chapter 5 ルナとテツヤの冥界旅行(前編)
「セネトさんは私を助けてくれた。だけど、いつまでも逃げ続けられない。私ひとりが助けられてる状況から、これ以上、目を背けていられない。私、セネトさんを探しに行く」
「探しに行くとかさらっと言うけど、あの世に行くってことは、地獄に落ちる……かもしれないんだろ?」
「セネトさんと離ればなれなんて、やっぱり嫌なの。セネトさんが大好きなの!!」
「俺の夢に出る《うねうね》は?」
「そうだよね。ほっしーホントごめん……。でも私がいなくなれば、あなたの夢の中の《うねうね》もいなくなるかもしれない」
「まだそんなこと引きずってたのかよ」
「《ウンネフェル》は《うねうね》と同じ冥界の存在。寂しかった私のわがままが原因で、夢の世界に引き寄せたのかもしれない。だから……さよなら」
「待って!俺も《ウンネフェル》になれば、冥界に行けるのか!?」
「それだけはやめといたほうがいいよ」
黒いロケットの装甲を蹴って、ルナは振り返らずテツヤと別れた。
ルナが覚えている呪文では、冥界につながるゲートの開通と引き換えに《デストルド》を召喚してしまうので、思い切って《猫の神》に事情を打ち明けようと考えていたが、しばらく飛んでテツヤの夢から出ると、なぜか人間界ではなく冥界で、しかも都合の良いことに、《魂の船》のすぐ近くだった。
《魂の船》に降り立ったルナを、鳥のおじさんの部下が待っていた。セネトよりも地味でメガネが似合いそうなおねえさんは、以前見かけたとき、台車に本や巻物を満載して書棚の間を行ったり来たりしていた司書さんで、セシャトという(セネトと紛らわしい)名前を今回初めて知った。セシャトは、ルナに巻物を手渡した。
「セネトさんからの預かり物です」
「預かり物……。じゃあセネトさんは、ここにはいないんですね?」
「はい。ひと足先に降りて行かれました」
「どこへ!?」
「《裁判所》。……大丈夫。あなたの行き先も同じですから」
“自殺した者の行き先は、地獄”。ルナは背筋に寒気を感じ、不安から意識を逸らそうとした。受け取った巻物を開くと、古代語の象形文字の脇に、なんと日本語訳がついている!!
「それは《死者の書》。あなたにも読めるように翻訳しておきました」
「はぁ」
……なぜこんなに用意がいいのだろうか?
「この船は巡回ルートを一日に一周していて、《裁判所》への次の到着まではまだ時間がかかるので、《死者の書》に目を通しておいてはいかがですか?」
「分かりました。ありがとうございます」
「どういたしまして」
セネトの墓に納められているのであろう《死者の書》は、セネトのために書かれたものなので、故人の肉体や魂を守護する呪文に関しては全くルナの役に立たないことが分かったが、そこ以外は誰にでも通用する冥界のガイドブックだった。冒頭、セネトがルナ向けに赤い字で書き加えたらしいコメントによると、冥界を渡る死者にとって最も大事な心構えは、“神々に敬意を払うこと”。砂漠の国の誰もが細かいしきたりに精通しているわけではなく、《死者の書》の内容が読めない文盲も大勢いたので、たいていの場合は神々に対し真摯でいれば何とかなるはず……なのだそうだ。
高級ホテルのロビーみたいに落ち着いた雰囲気の中、時間の許す限り《死者の書》を読みふけっていると、いよいよ柔らかいソファーからお尻を上げる時が来た。
《裁判所》は、建物の部屋かどうかも分からない暗闇だった。闇の中に黄金の装飾具を纏った犬みたいな人が現れ、淡々と開廷を宣言する。あまりにもイケボすぎる犬の人の低い声に聴き惚れてしまったルナが我に返ったときには、裁判についての説明は全部終わっていた。
「……どうした?汝の身の潔白を証明せよ」
「え?」
「潔白を証明するのだ。もし汝の心臓が、《秩序》の羽根より重ければ……」
「私、ここで裁判を受けなきゃいけないのは分かってます。でも今は、《ウンネフェル》の先輩を……セネトさんを探してるんです」
犬の人は耳を貸さない。
「セネトさんはどこへ行ったんですか!?」
すると、犬の人の背後にくちばしの長い鳥のおじさんが現れ、ルナに代わって発言した。
「《魂を導くもの》よ、被告人は我々のしきたりに従って埋葬されていない。現在、この者の遺骸は……これだ」
「おじさん!いつからそこに……!」
鳥のおじさんが示したのは、小さな壺だった。
