第2話 都会と猫と狸と兎 1-2-前半

 「離れてください!離れて!」

 今流行りのパステルカラーのTシャツにヘルボトムのズボンというイマドキ(最新刊が数日遅れてくるレベルの田舎基準)な衣装で華々しく出勤する筈であったバイト先のカフェが、昼時というのにパトカーと警察官でごった返していた。



 よくよく目を凝らすと、web面接で延々ニコニコしていた店のオーナーがワッパをかけられたのか手元を布で隠して、警察官にパトカーへ連れられている。なるほどこれが諸行無常か。違う。


 バ先の店長とっつかまっていきなり無職にどっぴんしゃん、というあまりの超展開に戸惑う私は、「すみません働く予定の者だったんですが!?」とそこのガタイの良いイカつい顔の白狼の警官に突撃してしまった。聞く相手が違うのは明白なのだが、同僚の名前も知らない以上こうするしかないのだ。気が動転してまともな思考もできていなかったというのもある。困惑で汗びっしょりかつ挙動不審の私に警官は、「たぶん向こうの方々従業員だと思うんす、物凄い人だかりなので気をつけて」と、先程のイカつい表情が嘘のような柔和な話し声と顔で話してくれた。


 びゅぅと涙が吹き出した。


 久々の優しさ、多分忘れることはないだろう。ちなみにこの警官さんはこの街に来て2番目に私を心配してくれた人である。

 

 ちなみに1番目はアパートの大家さん老夫妻。成人した娘がなかなか帰ってこない為、バイト先に行く私と独立した娘さんが重なったらしく「気をつけるんだよ」「無理せんでな」とかなり心配された。そのあまりの暖かさにその時は思わず泣いてしまったが、まさかここでも泣かされるとは思わなかった。警官さん大困惑である。



「ずみばぜんいぎなり」

「いやいやいや……大丈夫ッすか?いきなりこんなことなっちゃって、大変すよね……」

 その暖かさにさらに泣いたのは言うまでもない。私の不安を感じ取ってくれたのか、かなり親身になってくれる。これが人の暖かみというものなのかなんと心地よい、などとベタなラスボスの最期のセリフそのまんまな感覚に浸りつつ、放心状態のスタッフさんたちの方へと向かう。涙のべっとべとの顔面の私を警官さんはずっと見守ってくれていた。振り向けば優しい笑顔を向けてくれる。あったけえよこの街。ありがとう名も知らぬ警官さん。



 私は手持ちのハンカチで顔面を拭いて、おそらくスタッフさんたちであろう人だかりのひとり、狸のおばさんに話しかけた。


「すみません私…」

「あら?もしかして新人さんの子?」


 おばさんは困惑気味の表情だ。そらそうだ、いきなり顔も知らぬ新人かも知らぬ女子に話しかけられては戸惑うのも当然だ。周りに目をやってみれば、狐だったりアルマジロだったりと、田舎に比べてかなり種族が多彩だ。さすが都会、人種の坩堝と言うだけある、うちの田舎は兎ばかりだったものだから、かなり新鮮な気分になった。


「どうなるんスかねコレ」

「さあ……そういえばあなた、オーナーなんで捕まったか知ってる?」

「いえ全く……」


 知っているのだろうか。井戸端会議のネットワークは都会でも健在である。末恐ろしいものだ、うっかり変なこと喋るものなら一瞬でばら撒かれそうである。


「あの人。未成年淫行と盗撮ですって。危なかったわよあなた」

「ェ゛」


 嘘だろおい。なんだアレかおい、少し時期ずれてたら私が被害者の仲間入りを果たしてたってのか。だからwebサイトの店長近影であんなニコニコ顔をしてたのかあの変態。


 合点がいくと同時に、えも言えぬ恐怖が背中をなぞった。ほかのおばさま方も「怖いわねェ」「捕まってよかったわ、私若い子が来るって聞いて心配しちゃったもの」「都会じゃ多いから気をつけなさいね」と話している。


「とりあえず今日はみんな帰りましょ、私達ここにいても何もできないし……」

「そうよねえ、そうするしかいものねえ」

「いざとなっちゃ旦那の弁当のおかず減らしゃいいもの、平気よ平気」


 アハハハ、とおばさま方の哄笑が響く。さすがのメンタル、電車とバスでゲロぶちまけた私も見習いたい。そんな私は流石にそのテンションについていくこともできず、ただひたすら苦笑いをするしかなかった。警官さんも苦笑いしていた。それしかないもんな、仕方ないよな……そう心のモヤを押し込めた。


