最終話 世界は夢に似て

 合格発表の掲示板に、俺の受験番号は見当たらなかった。第一志望、第二志望、滑り止め、すべての受験に失敗した瞬間、浪人生としての空白期間が確定した。会場についてきてくれたコージは「次があるって!元気出せよ!」なんて言ってたが、それ以来、メールはおろかチャットにメッセージの一言も寄越さない。自分は志望校に受かったんで、友達作りとか、部活とか、いろいろ忙しいんだろう。他人は他人、自分の人生があるもんな。周回遅れに構ってなんかいられないよな。

 妹の後押しもあって、カガミとは毎週末遊びに出かけるぐらいの仲になったけど、正直、人生のレールから脱線した落ちこぼれ男を、いつまでカガミが見捨てずにいてくれるか……。俺ではカガミと釣り合ってない。カガミにもカガミの将来設計があるだろうから、持ち前の可愛らしさで高スペックのイケメンを引っ掛けたら、俺ごときは用済みになるのかもしれない。こう思うのは単なる被害妄想じゃない。俺には苦い経験がある。


 無口な後輩に懐かれたことがあった。学校帰りに制服の裾を無言でつまんでくる、それが後輩とゲームセンターへガチャガチャを引きに行く合図だった。ワンコインのガチャガチャといっても、週に何度もとなれば、俺のささやかな小遣いには痛手なのだが、一緒にガチャガチャを引くという、ただそれだけの付き合いで、ふだん無表情な後輩が俺にだけは笑顔を見せ始め、俺も後輩の笑顔が見たくてガチャガチャに付き合う感じになっていった。

 俺達は学校のない日でも待ち合わせてガチャガチャを引くようになった。そんなとき、後輩は後輩なりにめかし込んだコーデで毎回違う服を着てきた。仲良し気分で舞い上がっていた俺は、もちろん俺のためのおしゃれだろうと思い込んでいたのだが……ある日を境に後輩はパッタリと姿を見せなくなり、それからしばらく経って街で見かけた彼女は、いつか俺に見せたのと同じコーデの服を着て、見知らぬイケメンと腕を組んで楽しげに歩いていた。そのイケメンは後輩の兄貴か何かだったのかもしれないが、俺が声をかけた途端、後輩から笑顔が消え、視線も交わらないまま俺の存在は無かったことにされた。

 女はしたたかだ。心を閉ざしていた後輩が俺にだけ笑顔を見せたのではなく、だったんだ。どの時点で俺に見切りを付けたのか知らないけど、勝手な期待を寄せられて、一方的に失望されるのはこりごりだ。


 人間はみんな、最後にはそいつ自身の味方だ。どいつもこいつも自分の都合があって、いざとなれば簡単に裏切る。他人は冷たい。他人には何も期待できない。誰も信用できない。



「はぁ!?黙って聞いてれば、友達いるわ彼女いるわで勝ち組人生ド真ん中じゃん!!たった一回進学が遅れたからって何!?“ガチャガチャ女”だって、そもそも告白されて付き合ってたの?勝手に期待したあげく裏切られたと思い込んでるのは、ほっしーだって同じでしょ!!くっだらないことでウジウジウジウジ、タマタマのちっちゃい男!!見損なった!!」

「ルナ?どうしてルナが俺の頭の中に?」

「ほっしーが私の頭の中で喋ってるんでしょ!この頭痛なんなの!?」

「ソムヌスお得意の精神攻撃。俺の不安につけ込んで、世界には守る価値なんてないと思い込ませようとする。嘘は言ってないのが厄介なんだよな……」

「ホントに悩んでるんだ」

「……」

「ほっしー、しっかりしなよ」

「……死んだ奴に言われたくない」

「うるせー!!私だっていろいろあったの!!今更どうにもならないのに、混ぜっ返すな!!」


「左様。夢も希望も、死の前には無意味」

 俺達は高層ビルが建ち並ぶ都会の駅前交差点に放り出された。

「これが君達の住む世界。美しく、洗練され、整然として見える社会は、落伍した役立たずを轢き潰しながら連綿と続いてゆく。君ひとり死んだところで何も変わらない」


 “自殺しても、こんなものだ。だが、誰のせいで……?この場の全員を皆殺しにしてやろうと思ったが、《ウンネフェル》は生きている人間には何も干渉できないのだった。”


 “俺は、どうしたい?死にたくない。俺に「死ね」と言ってくるような奴、俺を絶望させるような奴は全員ぶっとばしてやりたい。”