ルナの骨壺。
「……ゆえに心臓は残されておらず、本法廷ではこの者を裁くことができない」
「そ、そうですよ!ですから通してください。ね?」
「「「「「
顔を上げてぐるりと見回せば、猫や犬や鳥やヒツジやウサギといったもふもふの動物人間から、ワニやヘビやカエルといったウロコのある動物に似た人達、そして甲虫人間や、動物頭ではなく普通の外人さんみたいに見える人達、生き物なのかどうかさえよく分からない、何とも形容しがたい人達まで、たくさんの陪審員が《裁判所》の見えない壁に沿って四角く、何段もの席に並んでいた。《死者の書》によると、砂漠の国の地方都市を守護していた神々らしい。……ルナは“ご当地マスコット”を思い出した。
「「「「「我らの神殿に供物を捧げたことがなく、我らの名さえ知らぬ者に、《葦の野》へ至る資格無し!!」」」」」
「ご一同、静粛に。《秩序を書くもの》よ、心臓ならここにあるではありませんか」
犬の人が指差すと、ルナの胸元から声が聞こえてきた。
「こんなところで足止め喰らってる場合じゃないの!!こうしてる間にもセネトさんがどんどん手の届かない遠くへ行っちゃってるかもしれないのに!!」
「……!?」ルナが両手で口を塞いでも、胸元を押さえつけても、声は喋り続ける。それもそのはず、ルナは《猫の神》の加護で《ウンネフェル》としての心臓を与えられていた。
「だいいち、なにが“身の潔白を証明しろ”よ!!ものを盗んだことがないとか、人を殺したことがないとか、まあ、それぐらいなら分かるけど、嘘をついたことがないだの、イラついたことがないだの、調子に乗って喋りすぎたことがないだの、そんな完璧超人いるわけないじゃん!!……あ、いるわ。セネトさんがまさにそうだ。
私の言うこと何でも黙って聞いてくれて優しすぎるトコあるよなーと思ってたけど、神様への生け贄に捧げられることが生まれつき決まってたなら、死後の裁判を完璧にクリアできるぐらい、何の落ち度もないように英才教育受けてるのかも……。やっぱセネトさんって、理想の話し相手だよ!セネトさん今頃どうしてるかなぁ。セネトさんに会いたいよ……。セネトさん、セネトさん……」
「他に申し述べることは?」
「……ありません」
裁判官には敬意を払わなきゃならないのにー!ルナは犬の人のうっとりさせられるようなイケボに対してぼそぼそ答えながら、恥ずかしさと情けなさで、もう泣きたい気持ちだった。
「判決を言い渡す」
ルナの正面に巨大な黄金の人型棺が浮かび上がり、陪審員達の唱和が法廷に響いた。
“これぞオシリス、神々の王、
天界の勢力者、生者の支配者、冥界の王。”(※)
「被告人ミツエダ・ルナは自ら命を絶った。また、我らの神殿に一度たりとも供物を捧げたことがなく、我らの名さえ知らぬ。よって《葦の野》へ至る資格無し」
「「「「「然り!然り!百万回も然り!!」」」」」
「「「「「被告人を《殲滅の場所》に!!」」」」」
棺の前に燃えさかる球体が現れた。《死者の書》を読み込んで分かったことだが、この《殲滅の場所》は“
「「「「「被告人を《殲滅の場所》に!!」」」」」
「しかしながら」棺の判決には続きがあった。「この者は《秩序》を守る我らの活動に貢献した。心臓は真実のみを語り、魂の永久消滅をも怖れず、友のため出廷した。以上を鑑み、判決は保留」
「やったー!!閻魔様サンキュー!!」「黙れ私の心臓!!」
「(エンマ?)」
「(同業者です、父上)」
「(そちらにも話を通しておくか)」
「(御心のままに)」
犬の人とのひそひそ話のあとで、棺が咳払いをした。
「声正しき者、《ウンネフェル》なるルナよ。《葦の野》の通行を許可する。……ただし、《葦の野》へ立ち入るからには、通常の死者と同じ試練を受けてもらう」
「「「「「然り!然り!百万回も然り!!」」」」」
「これにて閉廷」
裁判が済むと、犬の人も鳥のおじさんも陪審員達も黄金の棺も炎の球体も消え去り、ルナはふたたび暗闇の中に取り残された。目の前には石で出来た分厚い門が一枚。門の両脇に動物頭の人間を象った石像が座っている。《死者の書》の記述どおり、《葦の野》への道中にはこういう門がいくつもいくつもあって、石像に話しかけると試練が始まるのだが、
“我は昨日、我は明日、我は二度誕生する力を持つ、聖なる隠された魂”これ、なーんだ?