 【バイトや通学用に】と購入したチャリンコをトボトボと漕ぎながら帰路につく。自前の大きな耳を澄ましてみれば、バイト先(笑)の話題がちょこちょこ流れては来ていたが、ほとんどは今夜のドラマやファッション、ゲームに経済政治その他諸々、雑多な話題ばかりであった。


 というより明日からどうしよう。急速に焦りが覆いかぶさって来る。胸の奥からぞわぞわとした感触が迫ってきた。貯金を切り崩すとしても限度がある。しかしバイト先をこれから探そうにも、日にち的に給料日が学費の振り込みに間に合わない。さらに食費や家賃に電気代水道代税金その他諸々。生々しい【詰み】の感覚が頬を撫でてきた。どうしようも無くなって自転車を止め、近くのベンチに座りこむ。どうする?ある程度服やらなんやら売ればしばらくの腹の足しになるだろうが迫り来る学費には到底間に合わない。かといって勘当同然に出た家に逆戻りするのは腹に据えかねる。日雇いバイトを繰り返す?いやいやそれはいくらなんでも不安定がすぎる。最後の手段として身体を売ればある程度なら


「ねーそこのおねーさーん。きーてるぅ?」


 ハッとして声の主へ顔と目を向けてみれば、そこにはずいぶんとお洒落で活発そうな、白猫の同い年くらいと思われる女の子が、私の目前で自然な笑顔でそこにいた。澄んでいながらもどこかしら癖のある、独特な声のその少女の服装は、ニコちゃんマークのバッチつきのベレー帽、水色の半袖シャツに白のかぼちゃパンツ、それに上着と合わせた同じ色のブーツ。確か上着と靴の色を合わせるのはファッションの上級テクだったはずだ。首元にはプロ仕様の一眼レフ。カメラ好きなのだろうか?


「ダイジョブ?」

「あー……多分大丈……?夫……?」

 私の煮え切らない返答に対し、彼女は私の隣へ座りこんで一気に顔を近づけてくる。なるほどこれが恋人の距離というやつか。近え。


「絶対ダイジョブじゃない」

「なんで?」


 突然で一方的な断言に剽軽な声が出る。ちょっと怒り顔の彼女。にしても端正な顔立ちである、怒り顔も様になっている。絵にしたら数百万はくだらないだろう。


「『大丈夫か』って聞いて大丈夫って答える人は大丈夫じゃないって相場が決まってるもん」

「はあ。でもなんでいきなり私に?」


 そこが謎なのだ。都会だからナンパか何かの類い、もしくは宗教か壺か。友達の知り合いが引っかかったらしいと聞いたこともある。要警戒、要警戒。頭の中でサイレンが鳴り響いた。


「ん?見てたから」

 彼女はさも当然の如く言う。

「何を」

「バ先無くなったとこ」

「あぁそれで……ッておいコラ待てコラお前あれ見せもんと違うぞ」

「いやあ目に入ったもんでつい……しかも大泣きしてたし」


 テヘヘ、と苦笑いしながら白猫の子は零す。

 一体どこから見てやがったこのお洒落スケバンは。いくらなんでも乙女の涙を盗み見など、時代が時代ならギロチン刑ものだ。


「お金ないの?」

「ない」


 赤ちゃんどこからくるの、といきなり聞いてくる小学生のような純粋な表情と口ぶりで聞いてくる。いきなり金銭に飛ぶとはコヤツ商人(あきんど)か。私はそっけなく返した。


「初対面の私にいきなりタメ口行けるくらいのコミュニケーション能力あるのに。世の中不思議」


 目の前の美人局(おそらく)はよそを向いて言う。ファッションは結局顔というが、その証明としてこの子を学会あたりに突き出せば、デカめの賞の1つ2つはもらえるんじゃなかろうか。先ほどから顔ばかり気にしている私がいた。


