平戸の瀬戸
2046年5月17日。あの戦いから5日。五島列島からの避難民が相次いで自分の故郷へと帰っていた。
賢三「随分かかった、数万の人が自分のいるべき所へ戻ったんだ。」
澪「あなたも私も、いるべき所を失った。でも、ここにいる事が今彼らに出来る恩返しなのだろうか。」
賢三「総司令部に、艦隊再編案の改訂版を出してみる。その前にゴトランドを返さねばならないけど」
むらさきだちたる巨船(おおふね)は奈留島から佐世保支部へと戻ってゆく。
………
光隆「ごーはーん!」
こういち「ようやく起きたか、おはよう」
光隆「あ、興一さん、まだトトスケのまま?」
こういち「うん…まぁ、そだね」
光音「光隆おはよう、フィナンシェならあるけど…?」
光隆「おお、美味しそうだ。いただきます!」
彼女もこの日の朝に起きたのだが、光隆が起きたのはもう昼前だった。そこまでの時間が光音にとって、苦痛にも等しい時間だった。
なぜなら、死ぬほどの全力を尽くし巨大な妖怪を下したのだ。その後疲労で5日間も寝込んでいた。どうにか自力で船に上がれたものの、何か呪いをかけられていて一生目覚めない気すらした。
そんな光隆が目を開き、目の前でフィナンシェを食べている。光音にとって、これほど嬉しい事は無かった。
掛瑠「兄さん…良かった、起きたんだ」
有理「あ、フィナンシェ全部食われた」
布団の上の彼は最後の一つのフィナンシェを手に取りながら、安堵の表情を浮かべていた。
こういち「これで全員起きた。それと景治司令が平戸城で待ってる、行こう。」
こういちはじいやに頼んで手配していたリムジンに彼らを乗せ、景治の待つ平戸城へと急ぐ。
途中、平戸大橋を渡った。その橋は平戸の新緑によく映える、深紅の大橋梁だった。
……………
……
平戸城、平戸藩松浦氏の居城。相神浦松浦氏を下した平戸松浦氏の居城、関ヶ原決戦の一年前に築城され、早期に破却されたが江戸時代には異例の再築城が行われた城塞であった。
平戸の瀬戸を、見渡せる位置に建てられており眺望は勝景と言う言葉が似合う。
光隆「かげはる!」
光音「姉さん!」
景治「光隆、光音…そしてみんな、」
そこには一大軍事勢力の長とは思えない、和やかな表情の景治が居た。肩の荷が幾つか降りた様な、腫れものが少し落ちた様だった。
カンナ「お招きいただき、ありがとうございます。して、お茶会と言うのは…」
景治「少し新志向のものを試そうと思ってね」
彼女は懐柔櫓へ向かい歩く。この立派な構えを持つ櫓は、復元されたものではあるがどこか趣を感じさせた。
なおこの櫓は一般人が城内に宿泊できる珍しい櫓であり、景治はそこでお茶会を開くことにしたのだ。
景治「ご馳走を用意したよ、早く入ってこないと冷めるよ?」
彼らを労うべく、この日にこの城で沢山のご馳走を用意し待っていたのだ。他の「ツバキ作戦」参加者を労うべく開催した儀礼的宴会は、対岸に見えるホテルで行ったようだ。
光隆「すげぇ!」
光音「わぁ、トビウオのスープにお刺身、餃子もある!」
景治「スイーツも用意してるからね」
陸唯「これは?」
チョウナ「ツナのステーキかなぁ」
カンナ「ひとつだけ言わせてくれまし、これお茶会ではなくお食事でしてよ」
チョウナ「まぁ、いいんじゃないかな。だってティーパーティーのケーキスタンドも、下から食べるのがマナーになってるけど楽しめればいいって事だし。」
少し不機嫌な顔で、自分の目の前に置かれているマフィンに手をつける。横にあったジャムは長崎でとれたいちごだった。
掛瑠「アゴ出汁…この柔らかい味、関東では食べれないんだよね」
有理「なぜかこっちは薄味が多いからね。それより、掛ちゃんに味覚が戻って本当によかった。もっと美味しいものを食べに行こうね」
