筋肉+疲労=やりがい搾取。

「すごいわ……これが、画家様の描いた『似顔絵』ってものなのね」


 宿屋の受付裏にある小部屋で、先程三宅が描いたアレックスの似顔絵をマイアがじっくりと眺めている。


 その裏では三宅がバインダーに挟んだ羊皮紙に指を走らせながら、顔を晒して奥に座るナルの似顔絵を描いていた。それを横切るように、アレックスがマイアに近付いて話しかける。


「悪いなマイア、宿屋に獣人を匿う事になっちまって」

「いいのよ。この宿は昔、優しい獣人さんがよく利用してたって、生前の両親が話していてね。私には苦手意識無が、元々ないから」

「……そうか。それに比べて、俺は——」

「無理しなくていいのよ、アレックス。少しずつ……ゆっくり、許せる所を見つけていけばいいから」

「……。頑張ってみるよ、マイア」


 夫であるアレックスの肩を優しく撫でる妻のマイア。確かな愛情で結ばれた夫婦仲を三宅は耳で感じながら、目の前にいるナルの似顔絵を描き進めていく。


「お姉ちゃん」


 ワクワクして絵の完成を待ち望むナルだが、ずっと三宅と顔を合わせているせいか、ある疑問を素直に口にした。


「おこってたり……する?」

「怒ってないよ。ごめんね、私は元々無愛想な顔だから、もしかして怖いかな?」

「ううん、だいじょーぶ!」


 ナルは事実確認が取れればそれでいいのか、再び三宅に笑みを送りながら大人しく座った。そんなやり取りを見ていたアレックスは、似顔絵を書き進める三宅の背後に立った。


「ほーらみろ、子供にまで言われてんじゃねえかよ。ミャーケは絵はうめぇが、表情が下手くそなんだよなぁ〜」

「そういうのを四文字で表すと、毀誉褒貶きよほうへんっていうんです」

「だいたいなんだよ、その四文字で表すと〜的な奴は! キヨホーヘーンって、四文字じゃねぇじゃんッ」

「これは私にとって、至福の一服のようなものです。或いは心と思考を包む煙幕、自身を知的にする言葉の薄化粧……」

「マジで何言ってんだコイツ……」

「こらこら、画家様の邪魔しちゃダメよ」


 絵を描く事に集中させようと、絡むアレックスをマイアが引き剥がす。彼女が気を利かせている事を背中から感じ取った三宅は、鼻で息を吐いた後に言った。


「いいですよ。いつも繁華街や複合商業施設を拠点に仕事していたので、騒がしい方が集中出来ます」

「ハーカガイ? フクゴーショギョシセチュ? まーたミャーケが、わけわからん事言ってるぞ……」

「まあまあ、アレックス。……そういえば、ミャーケさん。この街に住んでいる、ゴードン様っていう画家様の事はご存知かしら?」

「いいえ、全く存じません。ゴードン……確か、あなた達ご夫妻と、初めて会った時に上がったお名前でしたね」

「ええ。画家様って独自の魔法を持っているから、とても珍しい職種でね。その中でもゴードン様は、創造エイルクの達人と言われてる御方なの」


 三宅はナルの描画に色を足しながら、話に耳を傾ける。何気なく使っている絵を描く魔法、彼女はその能力ついて分からない事が多かった。


「なるほど……つまり、絵画界の巨匠というわけですか。——興味ありますね」

「なら、是非会ってみて欲しいわ。ただ——元々絵の依頼を断る人で、普段どこで暮らしているのか、分からないのよ……」

「つまり四文字で表すなら、風岸孤峭ふうがんこしょうという訳ですか。人目を避けているとなると、探すのには苦労しそうですね……」

「ゴードンおじさんなら、わたし知ってるよ!」


 困り果てる三宅とマイアの間に、ナルが元気よく挙手をする。すぐ側にある手掛かりを掴むため、三宅が尋ねた。