「バイトは受かったけど目の前で爆砕よ。別に落ちたわけじゃないし。というか性犯罪の被害者になりかけたって相当な事態なんだけど」


 そりゃそうだ。嬉々として行ったバイト先でジジイにケツ掘られかけるなぞ一生に一度あるかないかだ。都会でもそうだろうきっと。というか複数回ある時点でそいつは傾国の美人か何かであろう。是非モデルにでもなってもらいたい。


「んー?そういう系の事件よく聞くけど」

「(絶句)」

「あー……実際どうだかはわかんないけど防犯メール登録すると、ほら」


 衝撃的な事実と共に、彼女は恐ろしいくらいデコってあるスマホの画面を私に見せる。ボールチェーンにはキーホルダーやぬいぐるみがいっぱいだ。重いんじゃなかろうか。というよりも。


「なにこれ隔週で出てるんですが…!?」

「出るよー、ここらへん治安悪いからねー。スケベなお店で満足できないのかなァこの辺多いのに」


 彼女は少し呆れ気味に愚痴る。隔週であの変態と同規模のが練り歩いていると考えると末恐ろしい。さすれば私が「露出狂が街を練り歩いている」なんてことに遭遇することもあるのだろう。いっそそういう奴の大事なとこを切り落として回れば英雄になれるんじゃなかろうか。銅像は青銅製が良い。


「とりあえず、こっちのほうはあんま一人で歩かない方がいいよ。昼間でも出るときゃ出るみたいだから」

「はあ……」


 まさかのアドバイスである。こちらではでけえスズムシに襲われるから夜中外歩くな(実際年に数人骨折とかの被害が出る。体長1mのスズムシが足に向かって突撃してくるのだ)と言われているが、都会でなら股間のソーセージに襲われるから夜中外歩くなということらしい。なんちゅうトンチキな話だろうか。これからはソーセージに怯えながら夜の街を歩かなければならない羽目になるとは。風俗と変質者の溜まり場という、そんな修羅の地域と知らずにバイト申し込んでた私の愚かさを私は自ら呪った。


「そいえばおねーさん」


 白猫の彼女はこちらの目を見て聞いてくる。


「今暇?よけれ……待って待ってなんで逃げるの」


 よし!美人局だ!逃げるぞォ、鍛えに鍛えたこの健脚!追えるものなら追ってみな!ということで私はチャリンコに乗り込もう…として宙を蹴った。気づけば置いていた自転車は虚空に吸い込まれたらしい。とどのつまり自転車を盗まれた。あれ3万したんだぞ、出てこい盗んだ野郎、体掻っ捌いて二度と自転車乗れん体にしちゃる。そして後方から驚愕の声。先ほどの彼女である。


「カギかけてなかったの!?」


 図星。


「るせェ忘れてたんだよチクショウ!!いいかァ都会っ子ォ、田舎じゃなァ鍵はよォかけねえんだよォ!大体みんな顔見知りだから盗み働くような奴居りャア爆速で爪弾きにされっから犯罪なんて滅多にねえの盗難なんて皆無なのォ!だからこれはウン鍵かけなかった私が悪かった!!ポウ!!」


 先ほどまでかけていたベンチの手すりにに怒りのダブルスレッジハンマーを振るう。取り乱していたが、よくよく考えれば彼女の忠言通りだ。鍵は何のためにある。防犯意識皆無だなア、私。あとめっちゃ手ェ痛え。よく見ればベンチの手すり鋼鉄製じゃん。おお痛ッてえ。


 荒れる私に白猫の彼女は「どんまい……」と励ましてくれた。だがその表情と声色は悲しげである。やめれ。余計惨めになる。


 その子は徐に立ち上がると、いきなり私に肩を組んできた。


「……送ろっか?」


 慰めのつもりなのだろう。しかしながら彼女はおそらく徒歩。ここからアパートまで自転車でも30分近くかかる。それを徒歩で行くのはいくらなんでも酷だろう。第一私が鍵を閉め忘れたのが悪い。ここは流石に断ろう。


「いや、チャリンコ盗られたのは鍵かけてなかった私のせいだから……ってちょちょちょ!?」


 彼女は徐に私の肩を組んだまま近くの雑居ビル、その非常口に移動した。ごっちゃごちゃなケータイについたキーホルダーのうち、ファンタジー映画に出てきそうな鍵を探し出す。どう考えてもディンプルキーにパスワード式のこのドアの鍵には入らない。が、彼女はお構いなしに差し込んだ。超常的な現象を目の当たりにして、はひ、という突拍子のない声が私の喉から漏れる。そのままガチャリ、と小気味良い音と共にドアが開く。目前には私の部屋があった。


