兵たちの午後
梅緒連寸
兵たちの午後
『ーー聞こえますか?こちら
『応答願う。顎蟻隊、
『頼む、誰か生きてたら、返事してくれ。誰でもいい。誰か……』
こちら顎蟻隊。応答求む、どうぞ。
『ああ!よかった……誰もかれも死んでしまったかと……』
こちらもまだ生存者が残っているとは思っていなかった。状況どうぞ。
『こちら羽蟻隊、人員は今確認できる限り俺1人だけだ。先の大規模爆撃により倒壊した建物の隙間に挟まれている。少しずつだがずっと血が止まらない。自力での歩行はほぼ不可能だ。救援求む、どうぞ』
こちら顎蟻隊。ところであんた、今目を覚ましたのか?どうぞ。
『こちら羽蟻隊。そうだが、何か……』
攻撃作戦が終了し現存部隊が撤退してから既に30時間以上経過している。おそらくこの前線は放棄されているため救援は来ないものと予測される。どうぞ。
『………嘘だろ?』
嘘だったらよかったよな。
せっかく生き残ったかと思ったら、数日死に損なっただけだ。
『あんたはなんでここに残ってる?』
俺も気を失ってたんだよ。気が付いたら1人になってた。誰にも通信は繋がらなかったから、もしかしたら部隊の連中は皆死んだのかもな。
『…………。でも、ここから何十キロか先に村があったろ。そこまで行けば助けを呼べるんじゃ』
俺の太腿を9mm弾が貫通してる。出来る限りの止血はしたんだが血が止まる様子はない。骨も折れたから立って歩くのは無理だ。痛み止めは山ほど飲んだが、気休めにしかならないもんだな。こういう時のために他の連中はクスリ持ってたんだ。俺も持っときゃ良かった。
『………そうだな。持っておけば良かったんだよ。だんだん痛みがマシになってくるから』
はは。アンタは今ちょうど恩恵に預かってる訳か。
『目が覚めたとき、自分の悲鳴で起きたのかと思ったよ。信じられないくらい痛くて、無我夢中で打った。じゃなきゃこんな風に喋れもしなかっただろうな。多分瓦礫に下敷きになった足が潰れてるんだ。クスリが切れた時の事を想像すると吐き気がするよ』
お互い最悪の状況で詰んでるって事だな。
『象軍の連中はまだ残っているかな。あんたのいる場所からは見えないのか』
ああ。残念ながら俺も建物の隙間にいるから、よく見えないんだ。
『最悪だな。死ぬまで虫みたいに物陰に隠れてなきゃならないのか。自殺する銃まで失くしたしよ。クスリだけじゃなく毒も持っておけばよかった』
あんた、瓦礫からどうにかして出てこれないのか。
『無茶言うなよ……完全に挟まってるし、腕だって全開には動かせない狭さなんだぜ。俺の足の上に乗っかってるもんがもう少し軽くなってくれればいいんだが。』
やれやれ。俺たちはこのまま餓死するのを待つしかないのか。いや、失血か痛みでそのまま気絶かショック死するかな?