彼らが美味しそうに食べている様子を景治は嬉しそうに眺めている。海護財団と言うこの世界を背負う組織の長になってしまった、飄々かつ知的な女性も彼らを見る表情からは幼さを感じざるにはいられなかった。
景治「幼い頃はこうは思ってなかったのだがな。大切なものは、距離を置いた後にその大きさを知るものだって。」
イズナ「朝から準備した甲斐がありましたネ」
景治「本当に手伝ってくれてありがとう」
イズナ「いいってことデース、カゲハルはもっと人生をエンジョイすべきだからネ」
景治のサプライズは成功裏に終わった。
景治「光隆、興一さん」
光隆「何だ?」
景治「少し光音を借りるけどいいかい?」
こういち「うちの生徒だけど…うちの子じゃないし」
光隆「いいぜ、行ってこい!俺は生月島まで遠泳するから」
光音「ちょ、ちょっと…さらっとあの潮流で、すごい距離を渡ろうとしないでよ!シーカヤックでも大変そうなのに」
こういち「(でも行けそうなんだよなぁ)」
景治「じゃ、じゃあ光音、行こうか。」
光音「行ってきます」
……………
……
佐世保江迎支部はこの日、活況を見せていた。損傷した何隻もの艦艇を修理すべく、クレーンやロボットが慌ただしく動く。弓張重工からも技術者が何人も派遣され、最早カオスの様相を呈していた。
都姫「興一くんもこの船を魔改造しちゃって…さてと樒果が提示したこの理論や概念の実証実験ね、気合入れて行くよ」
彼女の前を覆う船、特殊能力術学校準備室所属艦「ゆうぐも」。当初そうなる予定でジュピター級「ジュヒラント」より改装されたが、いざ運用してみると過剰スペックでかつ洒落で付けた水中展望用「第三艦橋」が弱点となると言う本末転倒状態となった。
そこで興一らと協議した都姫はこの船にある改造を施すことで、彼らの明日に繋げようと考えたのだ。この改装の内容は、2ヶ月後には判明するという。
都姫「LA15は堅牢過ぎるとしてカリブディスは目立った損傷は無いけど、圧縮空間の掛け合わせ実験が行われるのね。成功したら義父さんが早速、お屋敷の床面積を倍くらいにしそうで怖いなぁ」
よく創作物で科学と対をなしている魔法、その体系的実験を行うべく建造された「オーバーカム」は、妖怪「恙」の眷属である「キマイラマトン」により大破に追い込まれてしまった。
本艦は荷電粒子砲などの最先端科学技術を用いるが、そちらに損傷が行き魔法の行使は可能であった。
イズナ「魔導実験艦オーバーカム、魔法って言うのはこんな感じとは違う気がシマース」
都姫「魔力源や特殊能力の根幹が何か分からないから、財団も手探りなのよ。それにアレが観測されちゃ、この船の存在は私たちにとって鍵になる。」
イズナ「よく創作物に取り上げられているアレ、その本質が明らかになる。それは夢を取り上げるんじゃ?」
都姫「冥王星や銀河の実態が明らかになっても、SFは廃れなかった。人の空想には限界がない、もし現実や他人のアイディアと重複したとしても、鏡合わせになんてならない。反響して、広がり続けることができる。」
………
平戸城の天守は模擬天守であり、内部は博物館になっていた。その最上階には高欄(バルコニー)があり、平戸の瀬戸を眺めることができた。
光隆「泰郎、お前はこれからどうするんだ?」
泰郎「うちは…帰るわ、オカンを連れて。おっちゃん達だけに店を任せる訳にゃいかんねんな。」
陸唯「そうかぁ、敷島に帰るのか」
泰郎「二人とも、おおきにな。」
光隆「いいよ、俺も腹立ったやつをやっつけただけだから。」
平戸の瀬戸(スペックス・ストレート)の潮流はこの高台からも激しさに気付くほどであり、難所である事は明白だった。
陸唯「なぁ光隆、お前海図読めたよな?」
