雑音


 それを見つけたのは本当に偶然だった。

 私、出水仁之でみず ひとしは、賃貸マンション1階部分で小さな雑貨屋を営んでいる。

 そんな私がそれと出会ったのは、定休日に買い出しに出た帰りだった。最寄りのスーパーで食材や生活用品を買い込んだ私は、買い物袋を手に帰路についていた。普段と変わらぬ閑静な通りを歩いていた私は、見るともなしに眺めていたアンティークショップのウィンドウの一角で足を止めた。


「これは…」


 それは大層な年季を漂わせている古いラジオだった。

 

 

             ☆

 

 

 その日の夜、入浴と食事を済ませた私は年甲斐もなく胸を弾ませながら件のラジオの前に座っていた。

 あの時、ラジオに対してほとんど一目惚れ同然の気持ちを抱いた私はその購入を即断していた。

 

 私がこのラジオにここまで熱を上げるのには、もちろん理由がある。それは、これが私が働いて稼いだお金で初めて購入したラジオと同じ物だったからだ。

 

 


 私の生家は大家族で、中でも末の方に生まれた私には、自分の物、という物と縁が無かった。服にしろおもちゃにしろ基本は兄や姉からのお下がりであり、それ故に、独立することへの憧れも自然と育っていった。

 そして、高校に上がった私は当然のようにアルバイトを始め、そこで得た給与3か月分を、かねてより買いたいと思っていたラジオを購入したのだ。

 今の若い人たちにはピンとこないだろうが、携帯もネットも普及していなかった当時は学生にとっての憧れのアイテムだったのだ。

 それほどのものを、同級生たちが親から買い与えられている中、自分の力だけで手に入れたそのラジオへの思い入れはとにかく深かった。

 しかし、そこまで熱を上げていたラジオとの別れもまた唐突だった。

 高校を卒業して大学に通うために上京した矢先に、下宿先のアパートが火事に遭った。幸いと言うべきか、私が外出している時の出来事だったためケガなどは無かったのだが、反面、家財道具の一つも持ち出すことが出来ず、全て焼失したのだ。

 幸いアルバイト先の店主が気を利かせて彼の店舗兼住宅に下宿させてもらうことができたため、路頭に迷うようなことは無かった。それからはなし崩し的に店の手伝いに駆り出され、色々とすったもんだあったのだが、今その話をする必要は無いだろう。

 

 

 

 改めて触れてみたラジオは、重さといい肌触りといい、まさに当時の物そのものだった。

 最後に触れたのはもうずいぶん前になるというのに、当時の記憶が次々蘇ってくることに感激してしまう。 


「壊れているという話でしたが…」

 

 購入時に店主が言うには、電源は入るものの音の方の調子が良くないらしい。


「スイッチは……ああ、これですね」


 表面に並んだスイッチの一つを軽く押すと、すぐにラジオ特有のくぐもった小さなノイズが流れ出した。逸る気持ちを抑えて摘みを回し、今度は周波数合わせを試みる、古い摘みはいささかがたつきはあったものの…


『―――というわけで、行ってみましょう! みかんさんで“冬色”!…』


「やった…!」


 こちらも比較的すんなりと合わせることができた。期待以上の成果に私は薄暗いダイニングで一人ガッツポーズを決めてしまった。

 それからは摘みを回して他の局に次々と繋いでいった。嬉しいことに、既存のラジオ局で繋がらないところもなく、こちらも問題は無いようだった。

 一通り終えた私は再び最初の局に戻し流れてくる音楽にしばし聞き入っていた。

 

 せっかくだから、今日はこのまま残った雑務を片付けてしまおうと思い立ち、帳簿を取り出してきて腰掛ける。そのまま、ラジオから聞こえる軽快な音楽をお供に仕事を始めた。


『この白く暗い下り坂を〜、君と自転車を二人で押しながら〜』


 流れているのは有名なフォークデュオのヒットソングで、ファンでなくとも口ずさめる程度には認知度があるものだ。


『ブレーキ一杯握りしめて〜、ゆっ…くり〜ゆっくり…ぃ降ってく〜』


「……?」


 上機嫌で聞いている中で、不意に微かなノイズが混ざった気がした。



             ☆



―――翌日の営業日。


「1280円、ちょうどお受け取りいたしました。こちら、商品になります」


 支払いを確認した私は、お客様である若い女性に紙袋に包装した小物雑貨を渡す。

 それを受け取った女性は軽い会釈を返しながら友人と共に店の出入り口へと向かった。


「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」


 その背中に向かって私が頭を下げ送り出した。

 と―――


「店長、裏の棚卸終わりました」


 店のバックヤードで在庫の管理をしてくれていたアルバイトの女子高生、優里が顔を出した。


「お疲れ様です優里さん。大丈夫そうでしたか?」


「ばっちりです。ところで店長、来たときから気になってたんですけど、そのラジオどうしたんですか?」


 カウンターに入ってきた優里が視線を向ける先には、昨日私が買ったラジオが置いてある。無論、ここに持ってきたのは私で、電源の入ったそれは店の中に緩やかな音楽を奏でていた。


