悪の猛禽 ー優しき修羅の愛0ー
第1話
俺は社長からもらった黄色いストライプ柄が入った黒光りするスーツを身にまとい、とある豪邸の前に立った。
ナメられないように薄いサングラスをかけ、髪の毛はオールバックに固めてみた。
だが、今日は手荒なことをするつもりはない。ふぅっと息を一つ吐いて少し速まっていた心拍数を抑え、普通にインターホンを押す。
『はい』
決して若くはない男の声が聞こえた。
「『シン・アライアンス』の東城と申します」
『いつもの人じゃないのか』
少し間が空いて、解錠の音がした。
通されたリビングルーム。目の前に座っているロマンスグレーの髪の男は、厳しい表情を浮かべている。名前は遠山秀樹。
「改めまして、『シン・アライアンス株式会社』の東城泰鷹と申します。貴美子さんの旦那様でしょうか」
気圧されないように意識しながら、挨拶とともに名刺を差し出す。
「もう妻に関わるのはやめてもらえないか」
遠山はその名刺に目をくれることもなく、単刀直入にそう切り出した。
妻と一緒に出てこなかった時点で、第一声がこれだということはすでに想像がついていた。
「何やら妙なものを売りつけられそうだと、私の知り合いから苦情がきている。調べてみれば、由々しき事態だ。私の妻が、典型的なマルチ商法の手先となっているとは」
遠山の声と表情が、どんどん厳しいものになっていく。
そう、『シン・アライアンス株式会社』の主要事業の一つが、連鎖販売取引。つまりマルチ商法だ。高い紹介料によるマージンをエサに消費者自身に商品を販売させ、販路を拡大させる。
「マルチ商法だなんてそんな。奥様には良品だと納得いただいたうえで、我々のビジネスをお手伝いいただいているだけです」
「ふざけるなよ。それをマルチと呼ぶんだろうが」
遠山はいよいよ本格的にこっちを睨みつけてきた。俺はその視線を真っ向から受け止める。
マルチ商法それ自体は違法ではない。だが、販売者の人間関係を利用したビジネススタイルであり、往々にして違法な誇大広告とも併用されることから、悪質商法として問題視されている。
「……奥様は販売員として相当優秀なようだ。定期的にウチから仕入れていかれますよ。普段からの人望の賜物では? 市議会議員婦人としてのね」
「議員の妻がやっていることが問題なのだ!」
遠山がダンッ!と机に手をつく。
ここからだ、勝負をかける。
「そんなにご不満があるなら、私を呼びつけるのではなく、いきなり通報すればいいじゃないですか。警察にでも消費者センターにでも、好きなところにすれば良い。なぜしないんです?」
あっけらかんと言う俺に、遠山は目を丸くした後、噛み締めた奥歯をギリギリと鳴らした。
「できないから呼んだんですよね? 一応言っておきますが、そんなことしてもほどんど効果はないですよ。そのうえ、そんなことをしたらさらに大ごとになって、貴方の奥様が今までやってきた活動全てを否定することになってしまう。その醜聞を背負う覚悟はお有りですか?」
これではこの商法が後ろ暗いものだと白状しているようなものだ。だが、それはもはや重要じゃない。
ここまで攻めたら、一旦引く。俺は声色を柔らかくした。
「我々は確かに良品を売っている。それで良いじゃありませんか? どこに問題があるんです」
「い、いや、しかしだなぁ!」
よし、揺さぶりはかけられている。次で決める。
「わかりました! それでは今回の分で最後で構いません。こちら翌月八日がお支払日ですのでそこできちんとお振込みいただければ、もうこれ以上奥様に商品をお売りすることはいたしません」
「それは……ありがたい、が、今回のあの量は……」
元々、味をしめた貴美子が一気に三倍ほどの物品を仕入れたことで、事態を察知した旦那が慌てて連絡を入れてきたのだった。
「ですがもう奥様は商品をお受け取りになっています。それにこの程度であれば、貴方様が払えない額ではないでしょう?」
「それはそうだが、しかし……」
「察しの悪い御方だ。その額さえ払えば我々は手を引くと言ってるんです」
ガッ!!
俺は机上に置かれていた遠山の万年筆を掴み、机に突き立てた。
「もうお前らは協力するしかないんだよ」
俺の方から限界まで顔を近付け、一音一音確実に言葉を絞り出す。
***
「やってきましたよ」
「それでいい。あの量を返品されたら大損害だ」
社長が読んでいた新聞を下ろす。
離脱しそうなあの議員一家から最後に回収すべき分を、穏便に、余すことなく搾り取れ。それが俺に任された仕事だった。
「やはりお前には、才能がある。相手の心理をうまく揺さぶり、自分の望むところまで話を持っていけた。ハッタリもうまく使えてる」
「恐れ入ります」
「だが、最後は脅迫に器物破損か。警察沙汰になったらどうする。この未熟者め」
「盗聴ですか。良い趣味だ」
実際は、スーツに仕込まれた盗聴器も、受電のために社長の側近が近くまでついて来ていたことも気が付いていた。
「やつは通報などしませんよ」
「ああ、そうだろうな。だが、余地を与えるな。犯罪行為は最後の手段。やむを得ないときだけだ」
ふん、何を今さら……だが、俺は喉まで出かかったこの言葉を呑み込んだ。
この会社で、社長から直接仕事を指示される人間は限られている。社長が見出し、直接指導する特別部隊だ。
俺以外にも、同じ位の年齢の男が何人かいる。社長の護衛や、今回のような取り立て。必要とあらば、手荒なこともやった。
「お前ら、賢くなれ。いつまでもこんなことやってんじゃねぇぞ」
社長は無学なガキばかりだった俺達に、ひたすらそう説いた。
「俺はてめぇらがバカだから使い捨てるんだ。そうなりたくなけりゃ知恵をつけろ。会社に対して有益な人間になれ」
実際に同じ立場のやつは何人も姿を見なくなった。ドジを踏んだ愚か者に、社長が手を差し伸べることはない。
「大切なのは〝共犯意識〟だ。騙すんじゃない。仲間に引き込むんだ」
社長から直接仕事を教わるようになる前から、俺は何度もその言葉を耳にしていた。そしてこの理念は会社全体に浸透しているようだった。
実際、警察が会社の実態をぼんやりと把握しながらもほとんどまともに手を出せないのは、被害を名乗り出る者がほとんどいないからだ。
社長をトップにして、俺達社員も、貴美子のような協力者も、それまでの罪悪感を人質にされ、もう後戻りはできないところまで引きずり込まれている。それがこの会社の常套手段だ。
そうしてこの会社は『シン・アライアンス(=罪の同盟)』の名の通り、鉄の結束を誇っていた。
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