「君達は誰よりも人間を憎みながら、その気持ちとは裏腹に、大嫌いな人々を守ってしまった。本当は何もかもぶち壊したかったのではないかね?君達を除け者にした世界を」

 横断歩道を行き交う群衆の中からどす黒いもやが湧き上がった。職場へ、学校へ、駅へ、商店街へ、繁華街へ、それぞれの目的のために人混みを押し分けて急ぐ有象無象は、平和を愛し良識をわきまえた人畜無害の見本みたいなツラをしていながら、本心では身近な知り合いやSNS越しの世間を憎み呪っている。他人を見れば粗探しばかり先に立ち、みんな本当は気にくわないものがたくさんあった。彼ら彼女らが望む平和とは、せいぜい自分にとって都合のいい仲間内だけの平和であって、その他大勢については、むしろ死んでほしいとさえ思っていた。

 「あいつウザくね?」「死ねばいいのに」「ずるい!」「何あれ?キモいんですけど!」「殺せ」「死んだら面白れぇじゃん」「ムカつく!」「いつか殺す」「爆発しろ!」「人様に迷惑かけないように独りで死んでくれない?」「足手まといの給料泥棒はまとめて燃やしちまえ!!」「殺せ」「殺せ」「死ね」「殺せ」「死んだら面白れぇじゃん」「キモいんですけど!」「殺せ」「消えろ」「ウゼぇ」「殺せ!」「殺せ!!」「ぶっ殺せ!!」「目障りな邪魔者を叩き潰せ!!!」


「お前らが死ね!!!!!」ルナの両眼から出たビームが交差点をぐるりと薙ぎ払った。


 俺達の四方を囲む高層ビルの上階が斜めの切り口から内向きに滑り落ちてくる。このままここにいたら危ない、でもフォアシュテルングなら、と思った俺の後ろで黒い騎体がビルの谷間に巨大な両腕を突っ張ったが、崩れようとする勢いのついた建物は横方向や斜め方向の加重に対してはあっけないほど脆く、粉々の瓦礫と化しながら、悲鳴を上げる人々の上に降り注いだ。

 ベビーカーも電動車椅子も置き去りにして、彼氏は彼女の、彼女は彼氏の手を振り払い、我先にと逃げ惑う人々。浮上したルナが黄金の杖を投げ込むと、杖は稲妻の槍となって、アスファルトの路面いっぱいに肉片と汚物の花が咲き乱れた。……これが人間の中身。うわべだけ小綺麗に取り繕った一般人の、はらわたの中に詰まっていた生臭い膿汁。

「ナメるかナメられるか。るか殺られるか。力と力のぶつかり合いこそが人の世の本質。そして人間など肉塊にすぎぬ。怒れ!憤れ!もっと破壊しろ!弱者ばかりが我慢を強いられ、こらえきれずに暴発すれば吊し上げられる理不尽な世界を、混沌の渦中に呑み込んでしまえ!!」

「あははははははは!!!ざまぁ見ろ人間ども!!!!!」

 ルナは泣いていた。

「やめろルナ!!俺が言うのも何だけど、気に入らないなら全部ぶっ壊せばいいってのはテロリストのやることだ!!他人なんか疑いだしたらきりがないぞ!!」

 “住所不定無職のミツエダ・ルナ容疑者は「誰でもよかった、人を殺して死刑になりたかった」と供述しており……”

 瓦礫で行く手を阻まれて蠢くあちこちの人溜まりを、光の翼を広げ飛び回るルナがビームと雷撃で穿ってゆく。自殺したわりに元気すぎるとは思っていたが、心の底ではかなり怨念を溜め込んでいたようだ。振り返ってフォアシュテルングを見る。殴れるのか、女の子を?


 フォアシュテルングに乗ったまま見せられている悪夢の中で、フォアシュテルングに乗れてしまった!フォアシュテルングはフォアシュテルング自身を含む夢の中の夢にも登場できるらしい。俺とフォアシュテルングと俺とフォアシュテルングと俺との入れ子構造を想像すると気が狂いそうになるが、今はそれどころではなかった。ガラス張りのオフィスビルを猫人間の身体ひとつで貫通し、超音速飛行の衝撃波で自動車を吹き飛ばし、黄金の杖の一閃で高架駅を列車もろとも両断し、路地から路地へすばしっこく逃げるルナを、どう説得したものかズキズキ疼く頭で考えながら追いかける。

「目を覚ませ!お前のじいちゃんばあちゃんは善い人達だったろ?現実はこんなに冷酷じゃない!ソムヌスに騙されるな!」

「夢の中で暴れたって何にもならないことぐらい、分かってる!これは私の気持ちの問題なの!“死んだ者は生き返らない”!!悔やんでも、羨んでも、もう取り返しがつかないの!!」

