笑えばいいと思うよ。
「そう、ナルちゃんっていうんだね」
三宅は不器用ながら、優しい表情を浮かべて獣人の子供を受け入れる。それを見ていたアレックスは、控えめな声量で強く説得した。
「おいミャーケ! 獣人の子供だ。このまま街に置いといたら、何するか分からないぞ!」
「絵を見せるだけです。その後は、私が責任をもって家まで送り届けますから」
「馬鹿野郎! 獣人の所に自ら行って、無事に帰して貰えると思ってんのか!」
「この場でナルちゃんが突き出されて、酷い目に遭う罪悪感を味わうくらいなら、送った先で獣人に殺される理不尽を私は選びます」
「マジかよ、ミャーケ……」
彼女の揺るがない意志に、アレックスは一歩後退りした。そんな彼を無視し、三宅はナルの手を引いて街の隅に作った即席アトリエに連れ出す。
「……」
ナルは貼り付けられた羊皮紙を、一枚一枚目で追う。そこには街の風景画が丁寧に描かれている。水彩画色鉛筆調の落ち着いた作風。デッサンと言えど、その手で瞬間そのものを切り取ったような仕上がりだ。
「どう? ナルちゃん、これが風景画だよ」
「すごぃ……」
フードの下から、ナルは目を輝かせて絵を眺める。誰かに絵を褒められるのが久々だった三宅は、口元で微かに笑うと、立てていたキャンバスのデッサンを
「お姉ちゃんが描く所、見てみたい?」
「見て、いいの?」
「全然いいよ。じゃあそこで座って見てて」
三宅は後ろの木箱に座るよう促す。元から近くで絵が見たかったナルは、持っていたカゴをキャンバスの横に置くと大人しく木箱に座った。
それを見届けた三宅は、足元にあるリンゴが入ったカゴを視界に入れた後、アレックスに向かって皮肉めいた事を言う。
「人の肉の味を覚えた狼と言いましたか。随分、さっぱりした果物を街で買うんですね」
「ミャーケは、獣人が嫌じゃないのか?」
「全然。見た目がどうあれ、ある程度意思疎通が取れるなら、問題ないですよ。私にとって、害かどうかは接してから判断します」
「俺は同族ってだけでも、嫌なんだよ……」
「あなたには、相応の理由がありますし、それでいいですよ。私が現状、違うだけです」
三宅はキャンバスと向かい合いながら、スラスラと指で何かを描いていく。それをしばらく傍観したアレックスは、後ろで座る獣人の子供を見る。
「……」
「私があなたと同じ境遇なら、きっと似たような嫌悪感を抱くのでしょう。ですけど……自分の手で、子供を不幸にするような事があるなら——あの毒親と同類に成り下がります」
それだけは絶対にあってはならないと、三宅は真剣な表情で何かを書き進めていく。幼い頃、両親に虐待され、見捨てられてしまった過去は、死んでも彼女から消える事は無い。
「もし、この子にも償わなければならない事があると、この世界が口を揃えて言うのなら……その現実に、私もこの子と一緒に向き合いますよ」
「ミャーケ……」
「人物画というのは、その方に個性があればあるほど深みが出ますしね」
三宅はいつもよりハイペースで、絵を描き進めていく。彼女が、撫でる様に描く指から表現される画材は『鉛筆』だ。
「できましたよ」
そしてキャンバスの絵は、三分足らずで完成した。三宅は後ろの木箱に座っているナルに対して、絵がよく見える様にその場を譲る。
「わあ……お姉ちゃん! これどうやって描いたの?」
「それは、こわーい騎士のお兄ちゃんが教えてくれますよ」
三宅は眼鏡をギラッと輝かせて、ナルの無邪気な疑問に対する回答をアレックスに振った。キャンバスの反対側にいる彼には、どんな絵が描いてあるか分からない。流石にこれ以上、
「これはな、
キャンバスに描かれた絵を見た瞬間、アレックスの全てが止まった。完成された作品を目に焼き付ける度に、眼球の白い面積が広がっていく。
「……。魔法……でな——」
アレックスの言葉が詰まる。無理もない、三宅が描き上げたキャンバスに存在しているのは、恐らく自身で確認するのが初めてであろう——。
「すごーい! お兄ちゃん、ずっと笑って無かったのにどうやって描いたのー⁉︎」
「この方は普段から、こういう顔ですからね。直接見なくても、イメージで十分模写出来ます。今の彼を四文字で表すなら——
見ているこっちが思わず笑ってしまいそうな、街中の人々に見せていたはずだった、満面の笑みを浮かべるアレックスのスケッチがそこにあった。絵柄も似顔絵師の特徴である太線で漫画調のものをしっかりと三宅は、キャンバスに描き起こしている。
「
「……」
三宅は言葉を失うアレックスを横目で見ながらそう言った。そこへ後ろから絵を見て
「すごい、すごーい! もう一人お兄ちゃんがここにいるみたーい!」
「ナルちゃんも、描いてあげよっか?」
「ほんとう⁉︎ でも、お金かかるよね……」
キャンバスを中心に、心が躍る様な空気が漂う。喜ぶ反面、自由に使えるお金を持ち合わせていないナルがフードの下でションボリしていると、三宅は近くに転がって傷んだリンゴを二つ拾った。
「お代なら、これでいいですよ」
「え……でも、それ汚れてるのに……」
「いいですよ。これで、飢えが凌げますし」
「やったあ!」
「じゃあ、少しだけお顔をよく見せてね」
軽く見るつもりだけで済ませようと、フードを外そうとする三宅の手を、ガチャリと鎧に包まれた手が抑止する、それは複雑な表情を浮かべるアレックスだった。
「馬鹿野郎。こんな所で獣人の顔を晒したら、騒ぎになる」
「分かっていますよ。一瞬見て、特徴掴むだけですってば」
「描くなら、ここじゃなくてもいいだろ」
アレックスは三宅の腕を解いた。戦争によって家族や仲間を奪われ、どうしようもない嫌悪感と差別意識を抱く男の表情は、未だに固い。
「宿屋の裏なら、誰も来ない。描いてやるなら、ちゃんとお互い顔を見てやれ。でないと——」
そう言って、荒くも丁寧に描かれたキャンバスの笑顔をアレックスなりに必死で真似ようとした。笑って許せる。そんな顔を、彼は不器用に模写した。まだ——完成に時間はかかりそうだが、いつも通りの笑顔に出来る限り近付けながら。
「笑顔って、生まれねぇからよ」
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