不倶戴天のハビーは失せろ。
「うぉーいッ、帰ってきたぞマイア〜」
バァンッと扉を開けたアレックスは、宿屋の裏口から三宅を抱えたまま帰ってきた。その物音に、奥からバタバタと質素なソプラヴェステを着た女性が様子を見に来た。ルネサンスを感じさせるウェーブの金髪が可愛らしい。
「おかりなさい〜。お仕事はどうしたの?」
「早めに切り上げた。それよりマイア、こいつに飯食わせてやってくれ」
「あら……この方は?」
「ミャーケっていう画家らしい。最近、街の通りに居座り始めたようだが……どういう訳か、飲まず食わずの一文無しでよ——」
「まあ画家様なの? ゴードン様の他にもいたのね〜」
「……早く、降ろしてください」
ずっと担がれた三宅は、二人にお尻を向けたまま無気力な声でそう言った。アレックスがゆっくり床に足を付かせる様に下ろすが、三宅は立っていられず。ドタッと膝から崩れ落ちた。
「ほーら見ろ。やっぱ飯食えてねぇだろ、フラフラじゃねえか」
腕を組んで呆れるアレックスを横切って、膝とお尻を床に付ける三宅に、マイアが心配そうに駆け寄る。
「ミャーケさん、大丈夫ですか?」
「……すみません」
マイアの手を借りながら、三宅は近くの椅子に腰掛けた。アレックスの言った通り、彼女は顔色が悪く、脱水症状を起こしていた。そんな三宅にアレックスはコップ一杯の水を差し出す。
「ほら、とにかく水を飲め。意地張ってる場合じゃねえぞ」
「……。いただきます……」
渋々受け取るが、水分を欲する身体は生存本能で動き出し、三宅はゴキュゴキュと放流の勢いで水を飲んでいく。
「ミャーケ。お前、出身はどこだ?」
「……ごくッ……新潟県、小千谷市です」
「ニャーガ・タケンオ・ジャーシ? ……聞いた事ないぞ、マイアは知ってるか?」
「さ、さあ? 辺境の田舎町かしら……」
「いつから、セノーテの街にいる?」
「……三日……前ですかね」
「どうやってここに来たんだ?」
「……分かりません」
水を飲み干した三宅は、アレックスの質問に自信がない声で返答する。その様子を見たマイアは、食事を取りにすぐ近くの厨房へ向かっていった。
「——この街にも、ゴードンっつぅ画家のヨボヨボ爺さんがいるんだが。画家っつうのは、口揃えてどうやってここに来たのか分からねーって言うんだよなぁ」
「……」
「ミャーケさん。朝ごはんの残り物で悪いけど、まだ温かいし……良かったら食べて?」
そこにマイアが厨房から客向けに用意されたと思われる野菜のスープと、軽く炙ったパンをお盆に乗せて持ってきた。それをテーブルに乗せると、抵抗姿勢だった三宅もいただきますと手を合わせて、がっつく様に食事を口に運ぶ。
「うおッ。その勢いだと、本当に何日も飯食って無かったんだな。金もねぇんだろ?」
「……ごくん。お金の心配は無用です——働いて稼げば、いい話なので」
三宅はパンを詰め込んで、野菜のスープを流し込む。彼女が極限状態で生活している様子を感じ取ったアレックスは、やれやれと右手で頭を抱えた。
「こんな
「心配には及びません。私に、そんな親はいませんから」
ガチャッと、空っぽのお皿がテーブルを踏みつけた。水と食事で飢えが満たされたが、眼鏡の奥に潜む彼女の瞳には潤いがない、表情も枯れている。
「訳の分からない借金、育児放棄。家族想いの祖父が残した土地財産は、私の思い出の品ごと、反吐が出る両親が全て売り払った……」
「ミ、ミャーケ……?」
「挙句の果てに子供を置き去りにして、夫婦仲良く海外逃亡——我が子の面倒もまともに見れず、自分の事しか考えられない。四文字で表すなら、
「……そッ、そうだわ! もし、あてが無いのならウチでしばらく働いたらどうかしら?」
重苦しい雰囲気を、パンと手を合わせてマイアが切り替えようとした。しかし三宅は丁寧に食器を重ねながら、無愛想に言った。
「これ以上、お世話になる訳はいきません」
「んだよ、働くだけで雨も凌げるし、飯だって食えるんだぞ! 素直にマイアの提案に乗っておけって」
「いいえ。私には絵があります。……それが、唯一の仕事ですから」
「おいおい。今日街でどんな扱いされたか、忘れたのかぁ? ミャーケの絵は癖が強すぎて、正直誰も——」
「それでも構いません。……私は、似顔絵師になる事が子供の頃の夢だったんです。憧れの仕事でまた死ねるなら、本望です」
淡々とそう語る三宅に、アレックスとマイアは息を呑んでしまう。彼女が卑屈になるのも色々な要因が絡んでいると納得せざるを得ない、言葉の数々。
「——そこら辺の騎士より、覚悟決まってんな……ミャーケは」
「で、でもミャーケさん——念願の夢で、自分を追い詰めちゃダメですよ……」
「お気遣いなく」
「ちなみに俺の夢は、マイアと色鮮やかな花畑で結婚式を挙げる事でな!」
「聞いてません」
気遣う夫婦の会話を遮断する返事が続く。しかし捻くれ者にも、一飯の恩義と人に物を頼む意思はあった。
「ですが……今、具合が悪いのは事実で。一晩だけ——休ませて貰えたら有難いです」
「大丈夫ですよ、ミャーケさん! 良かった……とりあえず、身体を大事にしてくれるなら……」
「食事代と宿泊費は、絵の稼ぎで必ず払いますから」
食器を片付けようと、立ち上がった三宅からアレックスはガチャリと皿を奪い取る。陽気な彼ですら、彼女の気難しくて絡みにくい言動に参っていた。
「おんまえなあ、人間っつうのは一人じゃ生きてけねーんだよ。また街に出てみろ、皆から無視されるだけだぞ」
「四文字で表すなら、
「マンモスクサイ? お前、訳わからん言葉いきなり言いやがるし、本当にどっからきたんだよ〜……」
「地名、苗字……ここで通じない言語は、なんとなく掴めてきました」
手荒に連れてこられ、丁重に持て成して貰った三宅はこれで、今日の衣食住はなんとかなった。これもある意味、彼女がこだわる『似顔絵』のおかげ——かもしれない。
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