第2話 有名な人
翌日の夕食後にどこか期待を持ってサロンの軍閣の前に行ってみると、敵陣のほうがもう一手動いていた。
きた。
魚がかかった気分がした。かかったのは自分なんだろうけど。
それ以来毎日ちまちまとゲームは進んでいる。その相手とは会えてはいない。次の一手を考えるのが楽しくて、それ以外の時間は向こうがどんな手を使ってくるのか考えるのが楽しくて。
図書館所蔵の兵学の本を読み切ってもセシーリアには楽しみがまだまだたくさんあった。
ちなみに学園内でのセシーリアは可もなく、不可もなく。
友達がいないわけでもなく、特に目立つわけでもなく地味なわけでもなく。それなりの友達とそれなりの関係で、それなりにいい学園生活。
どちらにしろ卒業したら今の友人との関係も失われてしまうのだから。親友だと思っていた人が卒業して身分を明かしたとき敵国の王女だった……。なんて普通にありうる話。だからこそこの学園での人間関係はすべてまやかしだとみんな心で分かっているのだ。みんな割り切って友人になり、恋をして、普通の学校生活のようなものを楽しんでいる。
・・・・・
はてさて、知らない誰かと軍閣を始めてからひと月半たった。軍閣もそろそろ佳境。その一方で生徒達には学年末試験が迫っていた。セシーリアには軍閣のほかに考えなければいけないことがどんどんと増えていた。
それでも夕食後はいつものようにサロンに向かって軍閣の席に座る。テスト前のサロンは静かだ。勉強している人がほとんどで、やはり一国を背負っているからなのかみんな勉強には真面目だった。
暖炉の炎がぱちぱちとはじける音だけが響いている。サロンの中は暖かくて、食後のセシーリアは昨晩遅くまで勉強していたこともあってか、うとうとと舟をこぎ始めていた。いけない、こんな頭がぼーっとした状態では負けてしまう、と思いながら頭を振って目を覚まそうとするけれど睡魔に勝てることができずにがっくりと意識を手放した。
「しょう、よんのさん………」
将4-3?いやいや待て待てこれじゃあ負けてしまう。
自分の寝言に疑問を感じてセシーリアは目を覚ました。それだけは避けなくてはいけない。
口が開いていたのか口の中がぱさぱさする。よだれは垂れていなかった、よし。
そう思って盤に目をやると向かいの座席に誰か座っていた。
寝ぼけた目をこすって、よくよく確認してみるとあの灰色の髪の有名な人だった。
先輩と部屋でいちゃいちゃしてたあの有名らしき人。
頭がだんだん覚醒してくると寝顔をさらしてしまったことに恥ずかしさも覚える。
「うーわ……」
思わず漏らした声に、やっと起きたのかとあきれているのかなんなのか微妙そうな目を向けてくる。
なんだなんだと眉をひそめていると読んでいた本を閉じて静かに言い放った。
「それで?次の手は?」
ああ、そうだった、自分は軍閣をやっていて次の手に悩んでいたんだった。そうだそうだと頭が混乱したまま駒を進める。寝起きなのと、目の前に座っている人が有名な人だったのと、考えがまとまっていないのとで、よくわからないまま将を4-3に置いた。
それを見るや否や目の前のその有名な人はニヤリと口角をあげて駒を進めた。
「詰み。」
何度も瞬きをして状況を確認する。自分の陣がなくなっていて、将もひとつしかないから張りなおそうとして、でもそれで4-3に置くと確実に負けるって夢の中で考えていて……
駄目な手を考えて絞ろうと思ったらその手を打ってしまったのか。負けてしまったのか……。
おもいきり頭を抱える。やってしまった。こんな負け方あるか。最悪だ、最悪じゃないか。ちょっと待って、ニヤリとして終わらせられたな、なんだかそれも腹が立つし顔が良い分変に決まっていてそれもなんだか腹がたつ。試験なんて知らない、こんな負け方で終わらせては悔しすぎる。せめていい負け方がしたい。
そしてそのままばっと顔を上げると、
「もう1戦!もう1戦やりましょう、やってください!」
まるで道場破りかのように静かに叫んだ。
「明日の試験は?」
「そんなの知りません。あんな負け方するほうが嫌です。」
セシーリアが食い気味に答えると、目の前のそのゆうめいなひとはフッと鼻を鳴らして静かに駒を並べ直しはじめた。
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