三尸

「そりゃ、信じろって言われても無理な話だな」


「それに、本当に父さんならメッセージでもなんでもくれればよかったじゃん」


 八と玲希は競いあうように声を上げた。血の繋がりは薄くとも同じ育ちというべきか、我先にと相手に食いつくのはまったく変わりがない。黒服の男は半透明の手を上げて二人を制止するようなしぐさを見せた。その手つきはよく手馴れているようで、いままで何度もそうしてきたかのようだ。


「そうしようかとも考えたが……お前の兄さんたちは少々荒っぽいようでな」


「かわいい妹に見知らぬ男が近寄ってんのに気が荒くならない兄貴なんかいるのか?」


「私も事を急ぎすぎたのは否定できない。誤解を解くために協力させてほしい」


「しかし、どうやって確かめるってんだ?検査しようにも居場所がわからんだろ」


「私は大陸側にいる。生身で会いたいのであれば───」


 黒服の話に耳を傾けながら端末のアクセス記録を調べていたとき、ぬぐい切れない違和感を覚えた。 没入ジャックインを行うさい、個人差はあるが数日がタイムリミットになる。神経系への負荷もけして少なくはないし、なにより生きているかぎり人間は腹が減る。というのにこの男の最後の接続は三ヶ月前で、それ以来一度も切断されたことはなかった。


この男はどうやってここにいる?


「今は何月何日だ?」


「どうした七、イカれちまったのか?」


「いいから、そいつに聞いてるんだ」


「三月二日だ。それから、申し遅れたが私は明偉ミンウェイという。姚明偉だ」


「そうか。明偉、お前は年末に侵入してからずっとこのネットワークに居座ってる。この意味がわかるか?」


「……私はもう生きていないとでも?」


「だろうな。大陸のネットはいまだに防火長壁グレートファイアウォールの残骸に覆われてる。出入りにリスクが伴うことぐらい知ってたはずだろう」


 明偉は信じられない様子で両の手を見つめている。その姿は薄く不透明で、ともすれば幽霊とは彼のような存在のことを指すのではないかとさえ感じられる。この不思議なまでの落ち着きぶりは茫然自失としているからだろうか、それとも肉体の死を問題とすら見なしていないのだろうか。


「おいおい、俺は死人と話してんのかよ」


「……心当たりがないわけではない。情報部の工作員に与えられる装備には自身のバックアップを作成する機能がある。本来は軽微な電脳の損傷を修復するものだが」


「だが同じ対象に何度も侵入を繰り返し、その度にバックアップを残した結果、お前の精神をネットワーク上で動作させるだけのデータが集まった……そう考えられないか」


「待って、そしたら明偉さんは本来の部分よりバックアップで補修した部分のほうが多いことにならない?死んじゃったんでしょ?」


「あれだろ?沼の男だかなんとか言うやつ」


「スワンプマンだな。確かに今の私はその状態ともいえる。バックアップ技術が開発された当時も議論は交わされたが……人は新しい技術のデメリットは見ないふりをするものだろう」


「兄貴、横文字弱すぎ」


「だから全部七に任せてんだよ」


「明偉、お前の現状は砕けた器のかけらを集めただけにすぎない。繋ぎなおさなければ逸れていくぞ」


「待った、こいつを信用するつもりか?俺はまだ怪しいぜ」


「そうか、そうだな。ふむ、そのペンダントはどうだ、玲希」


玲希がとっさに首元に触れたことで、繊細な銀の鎖があらわになる。


「誰にも見せたことないから、知ってるのはくれた人だけのはず。当てられたら……信じるしかないよね」


玲希が襟から取り出したペンダントは小ぶりな卵形で、内側は横開きのふたで覆われて見えない。それは兄ですら知らない、彼女が今まで誰にも明かしていない秘密だった。


「……『桃之夭夭桃の夭夭たる 灼灼其華灼灼たり其の華』。古い祝いの詩だよ」


「『桃夭』か。そもそもは結婚を祝するものだろう」


「ああ、だから頭の八文字だけ抜き出したのさ。赤珊瑚に桃の花を彫り込んで、その左右に詩の一節を刻んであるはずだ」


 玲希は慎重な手つきで蓋を跳ね上げる。そこに飾られていたのは、まぎれもなく明偉が述べたとおりの桃の花だった。朱色の珊瑚に浮き彫りになった繊細な花弁は、ふわりと開いて上を向いた姿でそこにあった。『桃夭』の八文字がその左右に控えるように配され、まさに贈り主の万感の想いが閉じこめられていた。


「……信じらんない」


「ここまでされると疑いようがねえな。七は?」


「信じていいと思う」


「……そうか。感謝する」


 明偉はいま危険な状態にある。人間の精神は基本的に人体と結びついている関係上、肉体を失った彼がそう長く「人間」でいられるとは思えなかった。このまま放置されれば、遠からず自身のことすら忘却してネットを彷徨する亡霊になることは目に見えている。


「玲希、倉庫にある給仕ロボは動くか?」


「そんなに前のじゃないから動くと思うけど……待って、父さんをあいつに入れるつもり?」


「見てくれはあれかもしれないが、ローカルネットの範囲内なら自由に動けるし、なによりこいつを除けばロボット掃除機しか候補がない」


原型を保ったまま人間の精神を別のボディに収めるためにはなるべく人体に近いものが必要になる。具体的には腕と脚が二本ずつあって、二足歩行で、頭部が胴体の上にあるものが望ましい。そういった点では、飲食店で給仕に使われていた人型ロボットは違和感のなさや手先マニピュレータの正確性において高得点だ。


 明偉を給仕ロボットに入れるにあたって、もうひとつの問題があった。それは、彼の破片は「人間の精神の形」を忘れつつあるということだった。不完全なバックアップの集まりを人間に戻すには、誰かがになる必要がある。しかし、こうした「精神の鋳造」は鋳型のほうにも影響が及ぶリスクがあった。こうした点を考慮すると、自身を鋳型にして彼を再構成するのが最良の選択だろう。この提案に明偉と玲希の二人は是非もなく賛成したが、八は浮かない顔をしていた。


「そりゃ、こいつが悪党じゃないのはわかったけどよ……本当に大丈夫なのか」


「任せろ。戦車を操縦していたこともあるんだ、給仕ロボぐらい朝飯前さ」


「手間をかけるな」


「気にするな。それから、氷風呂を用意してくれないか。ちょっとばかりするかもしれない」

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