『そういやずっと食ってねえな。でもここ数日砂を吸い続けたから喉も痛いし、食欲の方はさっぱりだ。これもクスリの影響かな。ハァ。食い物はいいから、カツラムグリ茶が飲みたい』
なんだそれ。
『知らないのか?カツラムグリの花から採れる蜜を茶に溶かすんだよ。まあ、あの花は俺の地方でしか食わないらしいからな……とにかく、カツラムグリっていう花があるんだよ。その辺の道端でも咲いてる。そいつは春の早い時期に花をつけるから、頭の花をまとめて摘んで、鍋いっぱいに煮込んで、その後に砂糖を加えてまた煮詰めるんだ。ひたすら。延々と』
随分根気のいる作業だな。
『俺の母親なんか、夜も寝ずにひたすら鍋をかき回し続けてたよ。そうしてやっと出来上がるのがほんのちょっと蜜になるんだが、これが子供にはたまらない甘さなんだ。でも出来上がった分はすぐに瓶詰めにして、市場で売っちゃうんだよ』
じゃあ子供は食べられないじゃないか。
『俺の家は貧しかったから、売り物に手を出したらぶん殴られたよ。でも、それでも楽しみがなかった訳じゃない。蜜を煮詰めた後の鍋があるだろ。そいつを使って湯を沸かすと、ほんのり甘い白湯になるんだ。貧乏臭いだろ。本当のカツラムグリ茶はちゃんとした茶葉で淹れた茶に蜜を溶かしたもののことを言うんだ。でも俺と妹はその薄い味の湯をみんなが飲んでるお茶と同じだと思って、春1番の楽しみにしてたんだ』
あんた、妹がいるんだ。
『いい年頃になったのに未だに男1人も作らず、朝も夜も田舎で母親の手伝いに明け暮れてるよ。なあ、俺たちが死んだ時の補償金って家族にどれぐらい入るんだっけ。あいつが街に出て行けるくらいの金にはなるのかな』
あーー…… どうだったかな。忘れちまった。
『どうせ大した額じゃないだろうけど、せめて少しでもマシな事に使ってもらえたらな。でもあいつ、泣くだろうな』
そりゃそうだ。家族が無事に帰ってくる事以外に代えられるものなんてないだろうからな。
『はは。未だに妹を泣かせるなんてひどい兄貴だよな。でも軍に志願した頃の俺は、そんな事どうだって良かったんだ。今こうして死にかけてるから感傷的になってるだけで普段なら家族が悲しむ事なんて気にもとめない。今まで殺してきた奴にも家族がいる事は分かってるけど、それにも大して思うことはないんだ、本当は。志願したのは退役後に使えるまとまった金が欲しかったからだった。でも最近は金勘定も面倒になってきた』
大体みんなそうだよ。だからあんたはマトモってことだ。最初の理由はどうあれ、戦場に長くいればどうやって生きのびるか、死ぬ確率を下げる為にどれだけ殺せばいいのかだけを考えるようになる。
それが出来ない奴から死んでいくんだ。だから適応したあんたはマトモってことだよ。
『ははは。だったらマトモなうちに死ねるだけまだマシかな。それにしても……死ぬ前っていうのは、やっぱり走馬灯が巡るものなんだな。カツラムグリの茶のことなんてもう十何年ぶりに思い出したよ。自分でも驚いてる。あんなもので満足できていれば、誰もこんな所には来なくて済んだろうにな』
どうかな。俺はガキの頃は外国に住んでたけどそこじゃ随分虐められて、そいつらの中でも1番貧しい奴らのする事が最も酷かった。人種の違う人間が他所から来て、自分達よりいい暮らしをしてるのがよっぽど目障りだったんだろうな。
どこに行っても人間なんかそう大して変わらんだろう。一時の満足なんかただの錯覚だ。自分を納得させたいだけだ。そんなものはもっと上を知ればすぐに足りなくなる。俺をボコボコにした奴らもきっと、よそ者さえ現れなければ自分がそこそこマシな境遇だと思って満足できてたんだろうよ。
『…………………………………………』
悪いな。喋り過ぎた。なにもこんな時に話すことでもないな。
『…………………………………………』
おい。どうした?
『う、ううっ……クソ、もう効果が切れてきた……頭が痛くて吐きそうだ』
もうないのか、クスリ。
『はは………こんなもんいくらあっても良いんだから、もっと持っておきゃ良かった。ああ、息が苦しい。苦しい。苦しい。このまま死ぬのは嫌だ。せめてこんな所から出たい。嫌だ、ここで死ぬのは。嫌だ……』
落ち着け。興奮すると酸素を余計消費するぞ。
『もういいや、もういい、象軍に見つかってもいい、どうせ死ぬなら空の下の方がいい、嫌だ、ここは嫌だ』
おい、暴れてるのか?落ち着け、俺の声聞こえてるか?
