追憶の氷原-2
脱衣所、汚れた体を洗い流す前に服を脱ぐ場所。光隆と興一はテキパキと服を脱ぎ、大浴場へと向かおうとする。寒すぎる中、戦った彼らにとって温泉はまさに「楽園」にすらも思えるだろう。
先に湯船に居たのは信之だった。今日は休めと言われ、風呂を浴びようとしていたのだ。
信之「光隆さん、興一さん…」
光隆「光隆でいいぜ」
興一「エントランス、封鎖されてたけど後片付けは…?」
信之「他の人が、僕は直接被害に遭ったから休めって。ガラス窓も全部取り替えが決まってたから、今旅館の大人たちが自分で取り替えてます。」
興一「なるほど…」
信之「興一さん、光隆と少し話させてくれませんか?」
興一「分かった、すこしあっちのヒノキ風呂に行ってくるよ。」
光隆「どうしたんだ?」
信之「僕は、実は変なんです。人が考えてる事が、少し分かるのです。だからあの時、怖くて…」
光隆「逃げられなかった事?」
信之「でも、光隆が来てくれた時安心したんです。」
光隆「どうして?」
信之「あの時光隆の記憶の海を見たんです、とても綺麗で何処までも広がってる。僕はこの町から出たことがない、いつか海を見たいんです」
光隆「なるほどな…お前は、海を見たことはないのか?」
信之「生まれて間も無く実の親が舞鶴で死んで、この旅館をやってる親戚の元に来たんです。育ててくれた恩返しの為に、ここで働いているんです。」
興一「(やはり君も、特殊能力者だったか…)二人とも、少しのぼせてしまったみたいだ。僕は露天に行くけど君たちは?」
光隆「行くぜ!」
信之「ご一緒させていただきます」
………
「虚しい」
昨日の夜空はまだ少しは綺麗に見えていたが、この日に於いては大気の穢れを身に染みて虚空を見つめる。
相浦掛瑠は裏切られ続け、元いた学校では“自分たちに同調を示さない”と言う理由だけで虐められ、挙げ句の果てに教師に助けを乞おうが教師は汚く自己保身へと走った。
汚れた大人たちを、掛瑠は容赦なく殴った事もあった。それは助けを求めたのに黙殺された事への激しい抗議であり、ほんじょそこらの不良学生とは性質が少し異なった。
「この星を、少しでも綺麗と思えただろうか」
自ら四肢を氷結させ、樽風呂の温度にてその氷を融解させる。せめて昨日までは美しいと思えていたこの星空の下で眠りたかった。本当ならひとおもいに身体全体を氷結させ死んでもよかった。
しかし、何故だか身体がそれを拒んだかに思えた。だから周りくどい自殺をせねばならなかった。
「最後の瞬間の思考が、死後身体機能が完全停止するまで無限にも思える時間反芻されると聞く。何を思えば、こんな空虚な人生を…」
いや、自分には最早これ以上贅沢はできない。死地を選ぶ事すらも、最早贅沢に思えた。
ほのかに視界が朦朧とする中、いつか昔には綺麗に見えた夜空が彼の目に浮かんだ。
………
「掛瑠⁉️」
光隆は唖然とした。露天風呂へと入ろうとした矢先、掛瑠の後ろ姿を見たと思えば、樽風呂にて四肢が半分失われた状態で居たからだ。
光隆「興一さん、掛瑠が…掛瑠が!!」
興一「うそ、だろ…僕が目を離したばかりに…?」
そう言いつつ彼の身体を風呂から引き上げ、そして氷を振り払うために内側の浴場へと移動させる。
興一「これで…どうにか?」
信之「これは、これは一体どう言う事なんですか?」
興一「僕らは特殊能力者、重力の力で物体を吹き飛ばしたり水を作ったり氷を作ったり出来る。時にはそれらの存在に変化する事だって可能だ。」
信之「…あれ、身体が変質してるなら溶かすのは逆効果ですよ多分!」
興一「しまった…畜生、斯くなる上は!」