「古いけど、お洒落で素敵なラジオですね」


「でしょう。私の思い出の品なんです」


「へぇ〜」


 そう言いながら試すがめつラジオを見回す優里は興味津々の様子で、思いの外彼女のストライクゾーンにヒットしたらしい。


「ん? なんだろ、ノイズ…? 変な音が混ざった気がしたけど…」


 優里が怪訝そうに覗き込んだラジオからは、穏やかなBGMの間に確かにノイズが混ざっているようだった。


「ああそれは、元々故障しているものだったらしいんです」


「なるほどー。でもすごくいいですね。私結構気に入ったかもです」


「ええ、本当に拾い物でした」


 満足げな私に優里も頷いてくれる。と、


「こんにちはー」「すいません、表の小物入れなんですけど…」


 どうやらお客さんが来たらしい。


「「いらっしゃいませー」」


 私と優里は一旦ラジオのことは置いてお客さんへの対応に気持ちを切り替えた。



             ☆



 その日の夜。店を閉め、アルバイトも返した店で私は締めの作業をしていた。

 カウンターを照らす小さな照明の下で一人ノートPCと向き合う私は、相も変わらずラジオをお供にしている。

 

『なんだろ、ノイズ…?』


 不意に優里の言葉が蘇る。

 なんとなく、首を傾げていた彼女の様子が喉に刺さった小骨のように引っ掛かっていた。

 あまり気になっていなかったはずのノイズが妙に耳にこびり付いて離れないのだ。


『ラジオネーム“朝からTKG”さん、あり…とうございまし…!続いて―――』


 気のせいかもしれないが、以前よりも混ざる頻度も増え、音も大きくなっているような気がする。


「…やっぱり故障は故障ということなんでしょうか」


 思わぬ掘り出し物が見つかったという嬉しさがあったため、一度気になってしまった欠陥が余計に気になるようになってしまったのかもしれない。


「――今は気にしても仕方がありませんね」


 なんにせよ、気持ち次第で無視できていた音なのだ。

 気持ちを切り替えるように声に出すと、再び手元の仕事に戻る。


『それでは行ってみましょう! 本日の……クスクス…コーナー! 全国…らいつも放送を聞いてくれている―――』


「今、何か…?」


 意識を他へ移した隙を見計らったように、それまでのノイズとは違う音が聞こえて思わずラジオを見る。


『ではま…最初のお電話です! ど…な方とお話できるのでしょうか―――』


 しかし聞こえるのはいつものノイズだけで、他に変わった様子もない。

 気のせいか、とどこか納得のいかない気持ちを抱えながらもそのまま再び仕事に戻った。


 結局その日はいつもと変わったことは何も起こらなかった。

 

 

             ☆

 

 

 深夜の寝室。とっくの昔に床についていた私は、妙な違和感を感じて目が覚めた。

 波のようにやってくる眠気と戦いながらベッドから体を起こすと、確かに寝室のどこかからか聞き覚えのない音がさざめきのように聞こえる。


『…………クスクス……フフフフフフ……』 


それは笑い声だった。

 まるで人目を憚るように圧し殺したささやかな嘲笑が、どのからともなく聞こえてくる。


「一体何が……っ!」


 暗い寝室を見回した私は、すぐに音の出所を見つけることができた。いや、何となく察していたのかもしれない。

 月明かりに照らし出された机の上に、電源を入れた記憶のないラジオが赤い電源ランプを光らせ浮かび上がっていた。

 ひび割れた薄笑いは、明らかにそのスピーカーから流れてきていた。

 それまで明確な形を伴わないノイズだったものが、明らかな笑い声へと変わったのだ。

 これは現実なのか夢なのか、それすらも曖昧になるほど気味の悪い光景に、私は一度に血の気が引き、冷水を被せられたかのように目が覚めてしまった。

 慌ててベッドから出た私はすぐに電源のスイッチをオフにすると、逃げ込むようにして再びベッドに飛び込んだ。

 

 

             ☆

 

 

「店長、最近顔色悪くありません?」


「ああそれが、ここのところよく眠れてなくて…」


 あれからおよそ一週間。深夜にラジオが点いて以降、就寝中に不意に電源が入り、叩き起こされることが度々あった。 最近はそれが夢での出来事なのか、現実での出来事なのかも区別がつかなくなってきており、若干ノイローゼ気味になっていた。