『…………………………………………』
……なんだ、今の音。大丈夫か?すごい物音がしたぞ。
『…………………なんだ?なにが起こった?』
こっちの台詞だ。
『ちょっと待ってくれ、なんだか……体が動くぞ。軽くなった!俺の上に乗ってたもんが滑り落ちたみたいだ!ああ、やった、ようやく抜け出せた!』
瓦礫が崩れたのか?なんて運の奴だ。
……ああ、なるほど。辺り一帯が崩落を起こしたみたいだな。おい、あんまり声を上げると見つかるぞ。
『いいんだよ。もう、どうせ助かりはしないだろうけど、さっきよりはいいんだ。それにもうこれだけ時間が経ったんだ。他の連中が死んだなら、象軍だってそろそろ引き上げてる頃合いだろ』
そうかもしれないな。なあ、太陽がどの位置にあるのかわかるか。俺の時計が壊れてるから、時間を知りたいんだ。
『ああ、太陽は…俺がいるところからあの辺にあるから、今はだいたい15時ぐらいか?眩しいな』
ありがとう。
『なあ、あんたがいるのはどこなんだっけ?そこまで向かうのは無理かもしれないけど、せめて見』
血を流しすぎた身体に、撃ち慣れた狙撃銃の反動が響いて骨が軋んだ。
スコープ越しに見えた奴の姿は豆粒みたいに小さかったのに、何故か顔まではっきり見えたような錯覚がした。
打って変わって静まり返った無線機はノイズを発している。電源を切り、傾いたビルの屋上から放り投げた。
ついでに牙の生えた象のステッカーが貼られたヘルメットも投げ捨てた。
装備を捨てて身軽になったついで、どうせなら空を仰いで寝そべりたかったが、破片の突き刺さった背中では俯せの姿勢しか取ることができない。地平線まで広がる砂と半壊の建物と瓦礫の世界。
最初からそう決めていた訳じゃない。
俺は偶然あのうるさい無線で目を覚ました。そうじゃなきゃ今ごろはゆっくり眠るように死ねていたのかもしれない。
蟻軍の連中が持つ無線がたまたま生きた状態で転がっていた。俺はガキの頃に覚えた蟻軍の国の言葉が使えた。クスリでラリったあいつは俺を疑いもしなかった。
偶然に偶然が重なり続けた結果、生き残りの運が底を尽いた。建物が自重で崩れ、砂煙が舞う中でひょっこりと蟻軍の制服を着た男が這い出てきたのが目に入った瞬間、体は勝手に動いた。
俺が這いずるビルの屋上からちょうど狙える位置にあり、かつ俺が太陽を背負う位置関係にあった。これが最後の偶然であいつにとっての不運だ。
俺は最後まで仕事をしなければならなかった。へんぴな田舎の子供が黒い鼻血を出して転がっているのを見た時も、丸腰でうずくまる無抵抗な人間に使う銃弾を無駄にしないように脳幹を狙い続けた時も、真っ黒に焼け焦げて敵だか味方だかわからなくなった兵士を見た時も、仕事だけが俺の支えだった。仕事をしなければ生きていられなかった。
「それにしても、あいつこんなものが見たかったのか」
うつ伏せになったまま顔を横に向ける。天と地が縦になり交わらず広がる。そうしたままでいると上下の感覚を失い、こんな日に限って天気がいい空へ真っ逆さまに落ちていきそうな気がした。
この戦争はいつまで続くのか、勝つのはどっちか、負けた側はどうなるのか、死後の世界はあるのか、あいつは本当にラリっていたのか、考えたいことはいくつもあった。けれど血の抜けた頭はそこまで動いちゃくれなくて、名前も知らない花の茶の味を思い浮かべることしかできない。
兵たちの午後 梅緒連寸 @violence_
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