【花火に泣き喘ぐ】

 夏も終わりの、八月某日。今日は地元で有名な花火大会の日だった。街は浴衣を着た人や、家族連れ、カップルで溢れかえり、夕方のうちから屋台が並んでいた。テレビでも花火の様子を生中継すると言って、番組を独占していた。そうして時間は午後7時。そろそろ花火が上がるだろうか、と言った時間になった時、ずっと膝を抱えてうずくまっていた花音が私の腰に抱きついてきた。私がその丸い背中をさすると、花音はぐりぐりと頭を押し付けてきた。


「はるちゃん、もう、始まる?」


 花音は今にも消えそうな声で私に尋ねてきた。私はスマホで花火大会のホームページを見る。そこには7時10分、打ち上げ開始、と書いてあった。


「花音、6時50分からだって。もう始まってるかもね」


 サラリと小さな嘘をついて花音に伝えると、花音は目に見えて怯え出した。


「でも、まだ何も聞こえてこないよ?どうして……?いつ始まるの?嫌だ嫌だ……」


 そう言って挙動不審になる花音。私の腰に顔を押し付けた花音の体を、私はまたさすった。花音の体の体温は冷たくなっていて、まるで氷のようだ。


「大丈夫だよぉ、花音」


 私の言葉に花音はぶんぶんと頭を振る。


「大丈夫じゃない、大丈夫じゃないよ。どうして花火大会なんてあるの……?」


 そう呟くと、花音は黙り込んでしまった。私は変わらず「もう上がるかもねぇ」と花音を急かすように言って、窓の外を見た。この高いマンションからは暗い夜空が広がっているのがよく見えた。その夜空に花火が上がるのを、私は今か今かと待ち侘びた。花音は黙ったまま、ただ私に抱きついていた。



 そうして数分もしないうちだった。バアン、と大きな音が街を包んだ。どうやら最初の一発が上がったようだった。その途端、花音は


「ひぃっ!」


 と、小さく悲鳴を上げた。腰に巻き付いている腕の力が強くなる。私は「大丈夫だよぉ」と言って花音の頭を撫でた。花音は「始まっちゃった……」と絶望したような声を出した。私はそそれに「始まっちゃったねぇ」と花音に思い込ませるように返した。


 花火というのは一度上がると、止まらない。

花火は次第に勢いを増していき、どんどん上がっていた。花火が上がるたびに、暗い部屋が明るく光る。少しだけ見える花火の破片を、私は普通に楽しんでいた。キラキラと舞う光の粒は、この季節じゃないと見られなくてとても美しい。本来ならば外に出て、楽しみたいところだが、それをぐっと我慢して私は花音に目を向けた。


 花音は背中をガクガクと震わせていた。


 さっきからひっく、ひっくと声を漏らして泣いている。どうやらそのせいのようだった。その怯えようは、ただの怖がりですむものでは無かった。花音は泣いている合間にも「はるちゃん、はるちゃん」と私の名前を呼んだ。花音が10回私の名前を呼ぶなら、私はそのうち1回のペースで返答していた。それでも花音は構うことなく、私を「はるちゃん」と呼び続けた。


「うう、ひっく、……っ!いや、だ、もう嫌だ……!」


 花音は駄々をこねるようにしてそう言った。私はそれを見ていても、何も言わずに頭を撫でるだけだった。そうして花火は勢いを増していき、ついに何発も何発も盛り上がるように夜の空を彩った。


「いや、いや……もういやだぁ……助けて、はるちゃん……もう怖いよぉ、もう辛いよ、痛い、怖い、苦しい、助けて、たすけて、タスケテ……」


 ついに花音は糸が切れたように、闇雲に叫び始めた。花音の悲痛な声が私の体を貫く。腰の近くで叫んでいるせいか、私の腰はじりじりと疼いてしまった。私は下半身に熱が灯る感覚がする。それは抑えようとしても抑えら得れない、本能のようなものだった。


「……っ、ひっく、ぁぁ、……嫌だ……ぁ……」


 そう言って泣き続ける花音の声が、私の体をくすぐる。私は思わず足を擦り合わせた。


「花音、あんまり泣かないで」


 そう嗜めるように花音に言っても、花音は「嫌だ嫌だ」と言って聞かなかった。その話をしている合間にも、花火は容赦なく上がる。その度に、その音が花音を追い詰める。顔を青白くさせて震える花音は、それはあまりにも……。


「花音、顔見せて」

 

 そう言って、私は無理矢理に花音を起き上がらせた。肩を持って見た、花音の顔は真っ白だった。私は抑えられない笑みをなんとか隠そうとしたまま、花音に話しかけた。


「花音、」


 綺麗だよ。と、言いそうになって抑える。そんな事はを言うのは花音にとってあまりにも失礼でかわいそうな事だ。それに大好きな花音に引かれてしまっては、私の恋人としての名が廃る。私は花音にとって、優しくて暖かくなんでも受け入れてあげる恋人なのだから。私はこほん、と言い直した。


「花音、大丈夫?」


 目に涙を浮かべ、目を見開き、ふるふると震えて、唇までを白くして、弱々しく言葉を溢す花音は、あまりにも魅惑的だった。


 もっと、泣かせたい。


 そんな感情が、胸に湧き上がる。でも、いい恋人でいなきゃ。理性と本能のせめぎ合い。その中で私は花音に唇を寄せていた。


ぴちゃ、ぐちゅ、っはあはあ、


 なんて卑猥な音が部屋に響く。私は気がつかないうちに、花音の口の中にしたを入れて、びちゃびちゃとかき回していた。花音は息ができなくなったのか、すぐに私から強く口を離した。