 黄金の杖を左右の手に構えて振りかぶったルナの連続攻撃で、稲妻の槍がフォアシュテルングの全身を襲い、まばゆい魔法のプラズマが炸裂して黒い頭と両腕を粉砕した。



 私の受けたいじめも、身に覚えのない場合がほとんどだった。……私が鈍感なだけ?いいや、あいつらは犯人も動機も悟らせないようにいじめて楽しむのだ。昨日の私のどんなところが誰の癪に障ったのか、さっぱり分からないままシカトされて、グループチャットのログから原因らしき文脈を探し出し、それを手がかりにして、クラスの女子全員のご機嫌取りに奔走するはめになる。

 女の子の世界はひそひそ話でできている。最近あの子チョーシに乗ってるよねー、ムカつくよねー、なんて流れになったら、すぐさま空気の変化を嗅ぎ取って、多数派と同じ相手にムカつくそぶりを見せないと、次は私が悪口の標的にされてしまう。楽しくなくても一緒に笑う。悲しくなくても同情する。傷つけた自覚がなくても謝る。イラッと来ても態度に出さない。自分を殺しても人間関係が何より大事。これが、“ふつうの子”として“みんな”の輪の中に留まり続け、休み時間をぼっちで過ごさずに済ますための処世術。


 ほっしーは普通の人間が憎い?普通でいるのも、それはそれで大変なんだよ。


 私は、気苦労の絶えない毎日にはもう疲れた。ある朝なんて、いつもどおり満面の笑みを顔に貼り付けて教室へ入ったら、黒板にデカデカと私のスリーサイズが名前付きで落書きされてた。そういや昨日は身体測定だったっけ?私が黒板に気づくまで、クラスのみんなは誰も教えてくれない。私が登校する前に落書きを消してくれた子もいない。なんでいきなりそんなことになったのか、誰に詫びを入れればいいのか、まるで見当がつかない。あんなの……どうしろっていうのよ!!

 親にも相談したよ?そしたら親が言うには、会社勤めも似たようなもんだって。どこへ行こうとパワハラ上司がいて、ナメ腐った態度の部下がいて、同僚はみんな互いを蹴落とし合うライバルで、つらいのは一緒だから、未成年の間ぐらい社会勉強のつもりで我慢しろって。……人間関係のいざこざには、大人になっても巻き込まれ続けるのかーと思ったら、私の中で張り詰めてた最後のピアノ線が、ぷっつり切れちゃった。「頑張ったよ、休ませて!」と言ったところへ「その苦しみは一生続きます。慣れろ」とか返されるとこ想像してみ?ほっしーだって死にたくなるよ?



「……っ、フォアシュテルング!?フォアシュテルング!!」

 ゴリゴリと地面を削るような衝撃で、墜落したらしいことが分かった。コックピットは真っ暗だ。あのハゲ野郎に負けた……?ソムヌスの力でルナと同士討ちさせられて……?

「今度は私の番か。確かに嘘は言ってないね」

 暗闇にルナの声が響く。俺は観念して操縦席にもたれた。

「お前さ……趣味とか、将来やりたいこととか無かったの?」

「あったよ?バンドやりたかった。とはいえ楽器が弾けるわけじゃないし、英語もろくに読めないし、洋楽聴いてカッコイイなぁって憧れてただけ。クラスに話の合う友達がぜんぜん居なくて、周りについてくために興味もない流行を追っかけるのが精一杯で、好きな気持ちは自分の頭の中に閉じ込めておくしかなかった」

 俺も英語の曲はさっぱりだ。

「今の、聞こえてるよ」

「ごめん」

「ほっしーは、まだ生きてるんだからさ。好きなことやりなよ」

「俺か……。俺にはないな、やりたいこと。学歴とか世間体のために、親に言われて受験しようとしてる」

「もったいないよ、そんなの!生きてれば何だってできるんだよ?死んじゃったらおしまいなんだよ!?」

「そうかな?人生ってめんどくさくね?踏み潰されてもへこたれずにやり直すのとかダルくね?死んでおしまいにできるなら、いっそ……」


 ……いや、おかしい。“夢も希望も死の前には無意味”。それではまるでソムヌスと《うねうね》の理屈だ。


「ほっしー?」

「他人が俺を絶望させるからって、俺まで死にたくなる義理はない。俺は俺だ。俺のやりたいようにする。俺のやりたいこと……俺にはルナが必要だ!!」

「!!?」

「……その、友達として!!連載の続きとか新刊とか、何もかも諦めた奴が気にするもんか!少女漫画の話してやるからさ、《うねうね》退治してくれよ!」

「そっ、そういえば……そうだったね!ほっしーは私の、生きてる友達。半端者の私にもまだできることがある。運命は“投げ棒”次第かもしれないけど、どんな出目でも臨機応変に駒を進めなきゃ!」