 彼女は組んでいた肩を外すと、呆然としていた私を部屋に押し込む。


「……?今さっきなんか」


 戸惑う私に対して彼女は不敵に笑う。


「ふふふふふふー。つまるところがテレポーテーション瞬間移動!私にかかればこんなもんよーぅ」


 ドヤ顔な彼女と数キロメートルの瞬間移動の事実。飲み込めずにフリーズする。


 そのまま彼女に流されるまま手洗いうがいを済ませて、たまたま段ボールに山ほど入れて持ってきたペットボトルの緑茶とお茶菓子を二人分用意、なんなら布団やらテーブルやらを取り出して見事なおやつタイムをセッティングしていた。


「で……あなた一体何者で……?」


 私が狼狽えながら聞いてみると、彼女はぽりぽりと齧っていた醤油煎餅(10個入り税込3ドル)を緑茶で流しこみ、先ほどよりさらに胸を張って言い放った。


「私のなまえはアミナ!以後よろしくゥ(はあと)」


 アミナは深々とお辞儀した。つくづくテンションの高い子である。マグロとか入れるでけえ冷凍庫にでも入れないかぎり落ち込んだりはしなさそうだ。アミナはそのままドカンと座る。


「つか荷解き手伝ってくれてありがと、たぶん一人だけだったらずーっとしなかったかも」

「部屋見た瞬間『こりゃマズイ』って思ったからねー。引っ越してきたはいいけどそれだけで体力消費してそのまま寝ちゃった感じでしょ」

「……」


 コヤツ。読唇術でも身につけているのか。


「図星だねェ⭐︎ちゅーか、ちゃんとお布団で寝ないと体壊しちゃうよ。親御さん心配させたら大変だし」


 親。今回ばっかりはかなりの因縁がある。


「あーそういうのナイ。私家出同然でこっちきたし。仕送りも絶望的だなあ。マジどうしよコレから……」


 がっくりとした私にアミナが問う。


「何?なんかあったの?喧嘩なら仲直りしないと」


 私の身を案じてくれたのかアミナはそう言った。まあ、当然っちゃ当然の反応である。仲悪いまんまじゃあまりよろしくないのは確かだ。だが。


「いやそんなんじゃなくて……とりあえず1クールぐらいの長さになるけど大丈夫?」

「やだ3行」


 アミナはキッパリと断ずる。さすがに13話構成は長かったか。ただえさえこの作品長いのにこれ以上長くしたら洒落にならん。はちゃめちゃに端折って、私はここまでの事情を説明する。


「んーとじゃあ……

 大学行きたいのに無理矢理マザコン許嫁を押しつけられる

 私ブチ切れて大暴れ

 勘当

 かなあ。私の実家、地主っつーか結構大きい家でさ、縁談自体も計略結婚みたいなもんだったんだけど、向こうの坊ちゃんが『女が僕に逆らうなあ!』って言ってきたもんだからめちゃくちゃにぶん投げちゃってトラウマ植えつけちゃったのよ」

「2行目詳しく!キレて勘当されたのはまだわかるけど大暴れって2行目マジ何あったの!?」


 驚く彼女に私は思い出しながら答える。かなり頭に血が上っていたためか、朧げにしか覚えていないが。


「えっと確か…初め大外投げでテーブルに叩きつけてー、起き上がってきたところを体落としで畳にぶちまいて、えーっと確かそこから……肩車と釣込腰で痛めつけてから河津掛(足を絡ませ後方に一緒に倒れ込む危険技)で脳天かましてフィニッシュ……だったはず」


 話し終わった頃にはアミナは蒼白としていた。彼女の手元にはスマホがあった。おそらく調べつつ聞いていたのだろう。


「……ちなみにそのお相手さんは」

「柔道未経験者のヒョロガリよ。最後に『山籠りしてから出直して来い俗物!』って言っちゃったもんだからものの見事にご破算でい。そのままうちの親からも説教されてそのまま勘当よ。全く、田舎育ちというのになによあの線の細さ、ちょいと手を握っただけでも折れちゃいそう」