掛瑠を光隆に託した興一は、壁の向こうにある女湯へ向かってこう叫ぶ。
興一「樒果!緊急事態だ、至急部屋に来てくれ!」
樒果「ちょっと…こんな時に?」
興一「能力暴走の可能性大、このままじゃ掛瑠が死ぬ!」
その言葉に一同に戦慄が走る。
有理「掛瑠が…?」
光音「とにかく上がろう、ここで死なれたらこれまで守ってきた光隆が…」
カンナ「ちょ、ちょっと…どうなってますの?能力暴走って、状況が飲み込みませぬの」
チョウナ「考えるな、行け。」
状況は逼迫、しかしこの晩は室内でも寒かったため氷が溶けるのはゆっくりだった。速やかに泊まっている部屋へと運ばれた掛瑠だが、二の腕や太腿の半分まで欠損が進んでいた。
光隆「どうして、どうしてなんだよ!」
有理「戻るんですか…?」
樒果「明らかに能力が彼のコントロール下から離れてる、でも能力暴走じゃなくて彼の意思で動いている。」
光隆「つまり、掛瑠は自殺したいと思っているのか?」
興一「当たってほしくない推察だけど、当たってしまってる様だ…」
有理「どうやったら、解除できるんですか?」
樒果「死んでもなお能力の効果は残る、そして基本的に精神が能力作用の引き金になっている。三次元空間に干渉する際に肉体が存在しないと能力は顕現しない、だから肉体が機能停止したら…もう引き返せない。」
有理「解除法を知りたいんです」
樒果「それを、今から探すの。」
有理「そんな悠長な!」
興一「僕らもこんな状況は初めてだ。だが必ず…」
彼は有理に一瞥するも、何かノートを見ながら考え事を始めた。掛瑠の枕元には、謎のタヌキの様なぬいぐるみがあった。
光隆「これ、シマエナガのぬいぐるみ…あれ、何か入ってる。」
光隆はシマエナガが左腕に抱えている袋の中からUSBを取り出すと、興一に見せる。
興一「掛瑠のノートを見せて貰ったが、これを合わせると完全版か…」
有理「それよりも、掛瑠が…」
樒果「ダウンロード完了。これは…」
有理「何…これ?」
すぐに有理が駆け寄ると、殆ど興一が持っているノートの画像が映し出されるもその1番最後に彼の心情が書き記されたものがあった。それは、裏紙に殴り書きされていたもので彼の悲痛な叫びが記されていた。
……………
……
※以降、掛瑠の心境(閲覧注意)。このページを飛ばしても大丈夫な構成の為、飛ばすことを推奨します。
ただ、虚しい。築いてきたものを一瞬で瓦解する、させてしまう。諸行無常とはこの事だろうか。生まれてこの方なるべく真面目に、当たり前のことを当たり前にやろうとしてきた。
されども、この「少しでも想定外の事案が発生すると錯乱し攻撃的になる」と言う難儀な、癇癪と言おうこの性格を恨まなかった日はない。
そのせいで友人と不和になるし、これまで友人と見做してくれた人間は離れていった。
そんなある時、自分は有理が愚か者共に詰め寄られているのを目撃した。目立つ白髪でかつ学級委員長だった有理を、校則違反と言い掛かりをして責め立てた。
生まれつきのそれを、侮辱するとはなんたる事だ。これまで自分の癇癪で暴力を振るっては後悔していたが、兼ねてから付き合いのある有理を守る為に力を行使してしまった。
そこから、かの愚か者共…賊徒に暴行を受ける日々が続く。テスト中にカンニングの嫌疑を掛けられたり、池に突き落とされたりと自分に対して肉体的・精神的暴行を行なって来た、何故かそこに関係者であろう汚い大人も混じっていた。
更に教師に助けを求めるも、面倒事を避けてか邪険に扱って来た。
我慢ならなかった、自分と同年代の餓鬼は自分たちの「ノリ」とやらに乗ってくれない奴は排除すると言う姿勢を、さも当然とする。更に教師も、そんな教室を「仲のいい教室」と評価する。
