第6話 単位死守
「数学を教えてもらえませんか。」
その夜、セシーリアはルイーズが部屋に戻ってくるまで机に座って数学に向き合っていた。
先生のところへ質問に一応行ってみたけれど、なにがわからないかわからないから聞いてもあまりピンとこなかったのだ。一から教えてほしいと頼むことであるからダメもとではある。できる人からしたら面倒くさいだけだろうし同室でも大して仲がいいわけでもない。向こうは確実に困るだろう。でもこれしか方法がない。ヘルムフリートルートはいろいろな意味でハードルが高いのでできるだけさけたかったのだ。
普段必要最低限しか話さない相部屋のひとに話しかけられたからなのか、戻ってきた途端に頼まれたルイーズはとても驚いていた。普段落ち着いていてクールな彼女が狼狽えていたのは意外に思えた。
「えっ、あの、えっと。」
「このままでは単位を落としてしまう。授業を聞いていてもわからないんです。お願いです、毎日数分でもいいので教えてもらえませんか。」
なんてわがままで自分勝手なお願いなんだと自分ながらに思っていた。対価で渡せるものも何もない。本当にセシーリアが得をしてルイーズが損だけをするお願い。
「なんで私なんですか、ご友人とか、いる…じゃないですか。」
どう返したらいいのかわからなくて途中で口ごもる。あまり人と話をするのが得意ではないのだろうか。
「選択必修なので誰も数学をとっていないんです。」
そう答えるとルイーズは目を丸めていた。
「ご友人は、そういう、えっと、あまり学問に興味のない方々なのですか。」
セシーリアもないといえばない。兵学だけ興味があるというだけで。
「ご令嬢たちばかりですし。淑やかに育つために通っているひとがほとんどです。」
現にセシーリアもスコリオに通っている目的はそうなのだが、部屋でやっているのは兵学の本を読むということばかりなのでセシーリアは学者気質で、周りもそういう友人が多いのだろうとルイーズは思っていた。
だからルイーズはセシーリアが自分と同じ種類の人間なのか、そうでないのかをはかりかねていたのだ。
「いや、あの、私なんかでは役不足かと思います…」
「役不足なんてことは絶対にないですし、できるだけ邪魔にはならないようにするので!この通り!お願いします!」
がばり、と頭を下げた。
そこまでされると断りにくいものである。ルイーズはしぶしぶ、といったように受け入れた。ただ時間はルイーズが図書館から帰ってきてから寝るまでの間。
自分の勉強時間はあまり削りたくないようで、こちらがお願いしているのである、ありがたく時間をもらった。
もともとその時間は火・日と軍閣をやっているが単位には変えられない。ヘルムフリート・フォルグには明日謝っておこう。
教えてもらえることになってホッとしたセシーリアは早速今日やっていてわからなかった幾何の問題を聞いてみることにした。
・・・・・
ヘルムフリートは少しだけ、ほんの少しだけ、苛立っていた。
本人は自分がいら立っているということに全く気が付いていなかったが、まわりの友人たちはいつもより少し機嫌の悪いヘルムフリートに驚いていた。彼が怒ったことなんて見たこともないし声を荒げたことすら見たことない。雰囲気だって普段クールなのもあるが悪いようなオーラを出しているのは初めて見たのである。
昼休みだった。
セシーリアがなんとかひとりのヘルムフリートを見かけて中庭への外廊下で声をかけた。授業間の休みのたびにヘルムフリートを探してみたけれど見つからないか目立つタイプの人に囲まれているかで全然話しかけに行くことができない。昼休みに本を片手に一人で中庭へ向かうヘルムフリートを見かけてようやく声をかけることができたのだ。
「あの、フォルグ、ちょっと話が。」
ちょっと控えめでひそめたような声を耳が拾う。セシーリアの姿をみとめると、普段サロン以外で話しかけられることがなかったので彼はすごく驚いたのだった。この季節の中庭は風がちょうどよく吹いていて気持ちがいい。ヘルムフリートは昼休みになると少しはしたないが木に登って本を読むのが習慣だった。女の子は好きだが、本を読む時間まで来られるとさすがに困る。拒否したりもできないので自分がどこかに行くしかなかった。
「なに、今から軍閣?」
「うわあ、それはやりたいけどちょっと単位が危ういのでやめておきます……。」
「じゃあ、どうしたの。」
「試験終わるまで軍閣、できないです。数学が本当に、単位が危ういレベルでできなくて、その時間にルイーズ・ダンバルに教えてもらえることになったから、だから今週と来週、本当に申し訳ないけど軍閣ができない。」
「………数学?」
「数学。」
「それは仕方がないか、わかった。」
「では再来週の火曜に。」
「うん。」
肩甲骨くらいまでの長さのひとつの三つ編みをひるがえして廊下へ戻っていく。茶色い髪の毛が太陽に照らされてより明るく見えた。そういえばそんな髪色だったか。自分とは対照的な色だった。
「あれ、機嫌悪い?」
ヘルムフリートはいつもの木の上で本を開いてもなんだか集中できなくて、諦めて1度寮の部屋に戻っていた。相部屋のフレンも忘れ物をしたのか部屋に戻ってくるなり、ヘルムフリートにそう声をかけた。失礼な。
確かに少し納得できないのはあるけれど。フレンはなぜこうも無駄に聡いのか。
ヘルムフリートは軍閣ができなかった理由に納得できずにいた。
数学なら自分は得意なほうだし、教えることができるのに。軍閣をする時間にどちらにしろ自分とは会うのだから、自分に聞けばいいのに。
「いや、なんでもない。」
だから少しだけ、ちょっとだけ、腹が立った。
「何かあったんだネ。珍しい。」
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