海市蜃楼

 うなじに設けられたポートから単分子モノケーブルを引き出して端末のソケットに差し込むと、数ヶ月分の通信履歴が一斉に電脳へ流れ込んでくる。仕事の連絡を除けば、その多くは動画や通話といった他愛もないものにすぎなかった。


「そいつを最初に見たのは?」


「いつだったかな……そんなに前じゃないはず」


「その日に見た動画とか、誰と話してたか覚えてないか」


玲希は頬杖をつきながらうんうん唸りはじめた。椅子の背もたれを軋ませて、風見鶏のように小さく左右に揺れている。


「あ、思い出した」


「本当に?」


xTEKNOMANCERxテクノマンサーの配信見てたんだ」


「テ……何?」


「サイバネとかのレビューとか通販やってんの。知らない?」


「まったく」


遅れてる、と言わんばかりの視線が八に突き刺さる。そもそも年が離れているうえに裏稼業の彼が表の流行を知っているほうが変だとも感じるが、玲希はこういうところ容赦がない。耐えかねた彼はこちらを顎でしゃくる。「さっさと仕事に取りかかれ」のサインだ。


 没入ジャックインして端末の情報を閲覧するのは、脳内で記憶を想起する行為に似ている。イメージやキーワードから情報を検索するのが人体における想起のメカニズムだとするなら、没入状態は脳がネットに接続されたことで記憶領域が極限まで拡張された状態に近い。これによって、直接ネットと接続しているユーザーは自身の海馬には存在しない情報を「思い出す」ことができる。


 膨大な履歴から無関係なものを除外して絞り込んでいくと、この時点で残った候補は十数個だった。かなり数を絞ることができたが、それでもテクノマンサーはほぼ隔日で配信をしていたので、到底すべてを調べあげる気にはなれなかった。


「いつの配信を見てたときだ?紹介してた製品とか覚えてないか?」


「んー、たしか発射すると自動的に警察に通報する機能つきのピストルだった気がする」


「なんだそりゃ、まるで使えないじゃねえか」


「警察が来るまでの自己防衛用だから。兄貴みたいに先制攻撃する人と違って」


「最近のお前、なんか一言多いんだよな」


 信じがたい話だが、通報ピストルは実在した。しっかりレビューも配信されていて、日付は二ヶ月半ほど前。画面上では黒髪を撫でつけた二枚目風の男が丁寧な手つきでピストルをいじくり回している。すぐさま日付で検索をかけ、その日の履歴をチェックしていく。通販にニュース、そのほとんどは関係なさそうなものだが、ひとつだけ引っかかるものがあった。簡素な保護がかけられたドキュメントで、中身は玲希の家族が住んでいた土地の行政記録だった。


「ああ、これ……自分がどんなとこに住んでたのか気になって調べたんだよね」


「こういうのは機密じゃ?」


「戦後は大混乱になったんだ、行政の記録ぐらい流出したとて気にも留めないだろうさ」


 大戦時の政府機関から流出した文書はいまでもネットにごろごろしているが、そうしたファイルには流出させた攻撃者の仕掛けたトラップが潜んでいることも多い。案の定というべきか、彼女がダウンロードした文書にもが仕込まれていた。これは攻撃者と攻撃対象の間に秘密の通路バックドアを生成するもので、発見の困難さからネズミの穴ラットホールとも呼ばれている。このバックドアを通じて侵入者が玲希の身辺にある機器に入り込み、彼女の視野に干渉したというのが幽霊事件の真相だろう。


 幸いだったのは、玲希はまだ義体化をほとんど行っていなかったことだろう。拡張視野オーグビジョンはコンタクトレンズ型のものを使っているし、脳もほぼ生身のままだ。義体化が高度に進行していた場合、侵入を受けると脳や神経系を破壊される危険性がある。軍用の防壁ファイアウォールが異様に強固な理由は、全身を置換した強化兵士でさえ侵入されればコマンドひとつで全滅しうるからだ。


 侵入経路が判明したなら話は早い。バックドアを封鎖し、建物内のネットワークに防壁を張り巡らせて移動を制限すれば──


「兄貴!七兄さん!」


 驚いたように声を張り上げる玲希を振り返ると、そこに男が立っていた。


八でもなく玲希でもなく、静まり返った部屋の中でその男はまさに異物だった。


背丈は普通で、八よりはいくらか低く見える。年のほどは四十過ぎから五十路に至るかといった具合で、PLAINS人民解放軍情報部のワッペンが縫いつけられた黒く光沢のない侵入装備ギアを身にまとっている。全体的に印象に残りづらい容貌の持ち主だが、薄墨色の鋭利な眼光だけは異質で、どことなく既視感があるように感じられた。


 この男は室内にいる三人全員の視界に存在しているが、この場に実体がある生身の人間ではない。それはすなわち、この電脳に施された軍用等級の防壁をも突破して視界に侵入してきたということだ。グレードこそ劣るが、八も民製では最高級の防壁で身を固めている。軍用を含む三つの防壁を同時に破る技術はとうてい人間業とは思えず、電脳で絶えず発火するニューロンが恐怖や焦燥の感情を生成していくのをありありと感じた。


「これほど早く見つけられるとは」


「遊びに来たわけじゃなさそうだな。何が目当てだ?」


「こう言っても信じないだろうが、私はこの子、玲希の父親だ」

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