光隆「読める、でも東京湾の以外は見ない事にしてんだ。地図で生きてる魚は見えない。だから俺は行きたいんだ、そこに何があんのか見たいんだ」
陸唯「ふぅん。」
泰郎「冒険家やな、光隆は」
ふと光隆が二人の方を向くと、ニッカリと笑ってサムズアップ。その笑顔に陸唯と泰郎は裏打ちされた決心を見て、光隆にとっては彼らの存在に裏打ちされた笑顔だった。
…………
……
展海峰、九十九島から遠く平戸や五島まで見渡せるこの場所は平戸の瀬戸の勝景に対して、花畑と島々、そして蒼穹のコントラストが雅景の一言を、身のうちから引き出させるようだった。
光音「ねえ、なんでここに来たかったの?」
景治「いちばん海が澄んでいると思うから、かな。」
そう言いながらも、景治の目は優しくもどこかものがなしい笑みを向けてきた。
光音「姉さん…」
景治「この海が、かりそめの故郷だとしてもぼくらを育んでくれたことは間違いないんだ。」
光音は景治の弁から自分が遥か彼方から来た得体の知れない存在であり、彼女の表情も合わさり自分を置いて遠くに行ってしまいそうな、そんな恐怖と寂しさで一杯いっぱいになっていた。
光音「姉さんも、光隆も…またいずれ何処かに行ってしまいそうで、怖いよ。ずっとそこにいてよ。」
景治「ぼくも、ここにいたい。」
海のまぶしさが、折角の水入らずの刻に水を差したのだろう。姉妹は、互いの存在を確かめあうように抱きしめていた。
…………
光隆「なぁ、陸唯」
陸唯「なんだ?」
光隆「おれたちは、どこまで行けるんだろうな?」
陸唯「オイオイ、お前の非常識な遠泳に俺を巻き込む気か?」
光隆「おれたちは泡から生まれて、泡が大きくなって魚になった。それから何億年もかけておれたちになったけど、おれたちはどこまで行けるんだろうな」
掛瑠「(…小学生にしては高度だな)」
掛瑠が思わず内心でツッコんでしまう程、光隆の問いは重く感じた。そして、彼もまた遠くものがなしい目を見せていた。
陸唯「お前、理知的なのかバカなのかよくわかんなくなるよな。」
光隆「潮は北に行ってるな。的山大島かなぁ、今日は」
陸唯「結局するのかよ!おばか!」
いつのまにか光隆は服を脱ぎ捨て、海に飛び込んでしまっていた。そして細胞一つひとつで海を感じているかの如く、悠々と泳いでいた。
………
その頃、景治と光音は佐世保港七番街と言うショッピングモールのカフェに居た。眺望もよく、港そばまで迫る深緑や埠頭に繋がれている船舶が沢山見える。
景治「いいのか、ストレートで」
光音「いいの、このケーキ甘いから」
景治「このケーキに紅茶のストレート。母さんにそっくりだ」
光音「…そうなの?」
景治「そうさ、ほら来たよ」
二人が頼んだのはサンケーキ。真ん中に穴が空いた円形のシフォンケーキに粉砂糖をまぶした逸品。口当たりがよく、口の中にこもれびがさすような味であった。
光音「姉さん、すごくおいしい!」
景治「そうだね、すごくおいしい。敷島にも招致したいな」
光音「またまたぁ、光隆たちもこればよかったのに。」
景治「そう、その件なんだけど…」
いつもとは違う、濃厚なミルクティーを啜る。
景治「光隆とは、どうなんだい?」
光音「ちょ、姉さ」
景治「かわいい、光音も光隆も」
光音「姉さん!光隆は…」
景治「私のもの、そう言いたいのかな?」
光音「⁄(⁄ ⁄•⁄ω⁄•⁄ ⁄)⁄」テレテレ
妹の反応を見て、景治は妹の成長を実感して微笑んでいた。久々に楽しいと言う感情を、思い出したかのようだった。
………
景治「今日はありがとう、光音」
光音「姉さん…こちらこそ、ありがとう」
最寄駅から海護財団江迎支部までの道の途中、二人は手を繋いでいた。仲のいい、姉妹に戻れたことを噛み締める様に。
光音「姉さんは、いつも大変だから…だから、体に無理をしないで」
景治「わかっているよ、やさしいんだね。」
