第17話

「ここよ」

 唐突に妙子さんは言った。よくあるような一軒家だが、周りを囲んでいるような建売住宅ではなさそうだった。農家でもない。

「今は誰もいないから」

「ご家族は?」

「旦那は勤め。もうすぐ定年だけど。息子らは東京に行ってる。一人はまだ学生だけど、一人はもう社会人」

「へえ」

 仕事の先輩ということから一歩を踏みこむ感じに少しどきどきして来た。

「遠慮なく上がって」

 玄関の引き戸に鍵を差し込んでがらりと開けると、妙子さんは中に導いてくれた。

 妙子さんはとてもきっちりして几帳面な人というイメージだったけれど、玄関は案外乱雑だった。汚い訳ではないが、靴箱にしまいきれないような古びたふだん履き用のズックのような靴や、穴の開いたサンダルが横に並べてある。

「ごちゃついててごめんね。人をよぶときは普通はもう少し片しておくんだけど」

 そう言いながら妙子さんは率先してネイビーのスニーカーを脱いで、横にどけた。

「どうぞ」

 言われて私もスリッポンを脱いで、屈んで揃えた。

「そんなに気を使わなくていいよ」

 そう言いながら妙子さんはさっさと茶の間の方に向かった。途中で気がついたらしく、振り返って、

「紅い花柄のスリッパどうぞ。一応来客用なの」

 そう言うので、遠慮なくスリッパ差しからそれを取った。

 玄関からすぐに茶の間。

 私は一度履いたスリッパをすぐに揃えて脱いだ。

 昔ながらの、真ん中にこたつ兼用の丈の低いテーブルがある部屋。その三か所に座布団がそれぞれ三つ。テレビが前に陣取り、そこだけ座布団はない。

「はい、どうぞ」

 出されたのは透き通った緑茶だった。職場ではブラックコーヒーをヴェンダーで買ってがぶ飲みしている妙子さんの違う一面をまた見たような気分だ。

 昔懐かしい感じの蒔絵に模した菓子入れを台所から運んできてくれた。

「真理ちゃんみたいな若い子から見たらむさくるしいよね」

「あ、いえ」

「この家、旦那が建てて、旦那の両親、だから義理の両親と暮らしてたの。もちろん男の子二人もいて、今は二人暮らしになったけれど、よくこんな狭いところで何人も暮らしていたと思うわ」

 すごく庶民的でちょっと前時代風のおうち、という印象だった。

 ふと気づくと、濡れ縁に通じるガラスの引き戸の一部が骨が折れてテープで修繕してある。

「ああこれ。兄弟げんかで下の子がぶっつかって桟の骨が折れたの。ま、本人の骨が折れなかったのは幸いね」

 案外こういう子どもの作った家屋の傷はそのままに放置されるのかもしれない。

「何で妙子さん、今の仕事やってるんですか」

 つい私は訊いてしまった。

 大家族で賑やかな暮らしをしていたような彼女が、なぜ虐待をされた子どもたちの面倒を見ようと考えたのか、うまく結びつかないところがあった。

 妙子さんは少し首を傾けて、

「別に大きな理由はないの。家から近かったから。時間帯もパートにはちょうど良かったし」

 私は肩透かしを食らった気分になった。

「妙子さんほど使命感のある方が、そういう理由ですか」

 つい言ってしまった。

「使命感? あはは。そりゃそうよ。初めから使命感ばりばりだったら、もっと別の道を選んでたかも」

 確かに言われてみると、私も似たような理由だった。でも、妙子さんの仕事ぶりはまさにプロのそれで、私は兼ねがね尊敬していたので、ちょっと驚いたのだった。

「でもさ」

 自分の湯飲みを取りながら妙子さんはいう。

「仕事のきっかけってそんなものじゃない。始めてからプロフェッショナルにならないといけないと気づいてがんばるようになるというか」

「そう言われると、自分もそうです」

「真理ちゃんはよくやってるよ」

「え、そうですか」

 自分ではいつまでもダメな落ちこぼれ意識だったので、何か光が見えた気分になった。

「辞めてないし、欠勤も遅刻もないし」

 どういう反応をしていいのか困る。それって、社会人の常識ではないのか。

「でも、自分がこの仕事に向いているのかどうか、いまだに不安なんです」

 いつしか私は心の留め金を外して、ふだん思っていても言えなかったことを口にしていた。

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レンタル愛情業 仁矢田美弥 @niyadamiya

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