正解は《地平線》。
こんな感じのナゾナゾに答えさせられたり、中学校程度の数学の文章題を解かされたり、音楽に合わせてタイミングよく太鼓やタンバリンを叩くリズムゲーをさせられたり、青銅でできた動物頭の守護者と戦わされたり、戦いだと思ったら守護者の振り付けを完コピできると合格のダンスステージだったりもした。どんなに時間をかけても何度やり直してもいいので当てずっぽうの解答が通用したが、頑丈な石の扉が門を塞ぎ、正解するまで決して先へは進めないのだった。ちなみに門を裏側からくぐっても、前のステージには戻れなかった。
単調な試練の連続にうんざりしてきた頃、これまでと違う雰囲気のステージに出た。ここには門も石像も無く、マス目模様のある細長い箱が、ただひとつ闇の中に置かれている。
「《セネト》だ!」
箱の向こう側で、目に見えない何かが駒を取り出し、投げ棒の歩数ぶんマス目の上を進めたので、ルナも手前側の抽斗から取り出した駒で自分のターンを始めた。ルールは《猫と蛇》。毎ターン投げ棒を二本使い、持ち駒は九個の長期戦である。
何点先取すればいいのか分からないけど、とりあえず一勝してみよう、と思っていたルナだが、初戦をあっさり負けてしまうと、不可視の対戦相手はまぐれ勝ちも難しい実力者だということが分かった。負けてもゲームオーバーにはならない。しかし勝てなければ何試合でも繰り返させられるのだ。ルナは練習のつもりで力を抜き、戦いながら対戦相手のクセを観察した。
見えない敵は、盤上に妨害できる駒があっても手を出さない場合がある。そんなとき、ルナがその駒をもう一度動かすと敵の罠に落ちる。つまり、今の戦況だけを見ていてはダメで、“互いのターンが一巡したあとはどうなるか”まで予測を立てて判断しなければならないのだ。それを踏まえてもう一戦……敗北。ルナが一手先を読もうとすると、敵は二手先を読んでくる。
「だから、こういうの苦手……。天国って《セネト》が得意な人ばかりなの?セネトさんはここも楽勝だったんだろうな……セネトさんが《葦の野》にいるとすればだけど」
ルナはセネトのアドバイスを思い出した。
“持ち駒はひとつじゃないでしょ?遅れている駒を進めるか、先行している駒を逃がすか、妨害できる駒はないか、盤面を見て臨機応変に判断するのがコツなのよ”
「盤面を見て臨機応変に、ねぇ……」
《死者の書》を開く。《セネト》が登場する呪文の横には、赤い字で“相手の裏をかくのも戦略の内”とコメントがあった。
素人の付け焼き刃では勝てないと判断したルナは、《セネト》以外で《セネト》に勝つ方法を試してみた。神々には敬意を払わなければならないが、ダメで元々。
まず、普通にゲームを進める。ルナは弱いのですぐ負けそうになる。そして、見えない相手の最後の駒がゴールする直前……箱の前後をひっくり返した。これで敵の駒はルナの駒、一気に形勢逆転。な~んて都合良く勝てるわけないか、と思いきや……?
《セネト》のゲーム盤と付属品が闇に溶け、流れ落ちる滝音とともに、湿っぽい空間が開けるのを感じた。
「あはは、勝ってないけど勝っちゃった……。いやいや!頓智でもオッケーなら、正攻法で勝とうとしてた今までの時間は何だったのー!?」
流れる水がみるみるうちに黒い海となり、ルナの行く手を遮った。その海中を、左右にうねる波を立てて何かが泳いでくる。ルナの手前で水しぶきを上げ、幅広の鎌首をもたげたそれは、“蛇みたいにうねうね動く黒い塊”の《うねうね》とは違って、ウロコのある胴体も爬虫類の顔も長い舌も、異常な大きさ以外は完全にコブラだった。
「うっひゃあ!!ここでラスボス戦!?」
「見事です。声正しき者、《ウンネフェル》なるルナ」
「あなたが対戦相手だったの!?ふざけた真似してごめんなさいー!!」
「私は観戦していただけ」
「じゃあラスボス!?」
「私は《運命の腕》。あなたを《葦の野》へ運ぶ者です」
「これも何かの試練なの?」
「いいえ」
「だったら、歩いて天国へ行けるようにすればいいのに!」
「それは私には何とも……。昔からこうなので」
「セネトさんもここを通ったんですか!?」
「その者も私が運びました」
「セネトさん……天国に行けたんだ!!」
