第51話
五十一
夫
「クソ!」という声とともに奴が懐に手を伸ばす。まさか、と思ったが黒いものが見えた。私は反射的にその手もとを蹴っていた。何かが飛んでいく。拳銃だったのだろう。
焦った男が急いで拾いに行こうとする。ここで先にやつにとられてはダメだ。完全に勝機を失ってしまう。
私は奴の服の袖を掴んで引き止めながら、別の方向に再びタックルした。向こうもこっちを振りほどこうともがいていたので、今回はバランスを崩して勢いよく雪の中に倒れ込んだ。
しかし男はそれでも、這ってでも拳銃を取りに行こうとする。それを見た私も急いでその銃を取りに走った。雪に足をとられ、思うように進めない。だが、間一髪、何とか私が先んじて掴むことができた。その勢いのまま体の向きを変え、男に銃を向ける。
男は一瞬ひるんでその動きを止めたが、すぐに余裕を取り戻したようだった。
「お前みたいな素人に銃が撃てるか!」
だが、それでもこちらに近付いてこようとはしない。少しはビビッているのだろう。私は威嚇の意味も込めて、無言で銃を向け続けた。しかし、ある時から男の視線が私の肩越しに後ろに伸びていることに気が付いた。まずい、そっちは沙月がいる方向だ。気付かれたか。
私は目の前のこの男の挙動に注意しながらも、素早く後ろを振り返った。沙月は思ったより近い場所にいた。様子を見に来たのか。
男の方に向き直った瞬間、顔にひりつくような冷たさを感じ、視界が失われた。雪の塊をぶつけられたのだ。
私が顔を拭っている間に、男が沙月の方向に走っていく。私もすぐ後を追った。お互い深い雪の中を、必死に前へ進む。
元々私の方が沙月に近いところにいたこともあって、この競走は私の方がリードしていた。沙月も私の方へ向かってくる。私と沙月は、雪の中で抱き合った。
沙月の髪をなで、その目をもっと見つめていたかったが、振り返ると、すぐそこには奴が迫ってきていた。私は向こうがこちらに触れてこれないギリギリのところで、何とか銃を突きつけることができた。
妻
お互いの動きがピタッと止まった。勝廣は沙月を支えながら、二人でゆっくりと後ずさる。
「なあ、お前もそんな女かばうのはやめちまいな」
男が沙月を指さして、厳しい声で言った。
「そこでそんなか弱そうなふりをしているがその本性は血も涙もない冷血女だ。そいつは俺の相棒を殺した。薄汚れた人殺しだ。そいつに生きる価値はない!」
「そうか」
少し間が空いて、勝廣はそう言った。
その言葉を聞いた沙月は、ゆっくりと勝廣の顔を見た。そう、確かに私はろくでもない人間だ。ここで勝廣に見捨てられたらどうしよう、沙月の中にまたその思いがこみあげてきた。
しかし、身体中から力が抜けるのとは対照的に、勝廣の裾を、身体を掴むその手の力はどんどん強くなっていった。
勝廣は沙月の方を見なかった。だが、その手が優しく沙月の頭をなで、引き寄せた。そしてその手に持った拳銃で、目の前の男を躊躇なく撃ち殺した。
「これで俺も同じだ」
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