなく広い。家庭教師に教えられた世界とは緑の色すら違って見えるし、月だって今までで一番美しく感じる。
「空気の匂いなんて初めて感じるみたいなのよ、ランサ。私の時間はあの王宮で止まっていた。空気は淀んでいた。でもここには温度がある湿度もある。手触りが違う」
あの襲撃は痛ましいものであった。国だけでなく家族の安否も気になる。
しかし、こうやってユリシスを世界へと押し出してくれたきっかけでもあるのだ。
「この先何が起こるのか私にはまったく分からない。でも私はこうやって生きている」
ユリシスは確かな鼓動を刻む左胸へとそっと手を置いた。
【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。聖女系の小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、ゆっくりペースでも気にならないという読者の皆様、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】
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