「モタついてる場合じゃないな!!」

「うんっ!!」


 その途端、コックピットの視界が回復した。

「フォアシュテルング、お前も行けるんだな?」



“わたしは、あなた”



“vorstellung und wille”



「おお、パワーアップイベントか!」

「前にも増してイカっぽくなったねー!」



“イカ?”「イカぁ!?」



 俺が自分の意志を強く持つたび少しずつパワーアップしてきたフォアシュテルング。今度も自分を信じたおかげなのか……よみがえった騎体はルナに壊された頭も腕も完全に治っているうえ、全体的な外形が(イカ呼ばわりされてもしょうがない感じに)ちょっと変わった。いちばん分かりやすいのが、騎尾に伸びる細長いパーツ。六本ある。手足のほかに二本増えたひときわ長いパーツは、フォアシュテルングが人型に変形すると、ちょうど天使の翼の位置に来て、手足と同じように先端から緑の光線を発射できる。さらにパーツ半ばの関節から両肩越しに前方へ折れた“ショルダーキャノン”の部分を取り外すと接近戦用の双剣としても使え、二つの剣を連結すれば両先端から光線が出る槍にもなった。翼。槍。見ようによっては《ウンネフェル》の特徴にも似ている。

「漫画の続きが気になるとは、苦し紛れのちっぽけな理由で絶望をはねのけたものだな」

「ちっぽけで何が悪い?人間の幸せなんてそんなもんだ!!」

「よかろう。いささかカタルシス不足ではあるが……『ウンネフェルvsフォアシュテルング』のタイトルを回収したところで、vsクロスオーバーもののお約束どおり、ぽっと出の黒幕を倒しに来るがいい」

「お断りよ!!これ以上あんたの勝手な筋書きには付き合わないからね!!」

「ふふふ、逃げ切れるものか。別次元から見れば、君達はしょせん妄想遊びの駒なのだよ。『ウンネフェルvsフォアシュテルング2』で会おう!」

「「ふざけんな!!!!!」」

 瓦礫と血飛沫にまみれた悪夢の空で、球体や三角形や円盤や円筒形や様々なソムヌスの編隊が待ち構えている。騎首を上げたフォアシュテルングは、随伴するルナと一緒に、竜巻雲のごとく螺旋を描いて急降下してくるソムヌスを蹴散らした。


          *      *      *


「よかった!死の欲動に打ち勝ったようですね。おかえりなさいテツヤ様」

 左右を見回すが、フォアシュテルングもろとも俺とルナに頭痛攻撃を仕掛けたソムヌスはきれいさっぱり退散し、白の通廊からも脱出して、星々が瞬く《うねうね》だらけの冥界へ帰ってきていた。

「セシャ……マフデトさんが守ってくれてた?」

「あなたが倒したんですよ」

「俺が?眠ったまま……?」

 フォアシュテルングの姿はこちらの世界でもやはりパワーアップしている。悪夢の世界の空にひしめいていたソムヌスの正体が、冥界で俺達を包囲していたソムヌスだったのか?

「私は船に戻って、もうひと仕事しなくては」

 そう言うと、マフデトが操縦席の前へ回り、俺の両肩を掴んで身体を寄せ、右のほっぺと左のほっぺで一度ずつ頬ずりをした。まふまふだから、まふデト……?

「“生き、栄え、健やかなれ”。テツヤ様、頑張って下さいね」

 ルナのときと違って毛皮に触れた……。マフデトのノックに応えてフォアシュテルングが開放したハッチから、長い尻尾がするりと抜け出て《魂の船》へ飛び去った。


 まふまふの毛皮の感触が残る頬をさすってぼんやりしていた俺が我に返ったのは、猫人間の姿になったルナとセネトがコックピットにすべり込んで来たときだった。

「どうするの?ほっしー」

「あら、おちんちん」

「えっ?うわ、本物だ」

 ぼんやりするあまり冥界では全裸なのを忘れていた!!操縦席の左右から注視されるほど己の下半身を意識せずにはいられなくなり、とどめにルナが「ほれっ」と言って胸元をはだけたことで、俺の股間はムクムクと屹立してしまった。体格相応に形の整った美しい乳房は、先っぽがどこかも判別できないほどしっかり密生した柔毛で覆われていて、服の下に服を着ているのと何も違わないのだが、“服をはだけて見せた”というシチュエーションが俺の心のどこかに深々と突き刺さり、オスの機能を強制的にスイッチオンさせられたらしい。夢の中で嗅覚など感じるわけがないのに、《ウンネフェル》達の胸の谷間から甘い香りが漂うような気がしてくる。

