第1話 都会と猫と狸と兎

第1話 都会と猫と狸と兎 1-1

 はてさて閑話休題(本編に入っていないと言わないでほしい。何事も「つかみ」が重要というじゃないか)、あるターミナル駅の平均利用者数はご存知だろうか。


 大体、45万とか30万とかそんなのである。対照的にど田舎の平均利用者数はどうだろう。少ないとこだと60人、なんてデータもあるが、感覚的に60人いたらまあ、田舎にしちゃ多いんじゃなかろうか。


 そんな私、ど田舎出身天真爛漫勘当中、晴れて大都会のイチリュー大学の1年生、真っ白ウサギの私、フィリィ・ラックスが大都会、それどころか世界中から注目され人が集う、そんな科学特区の出勤・通学ピークの列車に乗ったらどうなるか。答えは簡単。 


 嘔吐である。


人が集まると言えど、せいぜい数にして約100あるかないかの人数、例えるなら「村さ上げた祭り」程度のものしか経験してこなかった私にとって、数百の人々が60平米ほどの空間にぎっしり、というより奴隷船とかそういうレベルで詰まった車内にて、内臓と脳がぐっちゃぐちゃにされた結果といえば当然の結果にして現象、コンクルージョンにしてフェノメノンなのだ。ちくしょう、昼に勇気出して注文したチョコチップフェラペチーノ(ホイップ増し、7ドル)すら全部出して胃酸しか残ってないというのにまだ出やがる。


 万国旗でも出しゃお空の神様は許してくれるだろうか。あとスケベな事を考えた奴は出てこい、私のゲロを飲ませてやる。喜べ、女大生のゲロだ、たんと飲めよこの野郎。


 ピーピーと電子音で「うわばっちいのついた」と騒ぎながら、アルコールか何かの液体で便器内の消毒を繰り返す最新型の便器に苛立ちを覚えつつ、トイレットペーパーホルダーに手を付いて激しく揺れる視界と脳味噌を整える。そして込み上がる吐き気。


 駅のトイレの真っ白い壁が中指たてて煽りに来ているように見えて、初めて自分がトランス状態になっていることに気がついた。


 最近亡くなった近所のおばあちゃんの元へまだ行くわけには行かないと、頭を振って天に登る私の魂を身体へ引き摺り下ろして正気を取り戻す。溢れそうになった(何で溢れそうなのかは察してほしい)便器を見て流石にこれ以上出せば命の危険もあると、喉元で寸止めしている酸っぱい何かを強引に飲み込む。


 不甲斐ない自分と「きったねえなあお前」と未だ消毒を続ける便器に苛立ちを覚えつつ、洗浄ボタンにボディーブローを決め込んで、覚束ない足取りのまま駅のトイレを後にした。その途中、手を石鹸で5回も洗っていることに気づいて、あのファッキン便器と同じ思考になっていた自分を恨めしく思った。


 バッグの中で行方不明の切符を捜索中に後ろのオッサンから舌打ちという洗礼を食らうなどして、何とかあの地獄のような駅からかろうじて脱出に成功した。今は近くのネカフェの部屋である。


 あのあと私は「これ以上人の多い場所にいたら脳が爆発する…!」と本能的に察知。スクランブル交差点にて掻き回されたのち、近くのネカフェに逃げ込んだ。しばらくの睡眠とソフトクリームの間食(バニラ3つとチョコ2つの計5つ)をキメて、今は心身共に安定している。


 備え付けのPCでコメントが流れることで有名な某動画サイトのランキング欄を上から順に垂れ流しつつ、ネットで契約したアパートの位置を確認する。


 うん、降りた駅は確かに合っている。向こうに挨拶へきくのにまだ時間はある、散々吐いた分の体力も回復したいし、それまでここでのんびりしようじゃないか。

 


 ……なんてのはまさに幻想、皮算用の極みであった。右隣の部屋からはじゃあかあしいいびきがノンストップでヘビロテ、左隣からはゲーム中なのかここに書くにも憚られる暴言が溢れ出る始末。イヤホンを大音量でセットしてそれらをシャットアウトしてかろうじて精神を保っている。