ドラゴンと言っても差し支えなさそうなほど巨大なコブラの後頭部にしがみついたルナは、《ウンネフェル》の飛行能力を使わなかった。天国まであと一歩というところで、案内役を無視して闇の世界の迷子になりたくなかったからだ。女の人の声で喋る《運命の腕》は泳ぎ出すと寡黙な蛇で、穏やかな波音と、ゆりかごのような揺れの心地よさに、ついルナは眠りこけてしまった。
ルナが目を覚ました場所は、広大な水田の間に作られたあぜ道だった。
「人間界に出てきちゃった?」
地面を蹴って飛び立とうとするが、アホみたいに転ぶ。
「あ
《葦の野》。ここでは《ウンネフェル》の魔法は使えず、しかしなぜか生前の姿に変身した状態で容姿が固定されるらしい。“葦”の野というわりに、葦はどこにも見当たらない。
「富士山あるし、どう見ても日本だよね……」
制服の土埃を払い落とし、改めて辺りを見回すと、田植え機が連結してあるトラクターを運転していた人影がこちらを見た。その人物は紛れもなく、十年前に死んだはずの、ルナの母方の祖父だった。
「おじいちゃん!!」
ソックスが汚れるのも構わず水田に足を突っ込み、ときどきつまづいて泥まみれになりながら走った。トラクターから降りてきた作業服のおじいちゃんは抱きつかれて戸惑っていたが、成長したルナの顔に孫の面影を認めたらしく、大声でおばあちゃんを呼んだ。
祖父母の家の玄関に入ると、廊下の奥から歩いてきた外人さんの姿のセネトと鉢合わせした。
「セネトさん……!!会いたかった!!」ルナは全身泥だらけのまま、浅黒いセネトの豊かな胸元に飛び込んだ。
「あらあら、ルナちゃんまで来てしまったのね」
「私が来るの、分かってたんでしょ?セネトさんの《死者の書》。私のためにアドバイスまで書き込んでくれて」
ルナは黄金の杖を装備する要領でサッと腕を伸ばして手指を開き、《死者の書》をセネトに返そうとしたが、やはり魔法は使えないのだった。死者を守護する呪文なしで大丈夫だったのか訊いてみると、神殿で丸暗記するまで覚え込まされた、とセネトは答えた。ルナに気を遣わせないためか、それとも本当にあの長い長い巻物の呪文を一字一句暗記しているのかは分からないけれども、現にこうして天国までたどり着けたのだから、すごいことだ。
「ごめんなさいセネトさん、せっかく助けてくれたのに……。でも、なんで?ここ日本人向けの天国じゃん!」
「あなたのことを考えていたら、かしら……」
おばあちゃんに預けた汚れ物は、びっくりするほど清潔になって戻ってきた。セネトと一緒に入浴を済ませたルナは、座敷のちゃぶ台を囲み、改めて祖父母にセネトを紹介した。
「おおよその事情はセネトさんから聞いとるよ」と、おじいちゃん。
「ってことは、その……」
「死んじまったもんはしょうがない。だが若い身空で、お前がこっちへ来るのは早すぎる」
「そうねぇ。確かにここは、いいとこだけどねぇ。お天道さまはぽかぽかだし、足腰も疲れないし」
「……ごめんなさい」
「謝るようなことじゃないのよ?ただ、若い子には退屈だろうからねぇ」
「年じゅう変わり映えのしない毎日だ。新聞も。ラジオも。向こうへ帰れるなら、そのほうがいい」
「うん、そのつもり。セネトさんを探しに来たの。どうやって帰るのか分からないけど、偉い人の許可は取れたみたいだし、あっちこっち二人で歩き回れば帰り道が見つかると思う」
「それができないのよ、ルナちゃん」セネトが口を挟んだ。
「できない?どういうこと?」
セネトの説明によれば、《葦の野》の住人となった死者は魂が充たされて完璧な状態であるため、それ以上どこへも行く必要がないらしい。
「私達、天国から出られないの!?」
「例外はあるわ。人間界から誰かに召喚してもらえばいいの。《デストルド》みたいにね」
「お盆だな」「お盆には帰れるわねぇ」
「だけどセネトさんは、あっち側に生きてる知り合いなんて……!」
「……ルナちゃん、私はあなたの“
「そんな!!私、地獄に落ちるかもしれなくて……それでもここまで頑張って……一緒じゃなきゃヤだぁ!!」
縁側の障子に巨大な何かが影を落とし、家の建材が衝撃波で激しく揺さぶられた。
「……ッ、地震!?」
外へ飛び出すと、ベアリングボール付きのおもちゃみたいな三角形の飛行物体が編隊を組み、水田の低空をかすめて旋回していた。
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