「面白っ!!ほれほれ~!」たゆん、たゆん、とルナが乳房を揺らす。

「本当に大きくなるのねえ」

「二人とも、俺のことはいいから!!逃げる相談しよ!?」

 恋人より先に別の女の子のおっぱい見ちゃった……!現実世界の俺にはカガミがいる。首尾よく関係が進めば裸体だって拝む機会があるかもしれない。でも、いざそうなったとき、この夢で見た猫人間のもふもふおっぱいが脳裏にちらついて反応が鈍ったらどうしよう?などと余計な心配をしてしまう俺だった。


 全裸に股間のものをおっ勃てた人生史上最低の恥ずかしい格好で、いよいよ俺は冥界旅行のクライマックスを迎えることになった。ソムヌスと《うねうね》の団体ツアーを引き連れたままで、どうやってルナ達を逃がす?「夢から覚めてしまえ」とは、ずっと念じているが、夢の中の夢から覚めて夢の世界に帰るなんて器用な真似は(さっき精神攻撃の悪夢から逃げ出した奇跡以外では)とてもできそうにない。《猫の神》は“カタルシス・イーター”を倒すまで救いの手を差し伸べてはくれまい。じゃあフォアシュテルングをロボットに変形させて敵と対決するかといえば、それこそ“カタルシス・イーター”の思うつぼだ。こちらの心が折れるまで、ソムヌスも《うねうね》も無限に湧き続けるだろう。雑魚との戦いには意味がない。

 行き詰まった俺達の前に、さらなる壁が立ちはだかった。《ウンネフェル》に似た筋肉ムキムキのライオン人間が腕組みをして空中に静止している。

「「セクメト!!」」ルナとセネトが叫んだ。

「敵か!?……なんでもいい、変形する余裕も躱す余裕もない!どかないならぶつかる前にぶっ飛ばすぞ!!」

 後方への迎撃に専念させていた六本腕を前へ折り曲げ、六つの先端を結ぶ光輪が騎体を囲んで緑色に輝き、パワーアップした溜め撃ちの初披露をやるつもりでいた。ところが鋭い騎首が超高速で目前に迫ってもライオン人間は微動だにせず……フォアシュテルングが紙一重で軌道をずらしてかすめ去った背後で、腕組みをしたままのライオン人間に激突した追っ手が全て弾き返された。思わず振り向いて二度見してしまったが、ムキムキライオンは何の支えもなく空中に留まっているだけである。

「盾になってくれた……のか?」

 途方もなく長大な蛇のように身をくねらせて一筋に再集結しようとするソムヌスと《うねうね》。しかし敵がひるんだ隙に、背景では《魂の船》の回頭がタイミングよく完了しており、卵型のなめらかな船首から照射した光の奔流が雑魚どもを呑み込み、あらかた消滅させた。その光は船首からまっすぐ前方にしか照射できないようだった。

「“生キ、栄エ、健ヤカナレ”」

「セシャトさn……誰!?」

 コックピットの視界に開いた小窓(フォアシュテルングにそんな機能があるのを初めて知った)には、輝く何かに手をかざす真っ黒い甲虫人間が映っている。

「航路ヲ逸脱スルハ異例ノコトナガラ、緊急事態ニツキ協力サセテモラッタ」

「我々もいるぞ!!」小窓が増えて動物頭の護衛部隊が続々と通信に割り込んでくる。「召喚陣は任せろ!《ウンネフェル》達よ、今だ!!」

「セネトさん!」

「ええ……!」

「あのときの歌、もう一度唄おう!!」


 そして冥界すべてを巻き込む動物人間達のミュージカルが始まった。


 夜の世界に時空の虫食い穴を開ける絵描き歌は、地上にあらゆる災いをもたらす呪詛だった。だがこのひとときだけは、《魂の船》でも《裁判所》でも《丘》でも《葦の野》でも《猫の神殿》でも皆が声を合わせ、お世辞にも明るく楽しげとは言えない禍々しい曲調に乗せて、死を選ぶしかなかった二匹の猫人間を昼の世界に送り返そうとしていた。歌詞を知らない俺だけがミュージカルの一体感から疎外されて黙ったまま、フォアシュテルングを帰り道に突入させた。

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