第3話 顔も名もしらないひと
サロンの端のほうに古い閣盤を見つけて、自陣を並べてみたのはただの暇つぶしだった。
勝ちにいくような陣でもなければ守りに入るようなものでもなく、典型的な、普通の陣。だれか釣れるだろうかと思い、一つだけ駒を動かして。
自分の友人たちは好んで軍閣をやるような奴らではないから、それに触れるのは久々だった。
これから中庭で仲間と女子たちとで茶会がある。大きなソファのあるところに何人か集まってきたようだ。ヘルムフリートは指についた埃をぱらぱらぱらと払ってその場を離れた。
だから、まさか翌日になってゲームが進められているなんて思っていなかった。きれいに並べられた敵陣は玄人感まるだしの本気の陣だった。なんだか絶対に負けたくないと思ってしまって、こちらも本気で挑んでみることにした。誰が動かしているのかはわからない。先輩か、後輩か。少なくとも同級生にはここまでちゃんと軍閣をやろうとしているようなやつはいなかったはずだ。
それからヘルムフリートは軍閣のことばかりを考えていた。棚にしまっていた兵学や軍学の本を読みなおしたり、指導書を自国から送ってもらったり。
1日ずつの軍閣をはじめてからひと月半たっていた。ゲームも終盤で、ヘルムフリートが優勢。次もしも相手が失投したら勝てる、なんて思いながらその日はサロンを通るたびに盤を確認していた。
朝。確認しても動きはない。
朝食後。動きはない。
昼休み。動きはない。
終業後。動きはない。
「ヘルツくんは何をそんなにそわそわしてるのさ。」
相部屋の人に聞かれるくらいには楽しみにしていた。女子たちと触れ合ったり話をしたりする時よりも楽しみでしょうがなかった。自分も幼いところがあるものだ、と自身に呆れたりもした。
それは終業後の勉強を終えて、夕食から戻るとき。
確認しようと閣盤の座席に向かうとそこにいたのは女子だった。
自分の軍閣の相手が女子だったことの驚きと、その相手が寝ていたことへの戸惑いと。テスト前の勉強疲れもあるのか、器用にも座席に座ったまま気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。
どうしたものか。
………しかも口が開いている。
とりあえず彼女が目覚めるのを待つことにしよう。どんな手を打つのかわくわくしすぎて明日までは待てない。幸い今兵学の本は持っているしこれでも読んで待つことにするか。
暖炉がきいていてサロンは暖かいとはいえ冬の割には薄着だ。風邪をひいてはいけないから上着をかけて、向かいの席に座る。改めてその姿を見るとどこかで見たことがあった。
少し明るい茶髪をひとつの三つ編みにしたその姿をどこかで見た……。ああそうだ、あれはシェリルの部屋だった。2人で彼女の部屋にいるときに相部屋の人が途中で入ってきてしまってその人と目が合った覚えがある。その人か。居心地の悪さを覚えて思わず首をさすってしまう。覚えていないといい、そう思って本を開いた。
「しょう、にのいち………だめだ……」
しばらくたつと寝言が聞こえた。夢の中でも軍閣のことを考えているのか。でも自分と同じくらいの熱量で対戦してくれていることがなんだかくすぐったかった。
それからもぶつぶつと寝言が聞こえてきて、それがだんだんかわいく思えてきて少し笑ってしまう。
どの手も自分が勝てる手だったから、おそらく勝てないものから減らしているのだろう。
「しょう、よんのさん………」
ああ、それも勝てるな。そう思いながら聞き流す。
しかしその直後に聞こえたのは明らかに寝言ではなかった。
「うーわ……」
思わず漏らしたであろう声に次の手への期待と、やっと起きたのかという呆れのこもった眼差しをむけてしまう。向こうはなんだなんだと言いたげに、不思議そうに眉をひそめていた。寝ぼけているのかなかなか打とうとしない。
「それで?次の手は?」
寝ぼけているのかなかなか打とうとしないので促してしまう。ああそうかと思い出したかのように彼女は将を4-3に置いた。
勝った。
口角を上げて最後の駒を進めた。
「詰み。」
そのあと何度も瞬きをして負けを確認した彼女はそのまま呻きながら頭をしばらく抱えていた。なんだなんだ。思わず眉間にしわが寄る。
そしてそのままばっと顔を上げると、
「もう1戦!もう1戦やりましょう、やってください!」
静かに叫んだ。それはヘルムフリートががどこか期待していたせりふだった。
「明日の試験は?」
一応確認する。気にされてももう巻き込むつもりだけれど。
「そんなの知りません。あんな負け方するほうが嫌です。」
彼女は食い気味に答えてきて、仲間ができたような気がして笑みがこぼれる。今日の徹夜が確定した。
・・・・・
2回戦目が始まる。今度は二人とも勝ちにいくような陣を張っていて、楽しくて楽しみでセシーリアはにやけてしまった。コイントスで先攻後攻を決める。先攻はセシーリア。向こうがどういう手口を使ってくるのかまだわかりきっているわけではない。無難に攻めよう。無難に。
ちなみにセシーリアは肩にかかっているヘルムフリートの上着には全く気がついていない。
「そういえば名前は?」
「セシーリア・チェルト、2年生です。そちらは?」
ゲームは進む、会話はぽつりぽつり。
「ヘルムフリート・フォルグ、2年生。」
「あ、やっぱり同級生なんですね。」
「らしいな。」
話が長く続くわけでもない。それもそれで気が楽だった。
唐突に話が始まってなんとなく話が終わる。
「軍閣が好きなのか。」
「好きです。軍学も兵学も。でも女子は学べないし図書館の本は少ない。男子たちがうらやましい。」
「……そうか。」
「お、詰み。」
これで1勝1敗。
それからというもの、2人は週に2度ほど夜にサロンで軍閣をさすようになった。
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