「そんな相手に脳天叩きつける禁じ手(河津掛)まで使ったの!?殺意高すぎない!?」

「その時は本当にトサカに来てたのよ。ほら、私って種族柄耳がいいでしょう?色々聞こえちゃうの。おかげで裏で許嫁と向こうの親がグチグチ馬鹿口叩いてるのが耳に入ってきちゃってねー。そこにさっきの発言が重なっちゃったもんだから堪忍袋の尾が切れちゃった、って訳」

「ちなみにその親御さんは」

「ん?蟹挟と胴締でそれぞれドタマと腹かち割ったけど」

「どれどれカニバサミとドージメ……この技かけてよくムショ行かなかったね!?どう考えても一歩間違えたら天国行きなんだけど!?」


 蟹挟は相手の両足を横に寝るような体勢で自らの足と片腕で挟み、そこからもう片方の腕を支えにしたまま倒れ込む技であり、試合では頭部を叩きつけることから禁止技となっている。


 同様に胴締も『本気でかけると最悪内臓破裂で相手が死にかねない』という理由から禁止技だ。相手の胴体を両足で締めるというシンプルさ故に、ダイレクトにかける側の力が反映されるため、かなり危険なのだ。……逆に言えば、それを躊躇なく他人にかけるほど、当時の私は怒髪天を突いていたのだが。


「というかなんでキミそんな柔道上手いの」

「そーいや言ってなかったわ。うち師範だったの、地元の道場の」

「すげえーっ」


 驚くのも無理はない。実際、この年で師範は異様なまでのハイペースらしい。5歳の頃に『女の子がはしたない』と言う親相手にはちゃめちゃゴネにゴネて暴れに暴れてようやく入った柔道の道場で勉強そっちのけでひたすらに打ち込んだ結果、全国大会にて優勝の好成績を取るまでになった(世界大会はインフルエンザで棄権した)。段位は8段、つまりは紅白帯である。


「確かに結構ガッチリしてるね体格……腹筋割れてるの?」


アミナが興味深く聞いてくる。


「毛皮で見えないけどたぶん割れてるんじゃないかなあ。あんま筋肉とかは気にしてないのよね」

「ふーん……アスリート体型って感じするもん、やっぱスポーツやってる人って細マッチョになりがちなのかなあ」

「さあ。保健の授業寝てたしわかんない」


 実際、この街の大学に受かったのも、3年8月になって狂ったように勉強して偏差値30から80まで上げてムリヤリ補欠合格まで持っていったからである。


 コツコツと2年のうちから勉強している人からすれば私なぞほぼ一夜漬けに近い。実際問題、購入した教科書をペラペラめくってみたところ、多分2年くらい留年するんじゃなかろうか、と思ってしまうくらいには何が書いてあるかさっぱりわからなかった。私の地頭なぞそんなもんである。

 受験勉強前までは授業は小中高通じてほぼ全部寝て、時間が来たら下校の足そのままに家の裏山に篭って山を駆けずり回っていた。


 多分筋肉質なのは、そんな生活を10年以上続けていたせいである。実際、電車に乗り遅れた時は線路沿いの林の木々を飛び継いで無理矢理次の駅に先行していた。種族特有の脚力の成せる技だ。ちなみに家に帰るのは日もとっぷり暮れた後だった為、夏頃は平然と夜8時に帰ってきて飯食べて風呂入ってそのまま泥のように寝て、暁ほどの時間に目を覚ましてそのまま山へ直行、3時間ほど遊び回って7時頃家に帰り飯を食ってそのまま学校へ、なんていう日々を送っていた。我ながらよくそんな体力があったと驚いてしまう。


「あ、そういや私名乗ってなかったや。私【フィリィ•ラックス】。フィリィでいいよ」


 話し込んでしまってうっかり名乗り忘れてしまった。向こうが名乗ったなら私も名乗らねばならない。そこは礼儀である。


 「んじゃあよろしく!そーいやそうだ、連絡先交換しよーよ」

 そう言ってアミナはバッチィンとデコレーションを決めたスマホの画面を差し出してくる。一方私のスマホは素っ裸。格差社会とはこのことか?とりあえず私もスマホを取り出して、慣れない端末間通信で苦戦しつつも互いのメルアドや番号を交換した。

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