RETROSPECTIVE/NATIVE SOIL
わたしの生家は川を見下ろす山肌にあった。玄関を出て坂道を下っていくと、川幅が広くて流れのゆるやかな淵に出る。半月に一度、ここに船が来て川下の町から品物を売りにきた。水遊びに興じる子供たちや洗い物に励む大人たちはみな、ゆっくりと流れを遡る船が現れるなり喜びの声を上げていた。
表の戸に手をかけると、はめ込まれた薄い硝子が揺れてがたがた音を立てる。枠と戸板のどちらかが歪んでいるのだろう、けっして静かに開くことはなかった。家はコンクリートとレンガでできた粗末な平屋で、欠けた採光窓から吹き込む隙間風と石の放つ冷気が相まって冬場は堪えがたい寒さになったものだ。
机にはいつも祖母が座っていて、綿入りの薄い上着をまとった小さな背を曲げながら豆の殻を除いたり新聞に目を通したりしていた。彼女は寝床に行くとき以外は四六時中そこにいて、ほとんど番人のようなものだった。
道の舗装すらままならない僻地に朝刊が届くはずもないので、世間のニュースが届くのはいつも半月遅れだった。月に二度の商船が訪れるたび、下流に住んでいる親戚が読み終えたものをまとめて送ってきていた。朝に祖母が読み、晩に父が読み、家族の間を行き来した新聞は紙面情報の価値を失ってなお野菜や金物を包むために利用された。
ある日の晩、父は新聞ではなく薄緑の封筒に収められた手紙を読んでいた。その顔がこわばり、青ざめ、読み進める手が震えていたのを覚えている。明日は久しぶりに町に出て母さんに会いに行こう、と言うなり、父は明かりも持たず玄関から出ていった。父は結局その夜のうちに帰らず、明け方にわたしと祖母が眠っていると戸が開く音だけが耳に入った。
次の朝、わたしは父の車に乗って町へ向かった。悪路を走るのは慣れているはずの父が憔悴しきって目にくまを作っているのが気にかかったが、それを尋ねる勇気はなかった。
母は町の工場で働いていて、月に一度ほど山を降りて顔を合わせていた。いつもは和やかな二人だったが、その日ばかりは封書を読み合い、こちらを見やっては聞き取れないほどの声色でなにかをささやきあっていた。わたしが怪訝そうに見ていると、父は重たい口を開いた。
身体が悪いかもしれないから、大きな病院で検査してもらおう。
母の下宿からその足で駅に向かい、わたしは大きな軍病院に連れていかれた。使いかたも知れないさまざまな機械でさまざまな検査を受けたが、そのすべての行程で軍服の人物が部屋の脇に控えていた。幼心にも奇妙に感じたが、尋ねるのも波を立てそうに感じてそれ以上詮索することはなかった。
検査室のベッドで待っていると、医師に連れられて両親がやってきた。不安げな表情の二人が言うには、わたしはしばらく入院して手術を受けねばならないということだった。それだけならいいが、母に至ってはこらえきれず涙を流して父にもたれかかっていた。わたしも只事ではないと直感して、絶対に帰るから大丈夫だと念を押した。
それ以来、わたしが両親の顔を見たことはない。
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