 精神的にも安定している、と先程述べたが、そのアベレージは著しく低い。プールのどん底でけのびをしているようなものだ。なんだか尻も痒くなってきた。騒音にストレスに肌荒れと、神様がいるならば今すぐぶちのめしてやりたい気分である。



 なるほど、これが都会か。2度目の確認。人は多くあらゆる場所が人々でごった返し、そのせいでやべえヤツが大集合、舌打ち暴言もろもろ上等。つくづく汚ェ場所である。そういえばここに来るまでの道にに数回吐瀉物やらなんやらがぶちまけられていた。物理的にも汚いとは、都会 is 救い難しというものだ。というか道端に吐いてる時点で論外オブ論外だっつの。出てこい出した奴、その顔面高圧洗浄機で綺麗さっぱり消し去ってやる。そのあとは火炎放射器で無菌になるまで徹底消毒だ、ズタボロにしてやろう。



 私のストレスゲージはとっくの昔に上振りだ。テンションなんぞマントルに向かって地底探検の真っ最中である。掘れたとしてもダイヤではなく前の客が残したであろうイカ臭いティッシュくらい。おい店員、キッチリ清掃しろこの野郎。どう考えてもティッシュの下に大人のおもちゃがあるしなんなら匂いそのまんまだぞ。



 見ている動画のコメントについても「最高!」とか「また来たのかい?」みたいなありふれたもののなかに「下手っクソで草」「ニート乙」といった中傷のコメントが紛れ込んでいる。現実も電子も地獄とは、真っ事現世は地獄也。フォロー者数数万のやんごとなき身分でさえこの始末であるならば、私の今の状況は起きるべくして起きていると言わざるを得ない。そしてストレスはまた、重なった。



 さすがにこれ以上ここにいようものなら叫び散らして隣の暴言野郎とイビキモンスター、ついでに(自主規制)しやがった野郎の股間との首をぶんどって、突いて並べてネックレス……なんてことになりかねない。そんな私は早々にチェックアウトし、数分のバスと数刻の徒歩で契約したアパートへ向かうことにしたのだった。



 数十分後、到着した我が部屋にてグロッキーに横たわる私が一人いた。


 えげつねえ人口密度のバスに永遠ともとれる時間を立ちっぱなしで過ごし、その後に丘を登る救世主の如く、それはもうながーいながーい、人気作品だからとひたすら引き伸ばしさせられて結果グッダグダになった少年漫画くらい、ながーい坂を這いずりながら歩いてきた私には、体力なぞもう残ってはいない。モフモフなことでクラスメイトに人気を集めたわたしの毛皮も高温多湿なバス内でベッタベタのペッタンコになっていた。ついでに耳もそれはもう見事な垂れ耳である。ちなみに私は雑種だ。今の時代雑種じゃない方が珍しい。乗ったバスの乗客も皆雑種だった。ちくしょう、あんな露骨に足踏んでくる奴らと同じ分類と思いたく無ェ、泣けて来る。


 メンタルとフィジカルが直結していることをこんなことで実感する羽目になり気分は沈む一方だ。先行して到着した山のようにある段ボール箱は、開かれる時を今か今かと待ち侘びていた。横たわる私の目の前にあるはずなのだが、数百メートルも離れているように感じる。いいや、必要になったらその分中身出そう。


 携帯を見れば時間は既に夕方、窓の外からビルの隙間を覗くと夕陽がみえている。田舎なら飽きるほど見れる太陽も、奥ばったところにあるこのアパートじゃあ一転、ダイアモンドも謙る、プライスレスで貴重なものとなった。日照権は経済成長によって墓場送りにされたらしい。不甲斐ない自分と疲れと日光不足で余計悲しくなってきた。段ボールのあれ、あんなクソ重てェ布団など出す気にもなれん。


 そのまま寝ちまおう。ということで私は身につけていた上着をぐるぐる巻きにして枕にしそのまま不貞寝を決め込んだ。明日はwebで受かったバイトの初出勤だ。体力回復は必須である。そう言った意味でも早めに寝ておきたいのもあるし、私はかた〜くつめた〜いフローリングで晩飯も取らず、泥を越して沼のように翌日までぐっすり眠るのだった。

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