「はるちゃ、今はやだ……」


 私は自分の口を押さえてすぐに謝った。


「ごめん」


 また、花火の音が後ろで上がる。その音に花音の体がびぐっと震える。その瞬間だった。


「……うっ、!」


 途端に、花音は立ち上がって私の元を去りトイレに駆け込んだ。


「は、花音?!」


 私の声に、花音は答えない。その代わりトイレから小さな嗚咽音が聞こえてきた。私はトイレから灯る灯りを頼りに、花音の後を追った。



 小さな灯りが漏れる先で、花音は吐いていた。何も食べていないので、どうやら胃液しか出ていないようだったが、それでも苦しそうに花音は便器に頭を突っ込んでいた。咳と嘔吐を繰り返しながら、トイレに向かって泣いている。震える背中はあまりにもかわいそうだ。私はそうして苦しんでいる花音の背中を見ながら、満たされていく幸福感に胸が膨らんだ。思わず顔の頬が上に上がる。私は急いで手で隠したがもう間に合わない。私はにやり、と笑ってしまうのを押さえられなかった。


 花音は、花火の音が苦手だ。どうしてかは知らない。付き合い始めて初めての夏に、花音からその事を告白された。花音は申し訳なさそうに俯いて、私に告げてくれた。


『ごめんね、はるちゃん。私、花火の音が駄目なの。だから、花火大会とか、行けないの。ごめんね、はるちゃん』


 そう言って謝っていた花音を思い出す。そうして去年も、花音はこうして暗いトイレの中で吐いていた。今でも掠れて聞こえてくる「はるちゃんはるちゃん」という声が耳から離れなかった。


 去年は私がおかしいのかと思った。私は大学では優等生で通っていて、みんなに優しくて、成績も運動も良くて、フレンドリーで、先輩や後輩にも愛される、なんて言った完璧なキャンパスライフを送っていた。そんな私が、そんな完璧でいたって普通な私が、花音の苦しむ姿に興奮したのだ。泣いているその涙の粒さえも、震える体も、か弱い声も、全てが美しい。愛おしいのだ。……もっと、もっと見たくなる。花音が花火に怯えるたびに、私の下着は濡れていった。ああ、可愛い花音。もっと泣き叫んで、もっと震えて、もっと恐怖で喘いで。そう願わずにはいられない。私は、甘んじてそれを受けいれることにした。受け入れるまでには紆余曲折あったが、それでも自分はアブノーマルは性癖を持っている事実が、私を興奮させた。そのうち、月に一度ほど、花音との性行為にもサディスティックなことを取り入れた。肌を叩き、腰を強く打ち付けて、噛みつき、あえて痛いことをして、キスで息を止めて、涙と唾液でぐちゃぐちゃにさせた。その度に、心にはなんとも言えない満足感が満ち満ち溢れた。花音は「それでもはるちゃんだし、月に一度ぐらいなら」と受け止めてくれていた。


 でも、一番興奮するのが、この花火の音に怯える花音なのだ。今年、花音は「花火の音がしないところに行きたい」と言ってきた。私は焦った。そんなところに行ってしまったら、苦しむ花音の姿が見れなくなる。そう危機を感じた私は一生懸命花音を説得した。


『遠くに行くお金もないし、外で倒れたら大変。こういう時だからこそ、家から出たら駄目なんだよ。一緒に耐えよう。私もいるから』


 そんなこんなで説得して、花音は渋々納得してくれた。でも本当は嘘だった。私の実家は少し裕福で、仕送りも多めにもらっているから旅行に行こうと思えば、花音と二人だろうが金銭的に負担はなかった。それこそ花火の音が聞こえないところにだって普通に行けた。でも、私が嫌だった。苦しむ花音を見たい。その一心だったからだ。花火が上がる時間をあえて早い時間に伝えたのも、もう上がるはずなのにまだ上がっていない、いつ上がるのか、と言う恐怖に花音を落としたかった。花音が「始まっちゃた」と言った言葉を復唱して返したもの、それを花音に強く実感させたかったからだ。全部、それは全部花音が苦しむ為だ。その為ならば、私は何も惜しまない。


 私は笑ったままの顔を隠して、花音に近づいた。花音は俯いたまま、はあはあと肩で息をしていた。


「大丈夫。大丈夫だよ、花音」


 そう言って、花音の背中をさする。花音は便器に寄りかかりながらも、


「ありがと、はるちゃん」


と言ってくれた。私がまさか花音の苦しんでいる姿に喜ぶ人間だなんて、思ってもいないその無防備さがたまらない。そんな、花音が愛おしい。本当の敵は敵ではなく味方にいるという。そんな事を思いもしない花音は、なんとかわいそうで愛おしいのだろうか。私はそう思うと、また笑みが溢れてしまった。


 ようやく吐き終えて落ち着いたのか、花音は口を濯いで、また部屋に戻ってきた。「大丈夫?」と言って体を支えても、花音はこくり、と頷くだけだった。また二人、暗い部屋に座り込んだ。花音は衰弱したように私に寄りかかった。その顔はもうこけているようにも感じた。私の下着はまた濡れた。花火はもう終わったのか、外からは人々の喧騒だけが聞こえていた。私に寄りかかった花音の頭を優しく撫でる。ああ、今年もいいものが見れた、と心は満足だった。ポツリと花音が私を呼んだ。


「はるちゃん」


「ん?なあに、お水?」


「ううん、はるちゃん」


 花音は、真っ直ぐと私を見上げた。


「私が苦しんでるの見るの、そんなに好き?」


体から、血の気が引いていく。その時、最後だとでも言わんばかりに大きな花火が一発上がった。その音に、花音は何も反応しなかった。

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