正門前、誰かが手を振っていた。
光隆「おーい、光音!景治!お帰り!」
景治「ただいま、光隆」
光音「ただいま」
正門から基地の中へと入る。
エレベーターの中、景治は光隆に耳打ちした。
「光音を頼んだよ、だけど君もぼくのものだ」
光隆はよく分からなかった。聞いていた光音は、照れてしまい視線をサンケーキの袋へと持っていく。
……………
……
2046年5/18日。佐世保の沖合に「たいほう」は居た。海護財団総司令の任を受けた特命補給船団の護衛を受け持ちつつ、自身も大量の食料・弾薬を抱えて急行したのだ。
樒果「しっかし、この海でドンパチしたのね。科学技術本部長としては、自分の目で見たかった。」
横瀬「しゃーないし、うちら歌浦サンの仕上げ手伝ってたんだしさ。」
コーヒーを片手に黄昏れる樒果に副官の横瀬がよりかかる。横瀬は科学者らしからぬチャランポランな格好をした、いわゆる「ギャル」と言える存在だった。
樒果「あなた、一応琴子ちゃんと同じく医官でしょう。ネイル塗って何してんのよ」
悔しいが、苦し紛れに反論できたことがこれしかなかった。樒果には科学に対する知識はあれど、言葉に関するセンスはほぼ皆無と言ってよかった。
横瀬「だってぇ、これ爪に接着せずにミトンに付いてるもんだし。それにうち薬剤と生物がシマだし、絶対医療現場でそのまましていいネイル作ってやるから」
その口調に反して、この意思は固かった。海護財団に自分の研究をする為に入る人はいれど、ここまで個人的な事をしに来た人は他にいないだろう。
樒果「まぁ、頑張れ。そろそろ接岸するから支度して」
横瀬「うぃーす、つっても樒果は半舷上陸?ずるい」
樒果「4月の1番やばい時に有給取ってたくせに」
横瀬「マジテン下げ」
樒果「頑張ってくれたら超絶カワイイケーキ奢るけど?」
横瀬「え、マジ?やるわ、バイブスぶち上げっから樒果歌って」
樒果「全くもぉ…」
あさがたの潮騒に、樒果の歌は消えてゆく。ただ彼女にだけ、聞こえていたのだ。
…………
大きな汽笛に光隆は飛び起きる。また興一(トトスケ形態)はまた居なくなってて、二段ベットの上には光音が居た。今日は佐世保滞在の最終日であった。
光隆「なんだビックリした」
カーテンを開け、窓の外を見る。すぐ横を「たいほう」が通っている最中であり、銀色の巨大なリニアレールが窓枠いっぱいに覆っていた。
泰郎「なんや、あんたも起きてたんか。」
光隆「泰郎はなんで?」
泰郎「信之にな、仕事に戻るなら生活リズム戻しときって言われたんねん。今からオカン起こしに行く」
光隆「そっか。俺も父さん確か今日まで佐世保に居るって行ってたな」
泰郎「いつまた会えるか分かんないなら、行った方がええで。」
光隆「そうだな、ちょっと行ってくる」
佐世保江迎支部のヘリポート、平戸の瀬戸を見渡せるこの場所。海峡にはあさぎりが立ち込め、平戸大橋の欄干に迫る霧の激流はこの世とは思えぬ幻想を見せていた。
そんな所から駅まで光隆が能力を使って飛ぼうとしていた。しかし、霧の中に光隆は人影を見つけた。
光隆「おはよう信之、何でこんな時間に?」
信之「やっと見れたんだ、この海と朝霧。だから絵に描いてた。やっぱり、霧や雲海は好きだなって」
光隆「こう言う景色、おれも好きかも」
キャンパスには朝焼けに照らされる平戸大橋と、淡くも力強い霧の激流が刹那的な風景を永遠に残さんとしている。
光隆「じゃあおれ、下から駅まで行くから」
信之「分かった、気をつけてね」
自分の能力が信之の邪魔になったら嫌だからと、光隆はヘリポートに続く重苦しいドアの取っ手に手をかける。
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