所詮この世は上っ面だけの体裁と、美辞麗句にて成り立っていると言って過言ではない。それを作っているのは、あの愚か者共なのだと気付いたのは随分後だ。
あの時の自分は我慢ならず、教師すらも特殊能力を用いてぶん殴った。暴行を行なって来た汚い大人のガキ共へも能力を行使した。殺しはしなかったが幾人かを怪我させた。その様子を、兄さんに見せてしまった。
これまで、せめて兄さんの前では気丈で居たかった。あの輝きを曇らせる様な事はしたくなかった。だから有理や光音さんにもこの件を隠して貰っていた。
例の事件にて、特殊能力による被害が大きいからと「海護財団」なる組織がこの一件の事後処理を行った挙句、弘明寺エリアの再開発として小学校は廃校となった。
そして、新しく移った八景の学校は平穏そのものだった。前の学校の様な酷いことは起きていない、兄さんも光音さんも、そして有理も幸せそうだ。
そのような場所に、場を穢す存在が居たらまたみんなの居場所が苦しいものになる。ならばこそ、自分は彼らとなるべく関わらずに腐り果てるしかない。
だけど、母はこんな存在に対して食料と住む場所を与え続けた。有理も、学校の話をしてくれた。そして2人は勉強をしている所を見せると安心した様で、せめて自分が居る間はその安心を守りたかった。
それを崩す事になるからと、自分の僅かに残っていたものが死ぬのを延期させた。だが、これを認めたのは決心がついたからだ。これ以上彼らの負担になってはいけない。だから、自害する事に。
最終更新日時:2046年4月5日 AM7:24
…………
……
有理「これ、初登校日の朝だ。私がチェーンソーで天井こじ開ける10分前の更新…?」
樒果「何の因果…?」
有理と樒果が問答してる中、光隆は掛瑠の腹部にウマ乗りになり身体を揺さぶった。
光隆「おーきーろ!」
掛瑠「…」
光隆「お前…面と向かって話すのは、思ったより久々だな。せめて俺に、面と向って…」
掛瑠の身体が少しピクリと動いたと思ったその瞬間、光隆は突如冷気により吹っ飛ばされた。
光隆「痛え…って信之?」
信之「だ、大丈夫です。」
光音「精神…いや、流石に厳しい。興一さん、知り合いに心の中に入れる力を持ってる人って居ますか?」
興一「居る、そこに1人。」
興一は信之を指さすと、信之へと歩み寄る。
興一「心の海が見えたんだよな?」
信之「は、はい…」
興一「それは、少しでも彼らの心の中に入ってしまった時に見えるものらしい。僕の友人の話だけど。」
信之「そ、そうなんですか?」
興一「頼む。この通りだ、彼を救ってくれ」
信之「救うったってどうやって?僕が入り込んでも恐らく変わらないと思います」
興一「樒果、彼のハザードクラスは?」
樒果「2.0、精神感応系としては充分よ」
興一「あの時のあいつみたいな感じか…よし分かった」
興一はそう言うと信之と光隆を連れ掛瑠の枕元へと向かう。
興一「信之くんは掛瑠の頭に手を添えながら、光隆は信之の手を握れ!」
光隆「分かった!」
樒果「まさかあれをする気?」
興一「一か八かだ、前にやった経験はある。信之くんの能力効果で光隆を掛瑠の精神世界へと送る。」
それを行おうとする前に、有理が制止を加える。
有理「待って、光隆。」
光隆「有理?」
有理「私に先に行かせて。光隆が行ったら、多分呑まれる。そうなった時の光音や景治は何をしでかすか分からない。だから先に…」
光隆「…分かった、先に行かせてやる」
有理「信之さん、お願いします!」
信之「わ、分かりました!」
