第13話

      十三


      夫


 寒い中三時間ほど待ったが、呉谷は現れなかった。そろそろ立ち去ろうとイヤホンを外すと、どこからか救急車の音が聞こえてきた。この時間ではタクシーを拾うのが大変だったが、二時間ほどかけ、なんとかホテルに到着することができた。そのころにはもう夜が明けかけていた。

 部屋に戻って沙月がいないことに気付くと、私の心臓は止まりかけた。焦って携帯電話を取り出したが、部屋の端に置いてある机の上に「すぐに戻るから。心配しないで」という簡素な手紙と共に妻の携帯が置かれているのを発見し、私は携帯電話を再びポケットに戻した。

 何か買いに出ただけか? こんな時間に? 誘拐の可能性も十分ありえる。脅されて連れ出されたのかもしれない。警察に届けようか?

 いや、何百部屋もあるホテルからピンポイントで沙月が連れ去られることなどあるだろうか。私の財産目当てだとしても、私が結婚したことを知っているものもほとんどいなければ、私が今日、妻とこの部屋にいることを知っているものなど皆無のはずだ。

 沙月も大人なのだから見知らぬ土地でも少しくらい外出することもありえないことではない。少し待ってみよう。そう思ってソファに座ったが、温かい室内でさっきまで冷えていた体が弛緩し、いつの間にか私の意識は夢想の彼方となった。



      妻


 旅行から帰って来てからは、呉谷とはまた連絡が取れなくなっていた。あれから一ヶ月程経っていたので沙月の精神状態は徐々に落ち着いてきていたが、ふとした瞬間に不安がこみ上げてくる。あのような人間が、何の事情もなしに手を引くことはないだろう。

 しかし、沙月はすぐにあの大男が現れなかった理由を知ることになった。ある朝、勝廣を送り出して何気なくテレビをつけると、お昼前のニュースで、中国山地の山奥で指定暴力団組員の男が遺体で見つかったことが報道されていた。門戸光明、四十五歳。生前の写真として、ホテルで見たあのゴリラが映っている。まさか殺されていたなんて。

 死後、時間が経っていたせいでいつ死亡したのかは分からないらしいが、沙月は直感的に悟っていた。あの男が夫のもとに行かなかったのは、殺されていたからだ。

 ただそれだと新たな問題が生じてくる。あの男がなぜ殺されたのかは知らないが、その殺人者が私たちを脅かすのではないかということだ。しかしどう対策すればいいか見当もつかない。沙月は考えれば考える程、途方に暮れていった。


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