「んー、なんか急に疲れが出てきましたよね。お仕事に根詰めすぎなんじゃ無いですか?」


「あはは…、そうかもしれません」


「そうですよ。せっかくラジオがあるんだから、音楽でも聞いてリラックスしましょう?」


 彼女の視線の先には、今も音楽を奏でているラジオがある。



『―――この前友達と服を買いに行っ……クスクス…そのお店に…クスクスクス…』


「っ!?」


 ノイズに混じって聞こえてきた気味の悪い音に、私は反射的にラジオの電源を切ってしまった。


「わ、びっくりした。どうしたんですか?」


「い、いや、ちょっと嫌な感じがして…」


「嫌な感じって…まあ確かにこの雑音はちょっと気になりますけどね」


 怪訝そうな優里の様子から察するに、今の私は相当に酷い顔をしているのだろう。額を伝う汗の冷たさから、自分が青ざめていることも理解できていた。


 ここのところ、以前まではノイズのようだったそれが、明らかに人の笑い声のよう聴こえてきていた。

 はじめは気にしないようしようと努め、そのまま流し続けていたのだが、そう思えばそう思うほどに耳につくようになる。今ではせっかく電源を入れても、結局消している時間の方が長い、という状況になってしまっていた。

 

「店長…。やっぱり気になるんですね。私には雑音しか聞こえないんですけど…」


 心配そうにこちらを覗き込む優里。ここのところの私の様子から、何となくこのラジオに原因があることは察していたのだろう。


心配そうな優里の視線の先には、件のラジオが棚の上で静かに佇んでいる。


「ええ…まあ。色々試したんですが、いまいち改善してくれず。今は電池を抜いて動かないようにしてあります」


 残念ですが、と付け加えた私の声は、思っている以上に生気が感じられなかった。


「そうだ、一度ラジオを修理に出してみるのはどうですか? 調べてみたら、案外あっさり直っちゃうかもしれませんし」


「修理ですか。…そうですね」


 アルバイトの少女にここまで言わせてしまっている現状に情けなくなってしまう。よく考えてみれば、ひょっとしたら気味の悪いことなんてなく、ただの故障によるものかもしれないのだ。修理、考えてみてもいいかもしれない。



             ☆



「一度バラしてみたんですが、スピーカーの部品と電源系統に問題があるみたいでした。幸い替えのパーツもあったので、しっかり直りましたよ」


「ありがとうございます!」


 優里の勧めもあり、結局私はあのラジオを修理に出すことにした。

 今日は修理完了の知らせを受け、約一週間ぶりに修理屋を訪れていたのだ。


 そして驚くことに、気味の悪い不具合の正体は意外なほどあっさりと判明してしまった。


「ありがとうございます! 不具合だったんですね」


「はい。まあ古い型ですから、けっこう起こりますよ」


「そうなんですね。いや、良かったです…」


 喜ぶ私の様子がうれしかったようで、修理屋の店主も顔もほころばせる。


「よろしければ電源を入れて確認していきますか?」


「是非!」


 その申し出に、私は一も二も無く頷く。

 それを受けた店主は手早く電池を取り出し、ラジオに収めた。


「どうぞ」


 促され、私は電源のスイッチを押す。


『――――FM“FUZI”本日も始まりました―――』


「おお!!」


 一瞬の間を置いて流れ出した音は、明らかに良くなっていた。以前のような雑音が混ざることもなく、ましてや気味の悪い音も聞こえない。むしろ新品同様と言っても差し支えない状態だった。


「不具合の見られるパーツは全て新品に替えましたから、しばらくは使い続けることができると思いますよ」


「ありがとうございます」


 礼を言いながらも、私はついつい楽しくなって摘みを回してしまう。ラジオの方も好調で各局の放送を問題なく流し続けていたのだが、それが不意に何も発さなくなる


「おや、この周波数は――」


休止中かな?と、首を傾げた時だった。


『……クス………クスクス……』


 また、あの音が鳴り始めたのだ。


『クスクスクス…クスクスクスクス――』


「そんな…」


 私は反射的に電源をオフにしてしまう。

 幸い電源は素直に切れ、ほっと息を吐いた。


「大丈夫ですか?」


「え? いや…、ええ」


 店主は先の異変に気が付かなかったらしい。突然青い顔をしてラジオに飛び付いた私に怪訝そうな視線を向けてきている。

 私は深く息を吐いて激しく鼓動を打つ心臓をどうにか落ち着かせると、とりあえずこの場を取り繕うと口を開く、その時だった。


「……クスクス、そっちじゃないよ」


 聞こえないはずのあの声が、はっきりと私の耳元で囁いたのだ

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