第4話 陽光

 ユリシスは、庭の見える部屋の窓から見るとはなしに花を眺めていた。雨が降っていた。ユリシスは生まれつき心臓が弱かった。外を駆け回った記憶はない。ただ眺めているだけであった。


「走ってみたい……」


 だが、空からさえも拒否されているかのようだった。


「あそこに咲いている花は何という名前なのかしら……?」


 振り向くとそこにいたはずの侍女の姿が遠くへと離れていき、影が長く伸びていく。影から真っ黒な腕が何本も天井へと伸び、それがユリシスへと襲い掛かってくる。

 恐怖に足がすくむ。稲光が部屋全体を明滅させる。何本もの黒い腕がユリシスの身体にまとわりつき、視界を覆う。締め付けられるが痛みはない。首、腕、脚そして胴体、黒い腕に引きちぎられて身体がバラバラになる。高笑いが耳に響いてくる。涙が頬を伝い床を濡らす。

 頭は床に転がったまま、身体は再び一つになり、なんとも愉快に踊り始める。稲光が豪雨を招き寄せる。窓を大粒の雨が叩く。雨音を伴奏にして、身体は踊り続ける、床に転がった自分の頭、その意思とは無関係に。無遠慮に頭を蹴り上げられる。


「ああ、あんなに軽快に踊れるのね。私の身体……」


 中空へと蹴り上げられた視界に、踊り狂う自分の身体が入る。王家の教養としてダンスは身についているが、全く知らない踊りだった。ぐるぐると高速でターンを繰り返す自分の身体は、熱を帯び、光始める。右腕が伸び、部屋の壁を切り裂いていく。雨が遠慮会釈なく室内に流れ込み、足を浸していく。それでも身体は回転を止めない。腕は際限なく伸び続け、雨粒の全てを切り裂き霧に変えていく。


「ああ、終わりの時がやってきたのね……踊りはおしまい」


 床に転がった頭の半分は雨に沈んだ。視界の半分は水に邪魔されて踊りもほとんど見えなくなってきた。


「……大丈夫、大丈夫だ。お前は助かる」


 あの時、襲撃され、殺されかけた時に聞こえてきた声が頭の中に響き、振動となって伝わる。瞳を動かすと腕を元に戻した身体がターンを止め、頭を拾い上げる。その瞬間、頭と身体は粉々に砕け散る。


「身体が軽くなった……」


 粉々になった身体の内側にはもう一つの光輝く別の身体。自由にそして身軽になった自分の身体。


「走っても大丈夫かしら?」


 切り裂かれた壁を乗り越えて庭へと。雨粒から霧へ。その霧も少しずつ晴れ、視界には草原が広がっていた。見上げると雲は四散し、陽光が差しはじめる。

 おずおずと一歩を踏み出す。最初は散歩をするようにゆっくりと。だけど日傘は必要ない。走りだせば邪魔になるだけなのだから。身体は光輝いたまま。じっと見ると手は陽光を遮らず、まるでプリズムのように光を分解していく。


「ああ、なんてきれいな青色……」


 そして一気に駆け出す。

 流れていく風景。草原はどこまでも続いていく。足先から大地の鼓動を感じる。いやこれは自分の脈動だ。息も上がらない、どこまでもどこまでも走っていける。大丈夫、心臓はちゃんと動いてくれている。


「このままどこまでも……。いつ弾けてしまっても構わない。走り続けていたい」


 身体は光の粒子になる。陽光に手をかざす。視界が空の青に染まっていく。その青を映して草原も染まる。知らない間に空中へと身体は駆け上がっていた。


「次に生まれ変わるなら、鳥になるのもいいかもしれないわ。神様はお願いを聞いて下さるかしら?」


 太陽に手を伸ばす。気が付くと空中に静止した自分の周りを鳥たちが飛び回っている。さえずる声がまるで自分を呼び、誘うかのように耳に響いてくる。

 二周三周とユリシスの身体の周囲を巡った鳥たちが飛び去っていく。


「待って、まだ行かないで。私はもっとここで遊んでいたいのに。青に染まったままでいたいのに」


 鳥たちに手を伸ばす。届きそうで届かない。唐突に涙があふれ視界がぼやけていく。陽光に突き刺された身体がそのまま杭で打たれたかのように地面に突き刺さる。

 なおも手を伸ばすけれども鳥の姿はもうどこにもない。

 涙がとめどなくあふれてくる。気が付くと光り輝いていたはずの身体の光は失われている、両腕だけを除いて。

 のらりと立ち上がるを来た道を戻っていく。陽が落ち、星が瞬く草原、腕の光がユリシスを導いてくれている。


 来た時の何倍も時間がかかったような気がする。戻った時には建物は元の通り、部屋も何もなかったかのように静まりかえっている。

 扉をノックする音、侍女が紅茶を持ってきてくれたようだ。


「お外はいかがでしたか? 走り回って楽しゅうございましたか?」


 カップを置きお茶を注ぐ。どんどんと注ぐ。それでもあふれずに、カップはお茶をのみ込み続ける。

 ユリシスはその様子を不思議そうに眺めるだけしかできないでいた。


【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。聖女系の小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、ゆっくりペースでも気にならないという読者の皆様、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】

https://kakuyomu.jp/works/16817139557963428581#reviews

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