「それ、本当なの? ナルちゃん」

「うん! 街はあまり歩いちゃダメってママに言われててね、地下の道をよく通るんだ〜。そこにいるゴードンおじさんが、わたしに、絵をいつも見せてくれるの!」

「なる程な……獣人如きが絵に理解があるとか、おかしいと思ったら、そういう訳——」


 再び差別意識が漏れ出すアレックスを、大人二人が睨み付けた。彼はそれに押し負け、シュン……としょげる。


「ナルちゃん。ゴードンさんの所まで、私を案内できる?」

「うん、いいよ〜。でも今日はもう帰らないと、ママが心配しちゃうから、明日きてもいい?」

「大丈夫。今日と明日はこのお兄ちゃんが、街の入り口まで送り迎えしてくれるから、安心してね」

「はぁあッ⁉︎ 何で俺が!」

「あなたナルちゃんに乱暴した事、ちゃんとお詫びしたんですか?」

「ちょっと、つまみ上げただけだろ!」

「言い訳は無用です」


 三宅が突き付ける言葉に、アレックスは反抗出来なかった。ごもっともと分かっていても今まで抱いてきた嫌悪感を、そう簡単に脱ぎ去れないのだ。


「くうぅ……マ、マイア〜……」

「これも獣人の事を理解するため……ね?」

「……。分かったよ。だが、今日と明日の朝だけだからな!」


 流石に愛する嫁の頼みとあっては、断れない。アレックスは複雑な心境のまま、送り迎えを承認した。それを見届けて安心した三宅は、手元を再度確認する。ナルの似顔絵の完成だ。


「お待たせ、ナルちゃん。できたよ〜」

「ほんとー⁉︎ 見せて見せて!」


 ナルは椅子から飛び降りて、三宅のバインダーに飛び付いた。古びた羊皮紙に描かれたナルの似顔絵。今回はカートゥーン調のデザインを基盤に、印象を強める太線、愛着の湧きそうな笑顔をアクセントにして、子供に馴染みやすい絵柄で仕上げている。


「わーッ、すごーい! これわたしなの?」

「うん、そうだよ。気に入ってくれたかな」

「うん! すっごくかわいい!」


 素直に喜ぶナルを見て、久々に達成感を噛み締める三宅。どういう訳か、知らない異世界に来てしまったが、彼女の描き上げた似顔絵がまず一枚、この世界の住人に受け取られた。


 何度も自身の絵を眺めて、感激のあまり飛び跳ねるナルをじっくり見た後、三宅は背後でその様子を黙って見ていた夫婦に話しかけた。


「そちらのスケッチも、御二方に差し上げますよ。キャンバスなので、置くには邪魔かもしれませんが」

「えッ! マジかよミャーケ、これ貰っていいのか? じゃあ遠慮なく!」

「ダメよ、アレックス! ミャーケさん、画家様の描いた絵は、お城が買えてしまう程の金額が相場と聞いてます。……そんな、価値あるものを頂く訳には」

「いやいや。価値があるなら今頃、私はお城に住んでるはずですし」


 隣にいるアレックスは貰う気満々、三宅からは淡々とした返答の挟み撃ちに困ったマイアは断る言葉が頭から消えていく。正直言うと彼女も素敵な笑顔を浮かべる夫の似顔絵が欲しいのだろう、チラチラ見ては悩んでいる。


「……じゃあ、お言葉に甘えて——宿の受付に置かせて貰おうかしら」

「おーう、これで俺が、外の護衛で何日か戻れなくても、寂しくねーな!」

「ふふ……そうね」


 夫婦がお互いに笑顔を浮かべる所を見た後、三宅は目の前にいるナルの笑顔を見る。自身の絵がこんなにも人々の笑顔を作り出している『やりがい』が、彼女の指先から腕の筋肉まで、ジワリと浸透していく。


「久々です……こんなに手が疲れたのは」

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