刹那、信之の周囲にオーラが発せられ有理は突然倒れ込んでしまった。
………
気づくと有理は一面の氷原の上に居た。夜空には一つの大きな灯りが見えていたがそれも分厚い雲に隠れていた。そのほかの星も、視力が桁違いの彼女であろうと全く見えない。
「ここが掛瑠の心の海?雲は月を隠すていどしか無いのに、何で星が見えないの…っていやそんな事考えている場合ではないか、掛瑠を探そう。」
雪が積もる雪原の上を、有理はただ歩いた。氷や雪が溶ける事はなく、ただ虚無な空間にザクザクとした音が反響していた。
「これ…は?」
足元にはいつの間にか丸い氷塊が幾つも存在するエリアへと、彼女は踏み入れてしまっていた。だが、その遥か奥の方に一つだけほのかに光を放つ氷塊を見た。
「あれが、掛ちゃんだ」
謎の確信に突き動かされた有理は、ひたすらにそれへと向かい走る。そして、ようやく辿り着いた有理は氷塊を持ち上げる。
「ようやく、見つけたよ。」
だが氷塊は彼女の手から滑り落ち足へと落下する。
「痛い、でも貴方はもっと痛かったはず。分かるよ、傷付きたくない、裏切られたくないって事。」
彼女の足に氷柱が突き刺さる。そしてうめきの奔流と共に、彼の悲痛な叫びが有理の身体を伝ってゆく。
「そう、思ったとしても…貴方は、私の…」
「いいや、俺たちのだ」
目の前に現れたのは光隆と光音だった。光音は槍で氷柱を切ると、治癒の効果のあるお湯を有理の足へと放射する。
そして光隆は氷の玉に向き合った。
光隆「俺はお前の兄貴だ、掛瑠は俺の大切な弟だ。だから…」
掛瑠「どこも真田兄弟や島津四兄弟の様にうまく行く訳がない、現代だって親の遺産で揉める。裏切らないなんて、今はそうだとしても未来までは保証できない。」
光音「光隆が裏切るわけ無いでしょう、もしこの件を伝えてたら敵さんを轢き肉にしてた。それ程に光隆は掛瑠の事を大事に思ってた。少し羨ましいよ、私は…」
光隆「当たり前だ、俺の弟と大切な親友。どっちも守るし助けるに決まってるだろ。俺の事を甘く見るなよ、二度とこんなオオゴトを俺に隠すなよ。」
掛瑠「…」
光隆「ここまで言っても信じてくれないのか?なら俺がもし掛瑠を裏切るなんて事なったら、俺の事煮るなり焼くなり好きにしろ。」
光音「光隆、ちょっと」
光隆「だからお前はここに居ていいんだ、お前が深海に沈んで消えようとするなら俺が海流になってお前を引き揚げる。だから」
掛瑠「…!」
光隆「お前は俺の、氷山になれ!」
これまでずっと、自分の存在が否定されていた方がみんなのためだと思っていた。でもそれは違った。そう、心からわからせられた。
掛瑠「ここに居て、いいの」
光隆「当たり前だ‼️」
刹那氷の玉がみるみるうちに掛瑠の姿へと戻ってゆく。
掛瑠「兄さん…有理」
有理「掛瑠!」
光音「光隆のたからもの…羨ましいよ」
掛瑠「兄さん、ありがとう」
光隆「みんな待ってるぞ、浮上しようぜ」
………
信之「戻ってきました」
興一「…良かった、本当に良かった」
樒果「身体も、あと一時間すれば四肢は元通りになる。」
興一「信之くん、恩に着る。」
信之「いいですって、困った時はお互い様ですから。」
雑魚寝状態の彼らに興一が布団をかけた。
興一「一時間後に起こすとはいえ、冷えてしまったら困るからね…。さて、ひもかわうどん…いや、おっきりこみ10人前を頂こうか」
信之「支配人に言って準備しま…って何で10人?」
興一「もう一、二名、追加で宿泊する事になりそうなんだ。」
信之「わ、分かりました!」
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